恋の記録

藤谷 郁

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素足

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「あなたは、自分が何をしたか分かってるの? 勝手な思い込みと願望のために、他人を犠牲にしたのよ。山賀さんだけじゃない。鳥宮さんも、そうなんだよね?」

「……」


智哉さんが笑みを収める。

無言の返事は肯定と同じだ。私は恐ろしさに耐えながら、真相を確かめた。


「過去を上書きするために、鳥宮さんを殺したの?」

「……鳥宮は、君の部屋に侵入しようとして、落ちたんだ」


答えるまで間があった。なぜなら、この人は嘘をついている。


「あなたがそうなるように仕向けたんでしょう? 鳥宮さんとの関わりを示す証拠を、警察が掴んでるわ」

「へえ。どんな証拠を」

「それは……」


証拠について、東松さんは具体的に言わなかった。捜査上、教えられないのだ。

言葉に詰まる私を、智哉さんが余裕の顔で見つめる。またもや頭に血が上りそうになるが、冷静になれと自分に言い聞かせた。


「鳥宮さんのお母さんが、証言したのよ。何か、決定的な証拠を出したって、東松さんが……」

「ハル」


低い声にドキッとする。彼の目の奥に、暗いほむらが揺れるのが見えた。


「君は警察に利用されてるんだ。やつらは僕を陥れるために、適当なストーリーを作り上げ、君に吹き込んでる。あんな連中に惑わされず、僕たちの未来を考えてくれ」

「未来?」

「そうだよ。今、三国が段取りしてくれてる。僕らは日本を出て、まったく新しい世界で生きるんだ」

「……本気で言ってるの?」

「もちろん。行き先も決めてある」


信じられない。この人はまるで、サイコパスだ。


「それは、罪から逃げるってことだよ? 少なくとも智哉さんは、古池店長を殺してる。人を殺して、罪を償わずに逃げるなんて、私は許せない」

「罪?」


感情のない声でつぶやき、不思議そうに首を傾げた。


「古池を生かしておけば、君に危害が及ぶ。無期懲役になれば釈放もあり得るんだぞ。それに、罪を犯したのは古池であって、僕は悪人を退治したに過ぎない」

「は……?」

「上っ面の正義が何の役に立つ? 悪を蔓延らせるだけだ」

「……」


私は絶句する。やはりこの人は、サイコパスだ。なぜこんな風になってしまったのだろう。生い立ちのせい? それとも他に理由があるの?

あまりにも悲しすぎる。


「ハル。僕の言うとおりにしろ。いつかきっと、正解だったと分かる」


無力感に苛まれた。彼を説得し、罪を償わせようなんて私には無理。とんだ自惚れだったと、ようやく理解する。

私は智哉さんに、これっぽちも愛されていない。それがすべてだった。


「もう、思い通りにはならない。一人で勝手に、未来を生きればいいわ。あなたに付いていくくらいなら、死んだほうがマシよ!」


シートベルトを外し、足もとにあるパンプスを掴む。


出会わなければよかった――


ドアを開けて、外に飛び出した。

「ハル!!」


私はハルじゃないと、何度言ったら分かるのか。いや、彼は私の意思などどうでもいい。自分のことしか考えられないのだ。


「どこに行くんだ!」

「来ないでよ。あんたなんか、大嫌い!」


彼が車を降りて、追いかけてくる気配があった。

だけど私は後ろを振り向かず、山道を全力で駆け下りる。雨水が流れる道路は、まるで川のよう。真っ暗な絶望へと、私も流れていく。

なにもかも、どうでもよかった。


「!?」


突然、光を浴びた。

足を止め、まぶしさに戸惑いながら前を見ると、車が上ってくる。何台か連なり、すごい勢いで近づいてくる。


「下がってください!」

「ひっ?」


ガードレールの陰から人が飛び出してきて、私を捕まえた。引っ張られてのけぞったすぐ前に車が停まる。


「な、何なの? 何が起きたの!?」

「警察です。落ち着いてください」

「ええっ?」


車から次々に人が降りてきた。呆気に取られながら、私を支えるその人を確認する。体格が良く力も強いが、顔を見ると女性だった。


「警察の人、ですか?」

「岐阜県警の浅野あさのと申します。埼玉県警緑署より共助の依頼を受け、追跡してきました。一条春菜さんですね?」

「は、はい……」


ばくばくする心臓を押さえる。

すっかり忘れていた。今の状況。三国のことや、山賀さんのこと。私が、どちら側に立っていたのか。そして、握りしめたアイデンティティを。


「智哉さん……!」


ハッとして、後ろを振り向く。

車から降りた人たちが、智哉さんを取り囲んでいた。彼らも警察官だ。反対方向からも車が走ってきて、道を塞ぐ。

ヘッドライトに照らされ、呆然と立ち尽くす智哉さんを、私は震えながら見つめた。

彼はもう、逃げられない。


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