214 / 236
春菜と智哉
8
しおりを挟む
「幸せな未来を手に入れるために、僕は努力を惜しまなかった。邪魔者を排除し、あらゆるものを利用して、ここまでたどり着いた」
彼が求めたのは陽向さんとの幸せな未来。利用されたのは鳥宮さんと山賀さんと、身代わりの私。
そして、三国仁志である。
「三国は、今までのあなたの人生に対して責任を感じて、手助けをしたと……」
「そういうことだ」
三国との関係を、ようやく理解する。でも、そんなことより、気になる言葉があった。
――大切な存在を失ったのに、独りで生きなければならないのは地獄だろ?
「大切な存在って……お母さんのこと?」
「違う」
迷いのない、キッパリとした口調だった。
「あんな女、大切どころか呪いだよ。ぞっとするようなこと言わないでくれ」
「ご、ごめんなさい」
彼にとって母親は、もはや母親ではなかった。だからこそ自らの手で葬り、忌まわしい血を憎み、呪縛を解こうとして『実験』したのである。
無神経な質問だったと後悔しながら、今一度確認した。
「じゃあ、誰のことなの。大切な存在って」
父親、あるいは祖母。それとも、他に信頼できる親族がいたのだろうか。智哉さんの心を知る上で、とても重要な鍵に思えた。
「分からない?」
「え?」
智哉さんが私の手を取り、立ち上がらせる。手のひらからぬくもりが伝わってきた。
「僕の日記を読んで、若月さんからも話を聞いたんだろ?」
「う、うん」
その中にヒントがあったのだろうか。なぜ分らないんだと言いたげに、彼が私を見つめる。
「決まってるじゃないか。ハルだよ」
「……ハル?」
私は首を傾げた。それでは時系列がおかしい。
「大切な存在を失ったのは……子どもの頃の話だよね。どうして陽向さんなの?」
「陽向?」
私の疑問に、彼は「ああ」と、ため息をついた。
「そうか、君はまだ斎藤陽向がハルだと思い込んでるんだな」
「だ、だって、そうなんでしょ?」
「誤解だよ。彼女はハルじゃない。僕がハルと呼んだのは君だけだし、そもそもハルというのは……」
「……!?」
ふいに抱きしめられた。私の身体をすっぽりと腕に包み、愛しそうに髪を撫でる。
「智哉さん?」
「僕にとって唯一の家族であり、かけがえのない存在だった。ハルというのは、ウサギの名前だよ」
「……ウサギ」
――ハルだけが僕の温もりであり、家族だから
目を閉じて、彼の胸に耳を寄せた。心臓がドキドキしている。
本当に、なぜ分からなかったのだろう。鈍いにもほどがある。智哉さんはいつもこんな風に、優しく抱きしめてくれた。髪を撫でてくれたのに。
「あなたがウサギの世話をしていたのは、知ってたんです。若月さんから聞いて……」
母親が男を連れ込むたびに家を追い出され、ウサギ小屋で夜を明かしたことも。でも、この人は温もりをもらっていたのだ。ハルという名前のウサギに。
「君の名前は春菜。友達や家族に『ハル』と呼ばれていたと聞いて、僕は運命を感じたんだ。君がハルの生まれ変わりで、僕と家族になるために現れた気がして、とても嬉しかった」
「運命……?」
「大の男が、バカみたいだろ」
そんなことはない。私だって、智哉さんとの出会いを運命だと思った。運命と感じる要素がいくつもあれば、それはもう偶然じゃないと人は思い込む。都合の良い解釈をする。
だけど肝心なのは、その人の幸せを願うことだと今なら分かる。巡り合わせや偶然に酔わず、冷静になってみれば、分かってくる。
「ハルはいつ、死んでしまったの?」
髪を撫でる手が止まった。私が顔を上げると、智哉さんは悲しそうに微笑んでいた。
「聞いてくれるのか」
うなずく私をもう一度抱きしめてから、彼は歩きだした。小さな子どものように、しっかりと手を繋いで。
彼が求めたのは陽向さんとの幸せな未来。利用されたのは鳥宮さんと山賀さんと、身代わりの私。
そして、三国仁志である。
「三国は、今までのあなたの人生に対して責任を感じて、手助けをしたと……」
「そういうことだ」
三国との関係を、ようやく理解する。でも、そんなことより、気になる言葉があった。
――大切な存在を失ったのに、独りで生きなければならないのは地獄だろ?
