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春菜と智哉
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智哉さんが過去について話してくれたのは、管理棟に戻ってから。
私の肩を抱き、ぴたりと寄り添っていた。そうしないと話せなかったのだろう。彼が時々声を震わせるのを、私はつらい気持ちで聞いた。
「僕は無意識に記憶を封印した。それが解けたのは、血まみれの斎藤陽向を見た時。昔飼っていたウサギがハルという名前だったことや、そのハルがなぜ、どんな風に死んだのか……まるで昨日の出来事のように思い出したんだ」
「陽向さんに、ハルが重なったのね」
智哉さんがうなずく。
「陽向は、神経質で怖がりなところがウサギに似ていた。彼女なら愛せると思ったのは、ハルとの日々を、無意識にでも覚えていたからだ。だけど、僕はまた守れなかった。同じように死なせてしまったことが、どうしようもなく悔しくて、苦しかった」
そして智哉さんは、不眠になるほど悩み抜いた末に、人生をやり直すことに決めた。それにはまず、実験の続きを成功させて、自分は母親とは違う生き物だと証明する必要がある。
智哉さんの望みは、誰かを愛し、温かな家庭を築き、幸せに暮らすこと。ハルと過ごした穏やかな日々のように。
そして彼は探し始める。陽向さんの代わりになるような誰かを――
「あなたはそうして、私を見つけたのね」
「うん。二年後の春だった」
素直に認める彼を、もう責めはしない。私は結局、陽向さんの身代わりだったけど、今は、出会えてよかったと思える。
智哉さんの救いになれたのだから。
こんな風に思えるなんて、自分でも驚いてしまう。過去の話を聞き、同情したのだろうか。でも、同情だけで許せるものではない。
私はやっぱり、彼を愛しているのだ。
「でも、どうして私を選んだの?」
なんとなく分かっている。だけど彼の口から直接聞きたかった。どんな答えでもいい。今ならまるごと受け止められる。
「靴だよ」
私の足もとに目をやり、はっきりと答えた。
「君を身代わりにしたきっかけは、レザーソールのパンプスだ」
予想どおりの返事だった。この人にとって、靴は特別な意味を持つアイテムである。
「僕は人を見る時、靴を参考にする。親父もそうだったと若月のおばさんから聞いて、影響されたんだ」
「お父さんの影響……」
親子の絆を感じるが、智哉さんは苦々しい口調で付け足した。
「ただし親父の場合、女性に関しては点数が甘かった。あの女は靴の趣味が最悪だが、妥協したんだろう。だから僕は逆に、女性こそ靴で判断すべきだと思うようになった。趣味の良さはもちろん、特に大事なのは、その人らしいこだわり。例えば、レザーソールとか」
「あ……」
東松さんも推測していた。智哉さんは私ではなく、靴を見ていたと。
陽向さんもレザーソールにこだわりを持つ人だったのだろう。らしさを持つ人間が好きだと、日記にも書いてあった。
「君がレストランに入ってきて、テーブルの横を通り過ぎたとき、すぐにレザーソールに気づいた。趣味の良いデザイン。陽向と年齢も近い。だから、君のことが気になって、若月さんと食事しながら、それとなく観察してたんだ」
「そうだったのね……」
あの日、二人が同じ時間、同じ場所に居合わせたのは偶然。でも、関わったのは意図的である。
「とうとう見つけた。そう思った僕は、コップの氷を床にまき、君が転ぶように仕向けた。ほとんど賭けだったが、記録に沿うよう物語を進めるには、その方法以外、考えられなかったんだ」
「陽向さんとの出会いも、彼女が転びそうなところを支えたから……?」
「ああ。陽向の場合は、雪に足を滑らせたんだけど、細かい設定にはこだわらない。いざとなったら記録を書き換えればいいし。でも、君のことを知れば知るほど、書き換える必要がないほど設定が被っていくから、本当に驚いたよ」
「職場が近いとか、アパートの5階に住んでるとか、そういうこと?」
「ああ」
偶然が重なると、運命に思えてくる。幾つもの重なりが、私を身代わりにする大きな理由となった。
「なるべく記録に沿うよう物語を進めて、状況が整ったところで、高崎の事件を再現したのね。陽向さんを守れなかった過去を、上書きするために」
「そうだ。陽向だけでなく、ハルを守れなかった過去を乗り越えるためでもあった」
彼は否定しない。嘘もごまかしもなく、自分の行いを正直に認めている。
「鳥宮さんのことは……どうやって」
聞くのが怖いけど、聞くべきだ。なぜなら私には責任がある。もう、他人事ではないのだから。
「鳥宮を利用すると決めたのは、君と出会った次の日。思えばあれも、偶然だったな」
