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春菜と智哉
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「ゲームのダンジョンみたい」
「はは、確かに」
智哉さんは平気そうだが、私は奥へ進むにつれて心臓がバクバクしてきた。古い坑道は、モンスターが出現しそうな不気味さがある。
それでも恐る恐る進んでいくと、坑道が四方に分かれた交差点みたいなところに出た。
「わっ」
突然、パッと明るくなった。びっくりして智哉さんにつかまると、彼が地面を指差す。
「人感センサー付きのライトだよ」
「ラ、ライト?」
足もとに円盤型の小型照明が置いてあった。しがみついたのが恥ずかしくて、彼からサッと離れる。
「きゅ、急に明るくなるから、驚いちゃった。えっと……今、どの辺りなの?」
「あと20メートルも行けば、崖崩れの現場だ」
「そうなんだ。それにしても、地下って本当に真っ暗なのね」
もっとあちこちにライトを置けばいいのに。と言いかけたが、やめた。出口が塞がった通路など今後は使えない。提案は無意味である。
「まだ9時半か」
智哉さんがスマートフォンで時間を確かめた。そういえば、私はスマホを持っていない。病院を脱出する時、老人に没収されてしまった。
スマホは処分されたものとあきらめたが、最後に着信した、母親からの電話が気になった。心配してかけてきたのに、出られなかったから。
(お母さん……)
今朝のニュースで、私と智哉さんが土砂に流されたと報道されただろう。また週刊誌やネットに、あることないこと書き立てられてしまう。
娘の安否が不明な上に、あらぬ噂を流される。私のせいで、母がどれだけ辛い思いをするのか……想像するだけで胸が痛む。
私は親不孝者だ。
「疲れただろ。少し休もう」
「あ、うん」
瞼をこすってから、彼の横に腰を下ろした。
泣いたって仕方がない。今の自分は、とにかく助かった命を大切にする。いつか必ず、帰ることができると信じて。
「……気を失った君を、ここまで担いできた」
「え?」
昨夜の話である。ガードレールから落ちた後のこと。
「君は僕の背中でグッタリして、ぴくりとも動かない。一旦背中から降ろして呼びかけたけど、まったく起きなかったな。でも息はしてるし、脈拍も正常。ぐっすり眠ってるだけだと分かって、本当に安心したよ」
「ご、ごめんなさい」
つまり、気を失ったというより寝落ちである。我ながら呆れてしまう。
「で、もう一度背負い直そうとして、君がパンプスを握りしめていることに気づいた。その時、発信機を見つけたんだ」
「あ……」
智哉さんにとっては裏切りの証拠である。私は気まずくなるが、彼は特に感情を表さず、かえって励ますように言った。
「驚いたけど、電波が届くこともないから、焦りはしなかった。気にしなくていい」
「う、うん」
智哉さんから目を逸らし、側坑口へと続く通路の先を見つめた。
気にするなと言われても、私が警察に協力したのは事実。しかも自ら進んで、発信機を使ったのだ。
(でも結果的に、私は智哉さんの傍にいる)
警察が追跡できたのは、崖崩れが起きた地点まで。坑道に逃げ込んだとは知る由もなく、今頃はもう、私も智哉さんも死んだと思われている。
助かったと推測できるとすれば、三国だけ。
「あっ、でも、電波が届かないってことは……」
三国とも連絡がとれない。潜伏場所は圏外である。
彼の助けなしで逃げ切るのは難しいだろう。しかし智哉さんは慌てた様子もなく、
「そうだなあ。どうしようか……」
人ごとのようにつぶやいた。私はますます、彼の心情が分からなくなる。
(もしかして、失敗した場合のプランBがあったりして。三国のことだから、きっとそれくらい用意している。だから智哉さんも、落ち着いていられるんだわ)
三国は一見、どこにでもいそうな中年男性だが、やることが普通とは異なる。はっきり言って、カタギではない。
彼の正体は、一体……
「あの、ところで智哉さん。さっきの話だけど……」
歩きながら話すと言ったのを、私も忘れていた。
「三国のことか」
「はい」
しばし沈黙する。
話すことに迷いがあるのか、それとも、何から話せばいいのか分からないのか。どちらにせよ根気よく待つつもりだったが、彼はじきに立ち上がった。
「……とりあえず、ここを出よう」
通路を引き返して、坑道を出た。
暗い場所にいたせいか、森の緑がまぶしい。ヘリの音がまだ聞こえている。
智哉さんはずっと無言だったが、川が見える場所まで戻ると、ようやく口を切った。
「三国は元警察官。親が死んだ時、事故を調査したのが彼だった」
「元警察官……」
驚くと同時に納得した。三国が警察の捜査に詳しいのは経験があったからだ。事故の調査と言えば交通課の仕事だが、警察官は警察官である。
「お母さんが亡くなった、交通事故のことだね」
「ああ。若月さんから聞いたんだろ?」
「うん……」
ちょうど今頃の季節。
智哉さんの母親が、交際相手の北城という男とともに亡くなった。男が運転する車はカーブを曲がりきれず、崖下に落ちて大破したと聞く。
