恋の記録

藤谷 郁

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春菜と智哉

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智哉さんは換気のためにと、ドアを開けっ放しにした。

手際よく湯を沸かし、コーヒーを淹れる姿を見て、私は納得する。

ここはやはり、智哉さんの潜伏場所。逃走して以来、こんな風に一人で生活してきたのだ。三国の力を借りて。


「はい、どうぞ」


ステンレスのカップを私に手渡す。温かいコーヒーは良い香りがした。


「ありがとう」

「質素だけど、なかなか美味いよ。僕はもう食べ飽きたけどね」


パンにジャムを塗り、缶詰のツナとピクルスでサラダも作ってくれた。紙皿に盛り付けられたそれらを、遠慮なくいただく。


「ほんとだ、美味しい」

「だろ?」


こんな状況でもお腹が空くし、ごはんが美味しい。自分の逞しさに呆れつつ、久しぶりに智哉さんと朝食を囲んだ。


「晴れてるけど、わりと肌寒いね」


ドアを開けてあるので風が通る。山の空気は下界に比べてかなり冷たい。


「ああ。夜になると、もっと気温が下がる。上着を貸そうか?」

「ううん、これくらいなら、まだ大丈夫……あっ、そういえば私のパーカーは?」


長袖を着ていたことを思い出し、智哉さんに訊いた。彼は部屋の奥を指差し、


「ずぶ濡れだったから、干しておいた」


見ると、壁際に渡したロープに掛けてあった。彼の下着やタオルもぶら下がっている。


「君も洗濯するといいよ。さすがに下着は貸せないからね」

「えっ、でも、水がないんじゃ」

「少し下りたところに川がある。いつもそこで洗ってるんだ」

「そうなの? 川で洗濯なんてすごい。昔話みたい」


私の言い方が可笑しかったのか、智哉さんがぷっと噴き出した。


「そんな、笑わなくても」

「いや、なんか面白かった」


まだ笑っている。私まで可笑しくなって二人で笑い合う。


「……教えるよ。さっきの質問の答え」

「えっ?」


ふと、智哉さんが笑みを収めた。食器を置いて、二杯目のコーヒーを入れる。私の分も入れてから、静かに話し始めた。

どうして自分たちが助かったのか。


「この辺りは昔、鉱山だった。昭和の終わり頃に閉山したが、施設は完全に解体されないまま、とある法人に売却された。しかし何年か後、その法人も使い道のない土地を持て余し、二束三文の値段で売却処分した。買い取ったのは、三国仁志だ」

「つまり、この場所は三国が用意したってことなのね」


私の問いに、智哉さんが頷く。

山奥の鉱山跡地。すると、この建物はその頃に使っていた事務所とか、倉庫かもしれない。


「でも、三国仁志の土地なら、警察の捜査に引っかかるはずだわ。どうして踏み込まれないの?」

「所有者は別人になってる。あの男は、そういった土地をあちこちに持っているらしい」

「な、何のために」

「さあね。いろいろ利用できるんだろう」


三国は裏社会の人間なのだろうか。確かに、やることなすこと普通ではないが……


「それで、僕らが助かった理由だけど」

「あ、うん」


いろいろ気になるが、まずは最初の疑問から解消したい。智哉さんの話に耳を傾けた。


「鉱山の施設はほとんど解体されたが、実はまだ、地下に坑道の一部が残っている」

「坑道……って、トンネルみたいな通路のこと?」

「ああ。そのメインロードが、崖崩れが起きた場所からここまで続いている。ガードレールの下に、側坑口に繋がる出入り口があって、土砂に流される前に君と一緒に転がり込んだわけ。あと数秒遅かったら、終わりだったな」

「ええっ!?」


驚くべき事実だった。あの場所に、そんな仕掛けがあったとは。だから智哉さんはガードレールを乗り越えようとしたのだ。


「じゃあ、その……坑道の出入り口を使って、食料や何かを運んだの?」

「そう。ガードレールの前まで、三国が物資を届けてくれた。夜になると車がまったく通らないし、誰にも気づかれなかったよ。それに、あの辺りなら電話が通じるから、これも」


智哉さんがポケットからスマホを取り出した。潜伏して間もなく、三国が用意したそうだ。足のつかない携帯である。


「だから僕は連絡待ちのために、ほとんど側坑口で生活してたんだ。食糧や調理器具をザックに詰めてね。でも、君をあんなところに寝かせられないから、この建物……管理棟まで運んできたってわけ」




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