智哉さんは腹を括ったのか、落ち着いている。私は緊張しながら耳を傾けた。
それは、犯罪の告白だった。
私の肩を抱き、ぴたりと寄り添っていた。そうしないと話せなかったのだろう。彼が時々声を震わせるのを、私はつらい気持ちで聞いた。
「僕は無意識に記憶を封印した。それが解けたのは、血まみれの斎藤陽向を見た時。昔飼っていたウサギがハルという名前だったことや、そのハルがなぜ、どんな風に死んだのか……まるで昨日の出来事のように思い出したんだ」
「陽向さんに、ハルが重なったのね」
智哉さんがうなずく。
「陽向は、神経質で怖がりなところがウサギに似ていた。彼女なら愛せると思ったのは、ハルとの日々を、無意識にでも覚えていたからだ。だけど、僕はまた守れなかった。同じように死なせてしまったことが、どうしようもなく悔しくて、苦しかった」
そして智哉さんは、不眠になるほど悩み抜いた末に、人生をやり直すことに決めた。それにはまず、実験の続きを成功させて、自分は母親とは違う生き物だと証明する必要がある。
智哉さんの望みは、誰かを愛し、温かな家庭を築き、幸せに暮らすこと。ハルと過ごした穏やかな日々のように。
そして彼は探し始める。陽向さんの代わりになるような誰かを――
「あなたはそうして、私を見つけたのね」
「うん。二年後の春だった」
素直に認める彼を、もう責めはしない。私は結局、陽向さんの身代わりだったけど、今は、出会えてよかったと思える。
智哉さんの救いになれたのだから。
こんな風に思えるなんて、自分でも驚いてしまう。過去の話を聞き、同情したのだろうか。でも、同情だけで許せるものではない。
私はやっぱり、彼を愛しているのだ。
「でも、どうして私を選んだの?」
なんとなく分かっている。だけど彼の口から直接聞きたかった。どんな答えでもいい。今ならまるごと受け止められる。
「靴だよ」
私の足もとに目をやり、はっきりと答えた。
「君を身代わりにしたきっかけは、レザーソールのパンプスだ」
予想どおりの返事だった。この人にとって、靴は特別な意味を持つアイテムである。
「僕は人を見る時、靴を参考にする。親父もそうだったと若月のおばさんから聞いて、影響されたんだ」
「お父さんの影響……」
親子の絆を感じるが、智哉さんは苦々しい口調で付け足した。
「ただし親父の場合、女性に関しては点数が甘かった。あの女は靴の趣味が最悪だが、妥協したんだろう。だから僕は逆に、女性こそ靴で判断すべきだと思うようになった。趣味の良さはもちろん、特に大事なのは、その人らしいこだわり。例えば、レザーソールとか」
「あ……」
東松さんも推測していた。智哉さんは私ではなく、靴を見ていたと。
陽向さんもレザーソールにこだわりを持つ人だったのだろう。らしさを持つ人間が好きだと、日記にも書いてあった。
「君がレストランに入ってきて、テーブルの横を通り過ぎたとき、すぐにレザーソールに気づいた。趣味の良いデザイン。陽向と年齢も近い。だから、君のことが気になって、若月さんと食事しながら、それとなく観察してたんだ」
「そうだったのね……」
あの日、二人が同じ時間、同じ場所に居合わせたのは偶然。でも、関わったのは意図的である。
「とうとう見つけた。そう思った僕は、コップの氷を床にまき、君が転ぶように仕向けた。ほとんど賭けだったが、記録に沿うよう物語を進めるには、その方法以外、考えられなかったんだ」
「陽向さんとの出会いも、彼女が転びそうなところを支えたから……?」
「ああ。陽向の場合は、雪に足を滑らせたんだけど、細かい設定にはこだわらない。いざとなったら記録を書き換えればいいし。でも、君のことを知れば知るほど、書き換える必要がないほど設定が被っていくから、本当に驚いたよ」
「職場が近いとか、アパートの5階に住んでるとか、そういうこと?」
「ああ」
偶然が重なると、運命に思えてくる。幾つもの重なりが、私を身代わりにする大きな理由となった。
「なるべく記録に沿うよう物語を進めて、状況が整ったところで、高崎の事件を再現したのね。陽向さんを守れなかった過去を、上書きするために」
「そうだ。陽向だけでなく、ハルを守れなかった過去を乗り越えるためでもあった」
彼は否定しない。嘘もごまかしもなく、自分の行いを正直に認めている。
「鳥宮さんのことは……どうやって」
聞くのが怖いけど、聞くべきだ。なぜなら私には責任がある。もう、他人事ではないのだから。
「鳥宮を利用すると決めたのは、君と出会った次の日。思えばあれも、偶然だったな」
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それは、犯罪の告白だった。
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