225 / 236
Crime Story
7
しおりを挟む
そして、鳥宮さんは転落死した。
智哉さんの告白を聞いて、あの日の自分を思い出す。
隣人が自殺するというショッキングな出来事に動揺した私は、すぐ智哉さんに報告した。彼の落ち着いた態度が、どれだけ頼もしかったことか。
でもそれは、当然だった。彼が鳥宮さんを転落死させたのだから。
私の知らないうちに、小説かドラマのようなストーリーが展開していた。やはり、警察の推測は当たっていたのだ。
「春菜、大丈夫かい」
「……」
私の冷たい指先を、智哉さんが手のひらで包んだ。
彼がしたことは、人として到底許されない。鳥宮さんの無念だけでなく、彼の母親の心情を思うと、悲しすぎて。
でも私は、智哉さんの手を払えなかった。なぜ彼がこんな風になってしまったのか、すべて分かったから。
「春菜……?」
智哉さんが心配そうに私を見つめる。揺れる瞳に、不安な気持ちが表れていた。
「智哉さん……あなたが私をハルと呼ぶのは、あの日からだったね」
「……ああ、そうだな」
智哉さんが守りたかったのは、ウサギのハル。私との出会いを運命に感じた最大の決め手は、ハルという呼び名だった。
「君は、周囲の人にハルと呼ばれていた。これは運命だ。今度こそハルを幸せにするために、それだけのために僕は生きると、決めたんだ」
鳥宮さんを転落死させたあの日。記録の上書きを終えて、彼が人生の再スタートを切った瞬間、私は陽向さんの身代わりから、ハルの身代わりへとシフトした。
この人は人を騙し、利用し、殺しさえした。でも、それはすべて、愛するハルのため。あれからずっと、私はハルとして、智哉さんの唯一の家族として、守られてきたのだ。
「悪い奴らはすべて排除する。法律も警察もあてにしない。正義など役に立たないと知っているから、どんな方法を使っても、愛する人を守る。過去を思い出してから、それは僕の信念になった。だから、山賀さんを利用するのも平気だったし、古池を殺しても後悔しない。君を守るためなら、なんだってできた」
「でも私は、ハルじゃないよ?」
泣きそうになりながら、智哉さんを見つめ返した。
「分かってるさ。ハルは神経質で怖がりなウサギ。君は人間の女だし、真逆のタイプだろ? でも、ハルと同じように、僕の大切な家族なんだ」
「どうして?」
「自分を犠牲にしてでも、僕についてこようとしたじゃないか。そして今、そばにいてくれる」
崖崩れの時、私は智哉さんに向かって駆けだした。それはたぶん、一人で逝かせたくなかったから。まったくの無意識だったけれど。
「噛みつかれても、もう叩いたりしない。まるごと愛する。今度こそ幸せにするんだ……春菜」
智哉さんが私の名を呼び、抱きしめる。しがみつくように、強く。
「僕と一緒に、未来を生きてくれないか」
「智哉さん……」
私は今、一条春菜として彼のそばにいる。強く求められ、それに応えたいと感じている。
だけど、返事ができない。
どうすればいい?
「……今夜、三国が迎えにくる」
「えっ?」
私の身体をそっと離し、智哉さんが教えた。
「万が一の場合に備えて、プランBを用意しておいた。警察に踏み込まれる前に、ここを脱出するぞ」
「脱出って、どこへ行くの?」
「さあ……三国に聞いてみなきゃ分からない。だけど、遠い場所なのは確かだ」
「遠い場所……」
「そう、はるかかなたの楽園。そこにたどり着いたら、僕たちは幸せになれる」
楽園ということは南の島? それとも地球の裏側?
いずれにせよ海外だろう。名前や国籍を変えて、永住するのだ。これまでの生活をすべて捨てて。罪を償いもせず。
本当にそれでいいの?
問いかけようとするが、彼はふっと目を逸らし、シートの上に横たわった。
「続きはあとで……その前に、少し眠りたい。夜になる前に、起こしてくれないか」
「あ、うん。あのね、智哉さん」
「さすがに疲れた」
私は何も言えなくなり、彼に毛布をかけた。この人はたぶん、昨夜、一睡もしていない。
「そばにいてくれ、春菜。どこにもいかないで……」
小さくつぶやくと、やがて寝息を立て始める。目をつむった顔は、子どもの頃と変わらないのだろう。とても素直で、優しい。
本当にそれでいいの?
