恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
205 / 236
素足

13

しおりを挟む
「あなたは、自分が何をしたか分かってるの? 勝手な思い込みと願望のために、他人を犠牲にしたのよ。山賀さんだけじゃない。鳥宮さんも、そうなんだよね?」

「……」


智哉さんが笑みを収める。

無言の返事は肯定と同じだ。私は恐ろしさに耐えながら、真相を確かめた。


「過去を上書きするために、鳥宮さんを殺したの?」

「……鳥宮は、君の部屋に侵入しようとして、落ちたんだ」


答えるまで間があった。なぜなら、この人は嘘をついている。


「あなたがそうなるように仕向けたんでしょう? 鳥宮さんとの関わりを示す証拠を、警察が掴んでるわ」

「へえ。どんな証拠を」

「それは……」


証拠について、東松さんは具体的に言わなかった。捜査上、教えられないのだ。

言葉に詰まる私を、智哉さんが余裕の顔で見つめる。またもや頭に血が上りそうになるが、冷静になれと自分に言い聞かせた。


「鳥宮さんのお母さんが、証言したのよ。何か、決定的な証拠を出したって、東松さんが……」

「ハル」


低い声にドキッとする。彼の目の奥に、暗いほむらが揺れるのが見えた。


「君は警察に利用されてるんだ。やつらは僕を陥れるために、適当なストーリーを作り上げ、君に吹き込んでる。あんな連中に惑わされず、僕たちの未来を考えてくれ」

「未来?」

「そうだよ。今、三国が段取りしてくれてる。僕らは日本を出て、まったく新しい世界で生きるんだ」

「……本気で言ってるの?」

「もちろん。行き先も決めてある」


信じられない。この人はまるで、サイコパスだ。


「それは、罪から逃げるってことだよ? 少なくとも智哉さんは、古池店長を殺してる。人を殺して、罪を償わずに逃げるなんて、私は許せない」

「罪?」


感情のない声でつぶやき、不思議そうに首を傾げた。


「古池を生かしておけば、君に危害が及ぶ。無期懲役になれば釈放もあり得るんだぞ。それに、罪を犯したのは古池であって、僕は悪人を退治したに過ぎない」

「は……?」

「上っ面の正義が何の役に立つ? 悪を蔓延らせるだけだ」

「……」


私は絶句する。やはりこの人は、サイコパスだ。なぜこんな風になってしまったのだろう。生い立ちのせい? それとも他に理由があるの?

あまりにも悲しすぎる。


「ハル。僕の言うとおりにしろ。いつかきっと、正解だったと分かる」


無力感に苛まれた。彼を説得し、罪を償わせようなんて私には無理。とんだ自惚れだったと、ようやく理解する。

私は智哉さんに、これっぽちも愛されていない。それがすべてだった。


「もう、思い通りにはならない。一人で勝手に、未来を生きればいいわ。あなたに付いていくくらいなら、死んだほうがマシよ!」


シートベルトを外し、足もとにあるパンプスを掴む。


出会わなければよかった――


ドアを開けて、外に飛び出した。

「ハル!!」


私はハルじゃないと、何度言ったら分かるのか。いや、彼は私の意思などどうでもいい。自分のことしか考えられないのだ。


「どこに行くんだ!」

「来ないでよ。あんたなんか、大嫌い!」


彼が車を降りて、追いかけてくる気配があった。

だけど私は後ろを振り向かず、山道を全力で駆け下りる。雨水が流れる道路は、まるで川のよう。真っ暗な絶望へと、私も流れていく。

なにもかも、どうでもよかった。


「!?」


突然、光を浴びた。

足を止め、まぶしさに戸惑いながら前を見ると、車が上ってくる。何台か連なり、すごい勢いで近づいてくる。


「下がってください!」

「ひっ?」


ガードレールの陰から人が飛び出してきて、私を捕まえた。引っ張られてのけぞったすぐ前に車が停まる。


「な、何なの? 何が起きたの!?」

「警察です。落ち着いてください」

「ええっ?」


車から次々に人が降りてきた。呆気に取られながら、私を支えるその人を確認する。体格が良く力も強いが、顔を見ると女性だった。


「警察の人、ですか?」

「岐阜県警の浅野あさのと申します。埼玉県警緑署より共助の依頼を受け、追跡してきました。一条春菜さんですね?」

「は、はい……」


ばくばくする心臓を押さえる。

すっかり忘れていた。今の状況。三国のことや、山賀さんのこと。私が、どちら側に立っていたのか。そして、握りしめたアイデンティティを。


「智哉さん……!」


ハッとして、後ろを振り向く。

車から降りた人たちが、智哉さんを取り囲んでいた。彼らも警察官だ。反対方向からも車が走ってきて、道を塞ぐ。

ヘッドライトに照らされ、呆然と立ち尽くす智哉さんを、私は震えながら見つめた。

彼はもう、逃げられない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〖完結〗私はあなたのせいで死ぬのです。

藍川みいな
恋愛
「シュリル嬢、俺と結婚してくれませんか?」 憧れのレナード・ドリスト侯爵からのプロポーズ。 彼は美しいだけでなく、とても紳士的で頼りがいがあって、何より私を愛してくれていました。 すごく幸せでした……あの日までは。 結婚して1年が過ぎた頃、旦那様は愛人を連れて来ました。次々に愛人を連れて来て、愛人に子供まで出来た。 それでも愛しているのは君だけだと、離婚さえしてくれません。 そして、妹のダリアが旦那様の子を授かった…… もう耐える事は出来ません。 旦那様、私はあなたのせいで死にます。 だから、後悔しながら生きてください。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全15話で完結になります。 この物語は、主人公が8話で登場しなくなります。 感想の返信が出来なくて、申し訳ありません。 たくさんの感想ありがとうございます。 次作の『もう二度とあなたの妻にはなりません!』は、このお話の続編になっております。 このお話はバッドエンドでしたが、次作はただただシュリルが幸せになるお話です。 良かったら読んでください。

ピエロの嘲笑が消えない

葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

パパー!紳士服売り場にいた家族の男性は夫だった…子供を抱きかかえて幸せそう…なら、こちらも幸せになりましょう

白崎アイド
大衆娯楽
夫のシャツを買いに紳士服売り場で買い物をしていた私。 ネクタイも揃えてあげようと売り場へと向かえば、仲良く買い物をする男女の姿があった。 微笑ましく思うその姿を見ていると、振り向いた男性は夫だった…

失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

本見りん
ミステリー
交通事故に遭った沙良が目を覚ますと、そこには婚約者の拓人が居た。 一年前の交通事故で沙良は記憶を失い、今は彼と結婚しているという。 しかし今の沙良にはこの一年の記憶がない。 そして、彼女が記憶を失う交通事故の前に見たものは……。 『○曜○イド劇場』風、ミステリーとサスペンスです。 最後のやり取りはお約束の断崖絶壁の海に行きたかったのですが、海の公園辺りになっています。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...