恋の記録

藤谷 郁

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春菜と智哉

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「幸せな未来を手に入れるために、僕は努力を惜しまなかった。邪魔者を排除し、あらゆるものを利用して、ここまでたどり着いた」


彼が求めたのは陽向さんとの幸せな未来。利用されたのは鳥宮さんと山賀さんと、身代わりの私。

そして、三国仁志である。


「三国は、今までのあなたの人生に対して責任を感じて、手助けをしたと……」

「そういうことだ」


三国との関係を、ようやく理解する。でも、そんなことより、気になる言葉があった。


――大切な存在を失ったのに、独りで生きなければならないのは地獄だろ?


「大切な存在って……お母さんのこと?」

「違う」


迷いのない、キッパリとした口調だった。


「あんな女、大切どころか呪いだよ。ぞっとするようなこと言わないでくれ」

「ご、ごめんなさい」


彼にとって母親は、もはや母親ではなかった。だからこそ自らの手で葬り、忌まわしい血を憎み、呪縛を解こうとして『実験』したのである。

無神経な質問だったと後悔しながら、今一度確認した。


「じゃあ、誰のことなの。大切な存在って」


父親、あるいは祖母。それとも、他に信頼できる親族がいたのだろうか。智哉さんの心を知る上で、とても重要な鍵に思えた。


「分からない?」

「え?」


智哉さんが私の手を取り、立ち上がらせる。手のひらからぬくもりが伝わってきた。


「僕の日記を読んで、若月さんからも話を聞いたんだろ?」

「う、うん」


その中にヒントがあったのだろうか。なぜ分らないんだと言いたげに、彼が私を見つめる。


「決まってるじゃないか。ハルだよ」

「……ハル?」


私は首を傾げた。それでは時系列がおかしい。


「大切な存在を失ったのは……子どもの頃の話だよね。どうして陽向さんなの?」

「陽向?」


私の疑問に、彼は「ああ」と、ため息をついた。


「そうか、君はまだ斎藤陽向がハルだと思い込んでるんだな」

「だ、だって、そうなんでしょ?」

「誤解だよ。彼女はハルじゃない。僕がハルと呼んだのは君だけだし、そもそもハルというのは……」

「……!?」


ふいに抱きしめられた。私の身体をすっぽりと腕に包み、愛しそうに髪を撫でる。


「智哉さん?」

「僕にとって唯一の家族であり、かけがえのない存在だった。ハルというのは、ウサギの名前だよ」

「……ウサギ」


――ハルだけが僕の温もりであり、家族だから


目を閉じて、彼の胸に耳を寄せた。心臓がドキドキしている。

本当に、なぜ分からなかったのだろう。鈍いにもほどがある。智哉さんはいつもこんな風に、優しく抱きしめてくれた。髪を撫でてくれたのに。


「あなたがウサギの世話をしていたのは、知ってたんです。若月さんから聞いて……」


母親が男を連れ込むたびに家を追い出され、ウサギ小屋で夜を明かしたことも。でも、この人は温もりをもらっていたのだ。ハルという名前のウサギに。


「君の名前は春菜。友達や家族に『ハル』と呼ばれていたと聞いて、僕は運命を感じたんだ。君がハルの生まれ変わりで、僕と家族になるために現れた気がして、とても嬉しかった」

「運命……?」

「大の男が、バカみたいだろ」


そんなことはない。私だって、智哉さんとの出会いを運命だと思った。運命と感じる要素がいくつもあれば、それはもう偶然じゃないと人は思い込む。都合の良い解釈をする。

だけど肝心なのは、その人の幸せを願うことだと今なら分かる。巡り合わせや偶然に酔わず、冷静になってみれば、分かってくる。


「ハルはいつ、死んでしまったの?」


髪を撫でる手が止まった。私が顔を上げると、智哉さんは悲しそうに微笑んでいた。


「聞いてくれるのか」


うなずく私をもう一度抱きしめてから、彼は歩きだした。小さな子どものように、しっかりと手を繋いで。

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