私は、私自身に問いかける。だけど答えを出せないまま、彼のそばに寄り添っていた。
智哉さんの告白を聞いて、あの日の自分を思い出す。
隣人が自殺するというショッキングな出来事に動揺した私は、すぐ智哉さんに報告した。彼の落ち着いた態度が、どれだけ頼もしかったことか。
でもそれは、当然だった。彼が鳥宮さんを転落死させたのだから。
私の知らないうちに、小説かドラマのようなストーリーが展開していた。やはり、警察の推測は当たっていたのだ。
「春菜、大丈夫かい」
「……」
私の冷たい指先を、智哉さんが手のひらで包んだ。
彼がしたことは、人として到底許されない。鳥宮さんの無念だけでなく、彼の母親の心情を思うと、悲しすぎて。
でも私は、智哉さんの手を払えなかった。なぜ彼がこんな風になってしまったのか、すべて分かったから。
「春菜……?」
智哉さんが心配そうに私を見つめる。揺れる瞳に、不安な気持ちが表れていた。
「智哉さん……あなたが私をハルと呼ぶのは、あの日からだったね」
「……ああ、そうだな」
智哉さんが守りたかったのは、ウサギのハル。私との出会いを運命に感じた最大の決め手は、ハルという呼び名だった。
「君は、周囲の人にハルと呼ばれていた。これは運命だ。今度こそハルを幸せにするために、それだけのために僕は生きると、決めたんだ」
鳥宮さんを転落死させたあの日。記録の上書きを終えて、彼が人生の再スタートを切った瞬間、私は陽向さんの身代わりから、ハルの身代わりへとシフトした。
この人は人を騙し、利用し、殺しさえした。でも、それはすべて、愛するハルのため。あれからずっと、私はハルとして、智哉さんの唯一の家族として、守られてきたのだ。
「悪い奴らはすべて排除する。法律も警察もあてにしない。正義など役に立たないと知っているから、どんな方法を使っても、愛する人を守る。過去を思い出してから、それは僕の信念になった。だから、山賀さんを利用するのも平気だったし、古池を殺しても後悔しない。君を守るためなら、なんだってできた」
「でも私は、ハルじゃないよ?」
泣きそうになりながら、智哉さんを見つめ返した。
「分かってるさ。ハルは神経質で怖がりなウサギ。君は人間の女だし、真逆のタイプだろ? でも、ハルと同じように、僕の大切な家族なんだ」
「どうして?」
「自分を犠牲にしてでも、僕についてこようとしたじゃないか。そして今、そばにいてくれる」
崖崩れの時、私は智哉さんに向かって駆けだした。それはたぶん、一人で逝かせたくなかったから。まったくの無意識だったけれど。
「噛みつかれても、もう叩いたりしない。まるごと愛する。今度こそ幸せにするんだ……春菜」
智哉さんが私の名を呼び、抱きしめる。しがみつくように、強く。
「僕と一緒に、未来を生きてくれないか」
「智哉さん……」
私は今、一条春菜として彼のそばにいる。強く求められ、それに応えたいと感じている。
だけど、返事ができない。
どうすればいい?
「……今夜、三国が迎えにくる」
「えっ?」
私の身体をそっと離し、智哉さんが教えた。
「万が一の場合に備えて、プランBを用意しておいた。警察に踏み込まれる前に、ここを脱出するぞ」
「脱出って、どこへ行くの?」
「さあ……三国に聞いてみなきゃ分からない。だけど、遠い場所なのは確かだ」
「遠い場所……」
「そう、はるかかなたの楽園。そこにたどり着いたら、僕たちは幸せになれる」
楽園ということは南の島? それとも地球の裏側?
いずれにせよ海外だろう。名前や国籍を変えて、永住するのだ。これまでの生活をすべて捨てて。罪を償いもせず。
本当にそれでいいの?
問いかけようとするが、彼はふっと目を逸らし、シートの上に横たわった。
「続きはあとで……その前に、少し眠りたい。夜になる前に、起こしてくれないか」
「あ、うん。あのね、智哉さん」
「さすがに疲れた」
私は何も言えなくなり、彼に毛布をかけた。この人はたぶん、昨夜、一睡もしていない。
「そばにいてくれ、春菜。どこにもいかないで……」
小さくつぶやくと、やがて寝息を立て始める。目をつむった顔は、子どもの頃と変わらないのだろう。とても素直で、優しい。
本当にそれでいいの?
私は、私自身に問いかける。だけど答えを出せないまま、彼のそばに寄り添っていた。
0
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
クアドロフォニアは突然に
七星満実
ミステリー
過疎化の進む山奥の小さな集落、忍足(おしたり)村。
廃校寸前の地元中学校に通う有沢祐樹は、卒業を間近に控え、県を出るか、県に留まるか、同級生たちと同じく進路に迷っていた。
そんな時、東京から忍足中学へ転入生がやってくる。
どうしてこの時期に?そんな疑問をよそにやってきた彼は、祐樹達が想像していた東京人とは似ても似つかない、不気味な風貌の少年だった。
時を同じくして、耳を疑うニュースが忍足村に飛び込んでくる。そしてこの事をきっかけにして、かつてない凄惨な事件が次々と巻き起こり、忍足の村民達を恐怖と絶望に陥れるのであった。
自分たちの生まれ育った村で起こる数々の恐ろしく残忍な事件に対し、祐樹達は知恵を絞って懸命に立ち向かおうとするが、禁忌とされていた忍足村の過去を偶然知ってしまったことで、事件は思いもよらぬ展開を見せ始める……。
青春と戦慄が交錯する、プライマリーユースサスペンス。
どうぞ、ご期待ください。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
量子迷宮の探偵譚
葉羽
ミステリー
天才高校生の神藤葉羽は、ある日突然、量子力学によって生み出された並行世界の迷宮に閉じ込められてしまう。幼馴染の望月彩由美と共に、彼らは迷宮からの脱出を目指すが、そこには恐ろしい謎と危険が待ち受けていた。葉羽の推理力と彩由美の直感が試される中、二人の関係も徐々に変化していく。果たして彼らは迷宮を脱出し、現実世界に戻ることができるのか?そして、この迷宮の真の目的とは?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる