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Wild bride
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ようやく一歩踏み出そうとしたのに、彼は遠くに行ってしまった。
逃げてばかりいた私に、神様が罰を与えたのだろうか。
嶺倉さんと二人きりで会った翌日、金田専務に呼び出された。嶺倉水産との仕事を継続できそうだと知り、彼は非常に喜んだ。
「実は昨夜、嶺倉さんから電話をいただいたのだ。大体の話は聞いていたが、君の顔を見てより安心したよ。いやあ、良かった良かった」
「ご心配をおかけして、申しわけございませんでした」
専務は豪快に笑った。済んだことはネチネチ言わないのが、この人の良いところである。
「本部の人間ではなく嶺倉さんと会うことになって、さぞかし驚いただろう。全部、彼のアイデアなんだぞ」
「そうなんですか。でも、専務の演技力もなかなかでしたよ」
「褒め言葉として受け止めよう」
皮肉を込めたつもりだが、専務は笑顔のまま。ビジネスが息を吹き返したので、ご機嫌なのだ。
「それにしても、彼は大変だな。今頃はもう、北欧の空の下か」
「はい」
役員室の窓から夕陽が射し込んでいる。
「いつ頃戻れるか、聞いているかね」
「事故の状況次第では長くかかるだろうと、出発前にメールをもらいました」
「そうか。えらいことだな」
嶺倉水産が提携するノルウェーの加工場が、火災事故を発生させた。
昨日、秘書が報告したのはその件であり、嶺倉さんにとって思わぬできごとだった。海外事業責任者でもある彼は、急いで社に戻る必要があったのだ。
嶺倉さんは現地に飛び、その処理にあたっている。
(昨日の続きは、彼が帰国してから。今度こそちゃんと、話し合おう)
私はもう逃げない。あなたを待っています――と、嶺倉さんに心で約束した。
「ところで、これはもう処分しておくぞ」
「えっ?」
見ると、金田専務が封筒を手に持ち、ひらひらさせている。
「あ、退職届……」
昨日、私が提出したものだ。
「君がいなけりゃ、経理の仕事が滞る。いいな?」
「はい。お願いします」
専務は封筒を二つに破り、ゴミ箱に放った。
「衝動的な行為は、以後慎むように。話は以上だ」
ふんと背中を向けてしまった。
(金田専務って、いわゆるツンデレかもしれない)
ごり押しは評判が悪いが、部下に対する情はあるように思う。この数日、特にそう感じられた。
「ご指導、ありがとうございました。失礼いたします」
むこうを向いたままの専務に挨拶し、役員室を退出した。
嶺倉さんが北欧に発ってから5日目の昼。廊下を歩く私を、軽やかな声が呼び止めた。
「北見さん、あれからどうなりました?」
振り向くと、河内さんがいた。外食の帰りなのか、手にバッグを持っている。
「あれからって……」
「王子の件ですよ。ひょっとして、うまくいってるんじゃないかなーって」
好奇心に目を輝かせている。私は言葉に詰まり、その代わり頬が熱くなった。
「やっぱり! この前は元気がなかったけど、今は生き生きしてますもんね。復活して良かったですねー、うふふっ」
「か、河内さん。もう少し小さな声で」
嶺倉さんと見合いしたことは、まだ非公開になっている。仕事に差しさわりが出そうなので、専務にも口外しないよう念を押しておいた。
今のところ、一部の社員と河内さんだけが、私と嶺倉さんの関係を知っている。
「で、王子との婚約はいつになりそうですか? そうなったらもう、喋っても構いませんよね」
「いや、まだその段階じゃないから」
勝手に盛り上がる河内さんに困っていると、ポケットのスマートフォンが震えた。取り出して通知を見た私は、ハッとする。
(この番号は……海藤さん?)
