恋の記録

藤谷 郁

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Crime Story

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『妹を送ってきた』

『どうも、お疲れ様です』


僕に釣られて鳥宮も声を抑えた。

玄関の中に入ると、僕はポケットに手を入れて、どこにも手を触れないようにした。飛び降りなど不審死の場合、警察が指紋を採取することがあるからだ。

足跡はどうか知らないが、念のため、いつもと違う靴を履いてきた。個人の特定が難しい量産品である。


『あの、奥へどうぞ』

『すぐ帰るから、ここでいい』

『はあ……』


ドアが閉まり、狭い空間で向かい合う。


『仕事のことだが、一度しか言わないからよく聞いてくれ』

『はい』

『明日の夜明け前、妹の部屋を覗いてほしい』

『えっ?』


眼鏡の奥の目を丸くする。当然の反応だ。こいつはもともと覗き魔だから、いきなり覗けと言われてビックリしたのだ。


『な、なんでですか?』

『うん……今日も思ったんだが、妹のやつ、化粧が派手になった気がしてね。どうも、家族に言えないような男と付き合ってるみたいなんだ。さっきもコソコソ電話してたし、もしかしたら今夜、そいつが泊まりにくるかもしれない。だから、朝方に部屋を覗いて、男がいるかどうか確かめてもらいたいってわけだよ』

『ええっ、エリナさんに男が……?』


鳥宮が甲高い声を上げた。


『おい、静かにしてくれ』

『す、すみません』

『なんだ、エリナさんって』


今、確かにそう聞こえた。しかし鳥宮はぶんぶんと首を横に振る。


『いえ、な、なんでもありません。すみません』


太った顔に汗を浮かべている。意味不明だが、追及している暇はない。構わず話を進めた。


『朝方と言っても夜明け前だぞ。そうだな……4時半から5時の間が望ましい』

『どうして夜明け前なんですか?』

『よく眠ってる時間だからさ』


本当は違うが、そういうことにしておく。


『な、なるほど。その時間に、ベランダから窓を覗けばいいんですね?』

『そんな遠くからじゃ見えないだろ。隣のベランダに移って、しっかり覗いてくれ』


鳥宮はぎょっとするが、この反応も想定内。僕はさらに早口で命令する。


『こっちのベランダから隣のベランダに移るんだよ』

『ど、どうやって……?』

『手すりに上がって移動すればいい』

『えー、むむっ、無理です、そんな危ないこと』

『大丈夫だ。そのためにサンダルをプレゼントしたんだから』

『??』


目を白黒させる鳥宮に、説明した。もちろん、口からでまかせである。


『あのサンダルは特注品だと言ったろ? 靴底に特殊加工がしてあるから、雨でも雪でも絶対に滑らない。強力なグリップが、君のような大男の体重も、しっかり支えてくれる。サンダルを履きさえすれば、楽々移動できるよ』

『そうなんですか?』


鳥宮が靴箱からサンダルを出した。ツルツルの靴底を感心の目で見回している。騙すほうが呆れるほど、馬鹿正直な奴だ。


『だからボクにサンダルを……』

『黙ってて悪かった。だけど、プレゼントしたかったのは本当だ。君には感謝してるからね』

『ええ、ええ、分かってます。あなたは悪い人じゃないって』


嫌味でも皮肉でもない、鳥宮は大真面目だ。なぜそこまで僕を信用するのか知らないが、計画が順調に進むならそれでよし。

僕は口を挟まず、作り笑顔を浮かべた。


『つまり、これが最後の仕事なんですね』

『そう。君にしかできない仕事だ』


鳥宮は鼻息を荒くして、任せてくださいと胸を叩く。えらく張り切っているが、まだ安心できない。いざとなって怖くなり、できませんでしたでは困るのだ。

やり遂げてもらうために、餌を使ってモチベーションを持続させる。


『ところで報酬についてだが……やっぱりり、仕事が終わってから払わせてもらうよ。また明日、夜10時に公園に来てくれないかな』

『あ……そ、そうなんですね』


あからさまに落胆した。というか、大げさなほどガッカリしている。


『大丈夫だ。心配しなくても、ちゃんと払うよ』

『あ、はい。それはもう、信じてますので。ただ、その……報酬をあてにして、この前のお金を全部使っちゃったから』

『50万を?』

『はい。テレビとか、レアなフィギュアとか。えへへ……』


頭を掻く仕草が、癇に障った。まったくもって、救いようのない男だ。

こんないいかげんな奴に大事な仕事をやらせてもいいのか。一抹の不安を覚えるが、ここまできたらやるしかない。それに、いいかげんな奴だからこそ、騙されてくれるのだ。


『じゃあな。仕事、しっかりやってくれよ』

『はい、頑張ります。では、あの……黒騎士さん、また明日』

『?』


声が小さくて聞き取れない。この男は時々、独り言みたいにボソボソ言う。

しかし、僕は聞き返さなかった。鳥宮が何を言おうと、もうどうでもいい。


『ドアを開けてくれ』

『え? あ、はい』


指紋が付かないよう、ドアを開けさせた。


(これで、よし)


舞台が整い、役者も揃った。

鳥宮の部屋を出ると、計画の成功だけを祈りながら帰路についた。


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