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Crime Story
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「春菜……君は、なんにも分かっちゃいない。僕は、僕のせいで君が苦しむなんてごめんだ」
「苦しんだっていい。世間にどう思われようと、あなたに寄り添って生きたいの。たとえ死刑囚になろうと、それは同じことだよ。毎日面会に行くし、手紙を書いて、差し入れだってする。そして、あなたが罪を償うのを見届けてから、私もあとを追う」
「ばかな……」
智哉さんは背中を向けた。肩がかすかに震えている。
「あなたの母親も、北城も、店長だって、ひどい人間だった。許せない人たちだと思う。だけど、罪は罪。それに、身代わりにされた鳥宮さんは? 山賀さんも利用されて、死ぬところだった。誰かを犠牲にして、幸せになんかなれない。私だけじゃなく、あなただって一生苦しみ続ける……そんなの、悲しすぎるよ」
智哉さんは反論しなかった。
「智哉さん、一緒に帰ろう。ずっとずっと、そばにいるって、約束するから」
深いため息が聞こえた。
彼は背を向けたまま、ジャンパーの袖で顔をこすり、ぽつりとつぶやいた。
「悪いことをしたら『ごめんなさい』……君は、僕の親父と同じだな。ろくでもないやつに惚れるところも、よく似てるよ」
「智哉さん……」
似ているかもしれない。だけど智哉さんは、「ろくでもないやつ」とは違う。
愛する者を守りたい。温かい家庭を持ちたい。平凡で幸せな未来を夢見る、大人で、優しくて、恋人を大切にする、私の理想どおりの男性である。
方法を間違えてしまったけれど。
「智哉さん……」
「春菜、ありがとう。でも、それじゃダメなんだ」
彼の手から懐中電灯が落ちた。寒そうに肩をすぼませ、両手をズボンのポケットに入れる。
「やっぱり、君みたいなきつい女、僕に合わない。面倒見きれないよ」
「えっ?」
声が小さくて、よく聞き取れなかった。
「そうだな……あの男なんか、お似合いじゃないか。東松とかいう、正義漢ぶったゴツい刑事。あいつなら、全力で君を守ってくれそうだ。無愛想で暑苦しいやつだが、信用はできるからな」
「……何を言っているの?」
なぜ東松さんが出てくるのか、意味が分からない。
「ねえ、何を言っているの?」
もう一度問いかけた。しかし彼は答えず、その瞬間、ものすごい力で後ろに引っ張られ、私はのけぞった。
「!?」
まぶしい光に包まれると同時に、智哉さんが崖の先端に向かって走りだし、途中で振り返る。いつの間にか手にナイフを持ち、自らの首にあてがうのが分かった。
「水樹! やめるんだ!」
怒鳴り声が聞こえた。
何がなんだか分からない。もがく私を、抱きしめるように押さえているのは瀬戸さんだった。
「一条さん、ご無事でしたか?」
「ど……どうして」
瀬戸さんの隣には東松さんもいた。二人とも、疲れ切った顔をしている。
私は周りを見回し、何が起きたのか理解した。
崖を取り巻く警察官。あちこちで光を放つ照明装置。人質事件とか、立てこもりのニュースで見るような光景。
警察が待機していたのだ。
気配を一切感じさせず、私と智哉さんを待ち伏せしていた。そして、『人質』の私を救出し、『犯人』の智哉さんを追い詰めている。
「智哉さん……!」
崖の先端へと後ずさりしながら頸部にナイフを押し当てる彼は、彼自身を人質にしていた。こうなることが分かっていたかのような、あっという間の行動。彼を確保しそこねた警察官が、距離をとって囲んでいる。
「三国が来るなんて、嘘だったのね……」
最初から、こうするつもりだった。私を置いてけぼりにするつもりだったのだ。
瀬戸さんに拘束されながら、私は大声で叫んだ。
「智哉さん、やめて。どうしても逝くなら、私もつれていって!」
瀬戸さんも東松さんも、警察官たちもぎよっとする。でも私は、智哉さんを一人にはさせない。絶対に。
「私はあなたについていく。どこまでも一緒に、地獄にだって行くんだから!」
まぶしく照らされた智哉さんは、どんな表情なのかはっきりしない。
そして、私の言葉に応えようとしなかった。
「水樹さん。落ち着いてください。我々はあなたの命を尊重し、話を傾聴します。要望を述べてください」
スピーカーで話しかけたのは、交渉役だろうか。追い詰める言い方ではない。
だが、やはり智哉さんは反応せず、じりじりと後退を始めた。
「まずいわ」
瀬戸さんの声に緊張がみなぎる。智哉さんが何をする気なのか、誰の目にも明らかだった。
「智哉さん、やめて!」
私の叫びが虚しく響く。彼の意思は強固で、どうやっても止められないのだ。
「死んでしまう。智哉さんが、死んでしまう!」
「一条さん、だめです!」
智哉さんのところに行こうとするが、瀬戸さんの腕力に阻まれる。他の警察官も加わり、私にはなす術がなくなった。
無力感にまみれたその時、前に進み出る人がいた。
「やつは本気です」
東松さんだった。拳銃を構え、智哉さんに照準を合わせている。
「ちょっと……東松!?」
瀬戸さんが動揺し、周囲の警察官は固まっている。この出し抜けな行動は、彼の独断なのだ。
「俺も本気だ。こうするしかない」
待って。何をするの。
唇が震えて言葉にならない。智哉さんは既に追い詰められ、崖の先端まで数歩のところにいる。これ以上刺激したら、それこそ……
カランと、金属音がした。
見ると、智哉さんがナイフを捨てて、両手を挙げている。降参のポーズに見えた。しかし次の瞬間、身を翻して崖っぷちまで一気に走りだす。
「伏せろ!」
東松さんが怒鳴り、発砲音が鳴り響く。
一瞬の出来事だった。
「智哉さん!!」
もうお終い。
私は守れなかった。
絶望に耐えられず、両手で顔を覆ったまま、その場にくずおれた。
「苦しんだっていい。世間にどう思われようと、あなたに寄り添って生きたいの。たとえ死刑囚になろうと、それは同じことだよ。毎日面会に行くし、手紙を書いて、差し入れだってする。そして、あなたが罪を償うのを見届けてから、私もあとを追う」
「ばかな……」
智哉さんは背中を向けた。肩がかすかに震えている。
「あなたの母親も、北城も、店長だって、ひどい人間だった。許せない人たちだと思う。だけど、罪は罪。それに、身代わりにされた鳥宮さんは? 山賀さんも利用されて、死ぬところだった。誰かを犠牲にして、幸せになんかなれない。私だけじゃなく、あなただって一生苦しみ続ける……そんなの、悲しすぎるよ」
智哉さんは反論しなかった。
「智哉さん、一緒に帰ろう。ずっとずっと、そばにいるって、約束するから」
深いため息が聞こえた。
彼は背を向けたまま、ジャンパーの袖で顔をこすり、ぽつりとつぶやいた。
「悪いことをしたら『ごめんなさい』……君は、僕の親父と同じだな。ろくでもないやつに惚れるところも、よく似てるよ」
「智哉さん……」
似ているかもしれない。だけど智哉さんは、「ろくでもないやつ」とは違う。
愛する者を守りたい。温かい家庭を持ちたい。平凡で幸せな未来を夢見る、大人で、優しくて、恋人を大切にする、私の理想どおりの男性である。
方法を間違えてしまったけれど。
「智哉さん……」
「春菜、ありがとう。でも、それじゃダメなんだ」
彼の手から懐中電灯が落ちた。寒そうに肩をすぼませ、両手をズボンのポケットに入れる。
「やっぱり、君みたいなきつい女、僕に合わない。面倒見きれないよ」
「えっ?」
声が小さくて、よく聞き取れなかった。