「大切な存在って……お母さんのこと?」
「違う」
迷いのない、キッパリとした口調だった。
「あんな女、大切どころか呪いだよ。ぞっとするようなこと言わないでくれ」
「ご、ごめんなさい」
彼にとって母親は、もはや母親ではなかった。だからこそ自らの手で葬り、忌まわしい血を憎み、呪縛を解こうとして『実験』したのである。
無神経な質問だったと後悔しながら、今一度確認した。
「じゃあ、誰のことなの。大切な存在って」
父親、あるいは祖母。それとも、他に信頼できる親族がいたのだろうか。智哉さんの心を知る上で、とても重要な鍵に思えた。
「分からない?」
「え?」
智哉さんが私の手を取り、立ち上がらせる。手のひらからぬくもりが伝わってきた。
「僕の日記を読んで、若月さんからも話を聞いたんだろ?」
「う、うん」
その中にヒントがあったのだろうか。なぜ分らないんだと言いたげに、彼が私を見つめる。
「決まってるじゃないか。ハルだよ」
「……ハル?」
私は首を傾げた。それでは時系列がおかしい。
「大切な存在を失ったのは……子どもの頃の話だよね。どうして陽向さんなの?」
「陽向?」
私の疑問に、彼は「ああ」と、ため息をついた。
「そうか、君はまだ斎藤陽向がハルだと思い込んでるんだな」
「だ、だって、そうなんでしょ?」
「誤解だよ。彼女はハルじゃない。僕がハルと呼んだのは君だけだし、そもそもハルというのは……」
「……!?」
ふいに抱きしめられた。私の身体をすっぽりと腕に包み、愛しそうに髪を撫でる。
「智哉さん?」
「僕にとって唯一の家族であり、かけがえのない存在だった。ハルというのは、ウサギの名前だよ」
「……ウサギ」
――ハルだけが僕の温もりであり、家族だから
目を閉じて、彼の胸に耳を寄せた。心臓がドキドキしている。
本当に、なぜ分からなかったのだろう。鈍いにもほどがある。智哉さんはいつもこんな風に、優しく抱きしめてくれた。髪を撫でてくれたのに。
「あなたがウサギの世話をしていたのは、知ってたんです。若月さんから聞いて……」
母親が男を連れ込むたびに家を追い出され、ウサギ小屋で夜を明かしたことも。でも、この人は温もりをもらっていたのだ。ハルという名前のウサギに。
「君の名前は春菜。友達や家族に『ハル』と呼ばれていたと聞いて、僕は運命を感じたんだ。君がハルの生まれ変わりで、僕と家族になるために現れた気がして、とても嬉しかった」
「運命……?」
「大の男が、バカみたいだろ」
そんなことはない。私だって、智哉さんとの出会いを運命だと思った。運命と感じる要素がいくつもあれば、それはもう偶然じゃないと人は思い込む。都合の良い解釈をする。
だけど肝心なのは、その人の幸せを願うことだと今なら分かる。巡り合わせや偶然に酔わず、冷静になってみれば、分かってくる。
「ハルはいつ、死んでしまったの?」
髪を撫でる手が止まった。私が顔を上げると、智哉さんは悲しそうに微笑んでいた。
「聞いてくれるのか」
うなずく私をもう一度抱きしめてから、彼は歩きだした。小さな子どものように、しっかりと手を繋いで。
0
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
引きこもり名探偵、倫子さんの10分推理シリーズ
針ノ木みのる
ミステリー
不労所得の末、引きこもり生活を実現した倫子さん。だが、元上司である警察官に恩がある為仕方なく捜査協力をする。持ち合わせの資料と情報だけで事件を読み解き、事件を解決へと導く、一事件10分で読み切れる短編推理小説。
怪奇事件捜査File1首なしライダー編(科学)
揚惇命
ミステリー
これは、主人公の出雲美和が怪奇課として、都市伝説を基に巻き起こる奇妙な事件に対処する物語である。怪奇課とは、昨今の奇妙な事件に対処するために警察組織が新しく設立した怪奇事件特別捜査課のこと。巻き起こる事件の数々、それらは、果たして、怪異の仕業か?それとも誰かの作為的なものなのか?捜査を元に解決していく物語。
File1首なしライダー編は完結しました。
※アルファポリス様では、科学的解決を展開します。ホラー解決をお読みになりたい方はカクヨム様で展開するので、そちらも合わせてお読み頂けると幸いです。捜査編終了から1週間後に解決編を展開する予定です。
※小説家になろう様・カクヨム様でも掲載しています。
彩霞堂
綾瀬 りょう
ミステリー
無くした記憶がたどり着く喫茶店「彩霞堂」。
記憶を無くした一人の少女がたどりつき、店主との会話で消し去りたかった記憶を思い出す。
以前ネットにも出していたことがある作品です。
高校時代に描いて、とても思い入れがあります!!
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
三部作予定なので、そこまで書ききれるよう、頑張りたいです!!!!
戦憶の中の殺意
ブラックウォーター
ミステリー
かつて戦争があった。モスカレル連邦と、キーロア共和国の国家間戦争。多くの人間が死に、生き残った者たちにも傷を残した
そして6年後。新たな流血が起きようとしている。私立芦川学園ミステリー研究会は、長野にあるロッジで合宿を行う。高森誠と幼なじみの北条七美を含む総勢6人。そこは倉木信宏という、元軍人が経営している。
倉木の戦友であるラバンスキーと山瀬は、6年前の戦争に絡んで訳ありの様子。
二日目の早朝。ラバンスキーと山瀬は射殺体で発見される。一見して撃ち合って死亡したようだが……。
その場にある理由から居合わせた警察官、沖田と速水とともに、誠は真実にたどり着くべく推理を開始する。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ファクト ~真実~
華ノ月
ミステリー
主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。
そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。
その事件がなぜ起こったのか?
本当の「悪」は誰なのか?
そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。
こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!
よろしくお願いいたしますm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる