恋の記録

藤谷 郁

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素足

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呼び出し音が2回鳴った後、三国が応答した。


『じいさんから報告をもらった。うまく脱出したようだな』

「はい」


無意識に声をひそめる。三国の声を聞き、急に緊張してきた。


『無駄話はしない。今から俺の指示どおりに動いてくれ』

「分かりました」


この男はどこにいるのだろう。案外近くにいるのではと思いながら、耳を澄ました。


『車を降りたら、まずは後ろの柵を越えて駐車場を出る。次に裏の斜面を階段で下りて、路駐した軽自動車の運転席に乗り込むんだ。そこまで済んだら、また電話をかけろ』


ぷつりと通話が切れた。


(つまり、この先は自分で運転しろってこと?)


とにかく車を降りた。

駐車場は人の気配がないが、車は何台か停まっている。警察の見守りを期待しながら柵を越えた。

サービスエリアの裏手は山際で、木々がうっそうとしている。下を覗くが、暗くてよく見えない。斜面に設置された鉄製の階段を、一段ずつ慎重に下りた。

三国が言ったとおり、道に軽自動車が停めてあった。ノブを引くとドアが開いたので、運転席に乗り込む。

リュックを助手席に置き、再び電話をかけた。


「車に乗りました」

『ドアポケットに鍵が入っている。エンジンをかけたら、ナビにセット済みのルートを目的地まで走れ』


彼はまだ電話を切らない。

通話をスピーカーにしてからダッシュボードのホルダーに差し、エンジンを始動させた。カーナビが起動し、目的地までのルート案内が開始される。

到着予想時刻は30分後の午前0時18分。目的地は山道の途中だった。


「……ここに、何かあるんですか?」

『目的地は通過地点だ。まずはそこまで走ってくれ』


よく分からないが、黙って従うほかない。シートベルトを締めて、ハンドルを握る。


「じゃあ、出発します」

『ちょっと待て』


身体がビクッと震えた。怒っているかのような、鋭い制止だった。


「な、何ですか?」

『少し、気になることがあってな』


思わずリュックに目をやり、すぐに前を見た。フロントガラスにドラレコのカメラがある。もしかしたら、こちらの様子を遠隔で見ているのかもしれない。

『病院を出て5時間が過ぎた。警察は今頃、あんたを必死になって捜しているだろう。しかし、そのわりに検問やパトロールが通常どおりで、静かすぎるんだ。もっと強化されてもいいはずなのに』

「……それって、どういう」

『警察の動きが不自然なんだよ』


なぜそんなことが分かる? 三国が何者なのかあらためて疑問が湧くが、それは表に出さず、適当なことを言ってみた。


「病院の近くを捜してるんじゃないですか。まさか、こんな遠くに来てるとは思わず」

『いや、岐阜は水樹の故郷。こっち方面は重点的にチェックするはずだ』


確かにそのとおりだ。三国はリスクを承知の上で、逃走計画を練ったのだろう。なんらかの方法を使い、警察の動きをあるていど把握している?


(まさか……)


澱んだ沈黙が下りる。口を切ったのは三国だった。


『山賀とじいさんは信用できる。失礼だが、あんたのことは疑わざるをえない』

「えっ……」


三国の言い方は慇懃だが、直球だった。

胸がばくばくする。ばれるわけがないのに、どうしてか見透かされた気がして、焦燥感に駆られる。なんとか誤魔化さなければ。


「私に、何ができるって言うんです。山賀さんを人質に取られてるのに」

『俺もそう思うが、可能性はゼロじゃない』

「どうしろって言うの?」


開き直って、強気に出る。しかし、彼は追撃を止めなかった。


『とりあえず、荷物を捨ててくれ』

「荷物?」


助手席のリュックを見やった。すると、三国が「そう、その荷物だ」と言う。やはり彼は、私を監視している。


『車の横に藪があるだろう。その中に放り投げろ』

「そんなこと、できません……財布とか、免許証とか、大事なものが入ってるんです!」


最も大事なものは発信機だ。これを失ったら、私は孤立無援である。


『金なら俺が用意するし、免許の類もどうとでもなる。なんなら、あんたの身一つで構わないんだ』

「でも」

『どうして捨てられない?』


どんづまりだ。これ以上抵抗したら、三国の疑いは決定的になる。私は急いで考えを巡らせ、その結果、従うことに決めた。

どうなるのか、分からないけれど――


「分かりました、荷物は捨てます。でも、これだけは……」


私はリュックを探り、それを取り出してドラレコの前に掲げた。


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