「そうだな……あの男なんか、お似合いじゃないか。東松とかいう、正義漢ぶったゴツい刑事。あいつなら、全力で君を守ってくれそうだ。無愛想で暑苦しいやつだが、信用はできるからな」
「……何を言っているの?」
なぜ東松さんが出てくるのか、意味が分からない。
「ねえ、何を言っているの?」
もう一度問いかけた。しかし彼は答えず、その瞬間、ものすごい力で後ろに引っ張られ、私はのけぞった。
「!?」
まぶしい光に包まれると同時に、智哉さんが崖の先端に向かって走りだし、途中で振り返る。いつの間にか手にナイフを持ち、自らの首にあてがうのが分かった。
「水樹! やめるんだ!」
怒鳴り声が聞こえた。
何がなんだか分からない。もがく私を、抱きしめるように押さえているのは瀬戸さんだった。
「一条さん、ご無事でしたか?」
「ど……どうして」
瀬戸さんの隣には東松さんもいた。二人とも、疲れ切った顔をしている。
私は周りを見回し、何が起きたのか理解した。
崖を取り巻く警察官。あちこちで光を放つ照明装置。人質事件とか、立てこもりのニュースで見るような光景。
警察が待機していたのだ。
気配を一切感じさせず、私と智哉さんを待ち伏せしていた。そして、『人質』の私を救出し、『犯人』の智哉さんを追い詰めている。
「智哉さん……!」
崖の先端へと後ずさりしながら頸部にナイフを押し当てる彼は、彼自身を人質にしていた。こうなることが分かっていたかのような、あっという間の行動。彼を確保しそこねた警察官が、距離をとって囲んでいる。
「三国が来るなんて、嘘だったのね……」
最初から、こうするつもりだった。私を置いてけぼりにするつもりだったのだ。
瀬戸さんに拘束されながら、私は大声で叫んだ。
「智哉さん、やめて。どうしても逝くなら、私もつれていって!」
瀬戸さんも東松さんも、警察官たちもぎよっとする。でも私は、智哉さんを一人にはさせない。絶対に。
「私はあなたについていく。どこまでも一緒に、地獄にだって行くんだから!」
まぶしく照らされた智哉さんは、どんな表情なのかはっきりしない。
そして、私の言葉に応えようとしなかった。
「水樹さん。落ち着いてください。我々はあなたの命を尊重し、話を傾聴します。要望を述べてください」
スピーカーで話しかけたのは、交渉役だろうか。追い詰める言い方ではない。
だが、やはり智哉さんは反応せず、じりじりと後退を始めた。
「まずいわ」
瀬戸さんの声に緊張がみなぎる。智哉さんが何をする気なのか、誰の目にも明らかだった。
「智哉さん、やめて!」
私の叫びが虚しく響く。彼の意思は強固で、どうやっても止められないのだ。
「死んでしまう。智哉さんが、死んでしまう!」
「一条さん、だめです!」
智哉さんのところに行こうとするが、瀬戸さんの腕力に阻まれる。他の警察官も加わり、私にはなす術がなくなった。
無力感にまみれたその時、前に進み出る人がいた。
「やつは本気です」
東松さんだった。拳銃を構え、智哉さんに照準を合わせている。
「ちょっと……東松!?」
瀬戸さんが動揺し、周囲の警察官は固まっている。この出し抜けな行動は、彼の独断なのだ。
「俺も本気だ。こうするしかない」
待って。何をするの。
唇が震えて言葉にならない。智哉さんは既に追い詰められ、崖の先端まで数歩のところにいる。これ以上刺激したら、それこそ……
カランと、金属音がした。
見ると、智哉さんがナイフを捨てて、両手を挙げている。降参のポーズに見えた。しかし次の瞬間、身を翻して崖っぷちまで一気に走りだす。
「伏せろ!」
東松さんが怒鳴り、発砲音が鳴り響く。
一瞬の出来事だった。
「智哉さん!!」
もうお終い。
私は守れなかった。
絶望に耐えられず、両手で顔を覆ったまま、その場にくずおれた。
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