そういえば前回の電話から、連絡を取っていない。嶺倉さんと私がダメになったと、彼は思っているだろう。
「先輩、王子からですか?」
「ごめん。長くなりそうだから、河内さんは仕事に戻って」
河内さんは少し不満そうに、廊下を歩いて行った。
「もしもし、北見です」
『ああ、繋がった。良かった』
ホッとする声が聞こえた。やはり、彼も心配していたのだ。
「先日はすみません。私、失礼な対応をしてしまって」
『いや、いいんだ。心配してたけど、あれから京史から電話があってね、大体のことは聞いてるよ』
「そ、そうですか」
嶺倉さんが電話するとは、意外だった。
「あ、もしかして……」
海藤さんが私にプロポーズしたことを、責めたのだろうか。
焦る私に、海藤さんは笑って、
『そのことだけど、ちゃんと説明したら納得してくれた』
「え?」
『君にも話さなければと思い、電話した。最初に謝っておくよ』
どういうことだろう。私は黙って、彼の言葉を待つ。
『俺は、君を試したんだ』
「試した……?」
海藤さんはちょっと言いにくそうに、真相を告白した。
逃げてばかりいた私に、神様が罰を与えたのだろうか。
嶺倉さんと二人きりで会った翌日、金田専務に呼び出された。嶺倉水産との仕事を継続できそうだと知り、彼は非常に喜んだ。
「実は昨夜、嶺倉さんから電話をいただいたのだ。大体の話は聞いていたが、君の顔を見てより安心したよ。いやあ、良かった良かった」
「ご心配をおかけして、申しわけございませんでした」
専務は豪快に笑った。済んだことはネチネチ言わないのが、この人の良いところである。
「本部の人間ではなく嶺倉さんと会うことになって、さぞかし驚いただろう。全部、彼のアイデアなんだぞ」
「そうなんですか。でも、専務の演技力もなかなかでしたよ」
「褒め言葉として受け止めよう」
皮肉を込めたつもりだが、専務は笑顔のまま。ビジネスが息を吹き返したので、ご機嫌なのだ。
「それにしても、彼は大変だな。今頃はもう、北欧の空の下か」
「はい」
役員室の窓から夕陽が射し込んでいる。
「いつ頃戻れるか、聞いているかね」
「事故の状況次第では長くかかるだろうと、出発前にメールをもらいました」
「そうか。えらいことだな」
嶺倉水産が提携するノルウェーの加工場が、火災事故を発生させた。
昨日、秘書が報告したのはその件であり、嶺倉さんにとって思わぬできごとだった。海外事業責任者でもある彼は、急いで社に戻る必要があったのだ。
嶺倉さんは現地に飛び、その処理にあたっている。
(昨日の続きは、彼が帰国してから。今度こそちゃんと、話し合おう)
私はもう逃げない。あなたを待っています――と、嶺倉さんに心で約束した。
「ところで、これはもう処分しておくぞ」
「えっ?」
見ると、金田専務が封筒を手に持ち、ひらひらさせている。
「あ、退職届……」
昨日、私が提出したものだ。
「君がいなけりゃ、経理の仕事が滞る。いいな?」
「はい。お願いします」
専務は封筒を二つに破り、ゴミ箱に放った。
「衝動的な行為は、以後慎むように。話は以上だ」
ふんと背中を向けてしまった。
(金田専務って、いわゆるツンデレかもしれない)
ごり押しは評判が悪いが、部下に対する情はあるように思う。この数日、特にそう感じられた。
「ご指導、ありがとうございました。失礼いたします」
むこうを向いたままの専務に挨拶し、役員室を退出した。
嶺倉さんが北欧に発ってから5日目の昼。廊下を歩く私を、軽やかな声が呼び止めた。
「北見さん、あれからどうなりました?」
振り向くと、河内さんがいた。外食の帰りなのか、手にバッグを持っている。
「あれからって……」
「王子の件ですよ。ひょっとして、うまくいってるんじゃないかなーって」
好奇心に目を輝かせている。私は言葉に詰まり、その代わり頬が熱くなった。
「やっぱり! この前は元気がなかったけど、今は生き生きしてますもんね。復活して良かったですねー、うふふっ」
「か、河内さん。もう少し小さな声で」
嶺倉さんと見合いしたことは、まだ非公開になっている。仕事に差しさわりが出そうなので、専務にも口外しないよう念を押しておいた。
今のところ、一部の社員と河内さんだけが、私と嶺倉さんの関係を知っている。
「で、王子との婚約はいつになりそうですか? そうなったらもう、喋っても構いませんよね」
「いや、まだその段階じゃないから」
勝手に盛り上がる河内さんに困っていると、ポケットのスマートフォンが震えた。取り出して通知を見た私は、ハッとする。
(この番号は……海藤さん?)
そういえば前回の電話から、連絡を取っていない。嶺倉さんと私がダメになったと、彼は思っているだろう。
「先輩、王子からですか?」
「ごめん。長くなりそうだから、河内さんは仕事に戻って」
河内さんは少し不満そうに、廊下を歩いて行った。
「もしもし、北見です」
『ああ、繋がった。良かった』
ホッとする声が聞こえた。やはり、彼も心配していたのだ。
「先日はすみません。私、失礼な対応をしてしまって」
『いや、いいんだ。心配してたけど、あれから京史から電話があってね、大体のことは聞いてるよ』
「そ、そうですか」
嶺倉さんが電話するとは、意外だった。
「あ、もしかして……」
海藤さんが私にプロポーズしたことを、責めたのだろうか。
焦る私に、海藤さんは笑って、
『そのことだけど、ちゃんと説明したら納得してくれた』
「え?」
『君にも話さなければと思い、電話した。最初に謝っておくよ』
どういうことだろう。私は黙って、彼の言葉を待つ。
『俺は、君を試したんだ』
「試した……?」
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