車ごと、彼らは炎上したのだ。
「はは、確かに」
智哉さんは平気そうだが、私は奥へ進むにつれて心臓がバクバクしてきた。古い坑道は、モンスターが出現しそうな不気味さがある。
それでも恐る恐る進んでいくと、坑道が四方に分かれた交差点みたいなところに出た。
「わっ」
突然、パッと明るくなった。びっくりして智哉さんにつかまると、彼が地面を指差す。
「人感センサー付きのライトだよ」
「ラ、ライト?」
足もとに円盤型の小型照明が置いてあった。しがみついたのが恥ずかしくて、彼からサッと離れる。
「きゅ、急に明るくなるから、驚いちゃった。えっと……今、どの辺りなの?」
「あと20メートルも行けば、崖崩れの現場だ」
「そうなんだ。それにしても、地下って本当に真っ暗なのね」
もっとあちこちにライトを置けばいいのに。と言いかけたが、やめた。出口が塞がった通路など今後は使えない。提案は無意味である。
「まだ9時半か」
智哉さんがスマートフォンで時間を確かめた。そういえば、私はスマホを持っていない。病院を脱出する時、老人に没収されてしまった。
スマホは処分されたものとあきらめたが、最後に着信した、母親からの電話が気になった。心配してかけてきたのに、出られなかったから。
(お母さん……)
今朝のニュースで、私と智哉さんが土砂に流されたと報道されただろう。また週刊誌やネットに、あることないこと書き立てられてしまう。
娘の安否が不明な上に、あらぬ噂を流される。私のせいで、母がどれだけ辛い思いをするのか……想像するだけで胸が痛む。
私は親不孝者だ。
「疲れただろ。少し休もう」
「あ、うん」
瞼をこすってから、彼の横に腰を下ろした。
泣いたって仕方がない。今の自分は、とにかく助かった命を大切にする。いつか必ず、帰ることができると信じて。
「……気を失った君を、ここまで担いできた」
「え?」
昨夜の話である。ガードレールから落ちた後のこと。
「君は僕の背中でグッタリして、ぴくりとも動かない。一旦背中から降ろして呼びかけたけど、まったく起きなかったな。でも息はしてるし、脈拍も正常。ぐっすり眠ってるだけだと分かって、本当に安心したよ」
「ご、ごめんなさい」
つまり、気を失ったというより寝落ちである。我ながら呆れてしまう。
「で、もう一度背負い直そうとして、君がパンプスを握りしめていることに気づいた。その時、発信機を見つけたんだ」
「あ……」
智哉さんにとっては裏切りの証拠である。私は気まずくなるが、彼は特に感情を表さず、かえって励ますように言った。
「驚いたけど、電波が届くこともないから、焦りはしなかった。気にしなくていい」
「う、うん」
智哉さんから目を逸らし、側坑口へと続く通路の先を見つめた。
気にするなと言われても、私が警察に協力したのは事実。しかも自ら進んで、発信機を使ったのだ。
(でも結果的に、私は智哉さんの傍にいる)
警察が追跡できたのは、崖崩れが起きた地点まで。坑道に逃げ込んだとは知る由もなく、今頃はもう、私も智哉さんも死んだと思われている。
助かったと推測できるとすれば、三国だけ。
「あっ、でも、電波が届かないってことは……」
三国とも連絡がとれない。潜伏場所は圏外である。
彼の助けなしで逃げ切るのは難しいだろう。しかし智哉さんは慌てた様子もなく、
「そうだなあ。どうしようか……」
人ごとのようにつぶやいた。私はますます、彼の心情が分からなくなる。
(もしかして、失敗した場合のプランBがあったりして。三国のことだから、きっとそれくらい用意している。だから智哉さんも、落ち着いていられるんだわ)
三国は一見、どこにでもいそうな中年男性だが、やることが普通とは異なる。はっきり言って、カタギではない。
彼の正体は、一体……
「あの、ところで智哉さん。さっきの話だけど……」
歩きながら話すと言ったのを、私も忘れていた。
「三国のことか」
「はい」
しばし沈黙する。
話すことに迷いがあるのか、それとも、何から話せばいいのか分からないのか。どちらにせよ根気よく待つつもりだったが、彼はじきに立ち上がった。
「……とりあえず、ここを出よう」
通路を引き返して、坑道を出た。
暗い場所にいたせいか、森の緑がまぶしい。ヘリの音がまだ聞こえている。
智哉さんはずっと無言だったが、川が見える場所まで戻ると、ようやく口を切った。
「三国は元警察官。親が死んだ時、事故を調査したのが彼だった」
「元警察官……」
驚くと同時に納得した。三国が警察の捜査に詳しいのは経験があったからだ。事故の調査と言えば交通課の仕事だが、警察官は警察官である。
「お母さんが亡くなった、交通事故のことだね」
「ああ。若月さんから聞いたんだろ?」
「うん……」
ちょうど今頃の季節。
智哉さんの母親が、交際相手の北城という男とともに亡くなった。男が運転する車はカーブを曲がりきれず、崖下に落ちて大破したと聞く。
車ごと、彼らは炎上したのだ。
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