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素足
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「救われたとは、一体……というか、あの人の名前をご存じだったんですね」
「はい。苗字だけですが、教えてもらいました。その他のことは何も知りません。でも、私は彼に感謝しているのです。とても」
「?」
こんなことに巻き込まれて、感謝する意味が分からない。
「一条さん。あなたと私は事情も立場も違う。分かってもらえないかもしれませんが……」
老人は前置きしてから、ぽつぽつと話し始めた。
「私は数ヶ月前まで、中小企業の社長でした。しかし会社が倒産して、今はこのとおりです」
倒産の原因は、先代から付き合いのある大手取引先の裏切りだった。
共同開発という形で新規事業を持ち掛けられ、巨額の設備投資を行ったが、条件の良い競合他社に突然乗り換えられて計画は頓挫。
老人は取引先を信用し、保証を確保していなかった。リスクヘッジを怠ったばかりに億単位の負債を抱え、会社も資産も、家族すらも失ったという。
「残ったのは借金と、夢も希望もない老体のみ。ツテを頼って就職したものの、給料は知れています。収入を増やすため清掃のアルバイトを始めたころ、三国さんに声をかけられました」
三国は病院の中に協力者が必要だった。どうやってか老人の事情を調べて、近づいたのだ。
「『人助けを手伝ってほしい。協力してくれたら借金を全額肩代わりする』。三国さんの説明はそれだけでした。私は最初、借金は地道に返すつもりだからと、お断りしました。彼が何者か分からないし、危ない話だと思ったので。でもあの人は、断った私にお節介を焼いたのです」
「お節介?」
老人はコーヒーを飲み干し、まぶしそうに目を細めた。
「その夜遅く、アパートに帰ると三国さんが部屋の前で待っていました。びっくりする私に、彼は落ち着き払って『借金は返しておいた』なんて言うんです。悪い冗談だと思いながら口座を調べると、本当に借金がゼロになっている。『どうせいらない金だから気にするな』と、あっさり立ち去ろうとする彼を慌てて追いかけ、理由を聞きましたよ。頼みを断った私に、なぜそんなお節介をするのかと」
老人の痩せた頬に赤みが差す。口調も熱を帯びてきた。
「腹が立つからだと、三国さんは言いました。裏切ったやつが悪いのに、なぜじいさんがすべて背負い込む。理不尽の犠牲になるなと、怒ってくれたのです。その瞬間、私は驚くより先に、救われたと感じました。生きていて良かったと心から思えたんです。本当を言うと、会社を潰してからの私は鬱々として、地道に借金を返すどころか、いつ死んでもおかしくない状態でしたから。従業員や家族に申しわけなくて、そのぶん自分を裏切った相手が憎くて憎くて、堪らなかった」
「おじいさん……」
この人は、とてつもなく孤独だった。消え入りそうな老人の内なる感情に、三国は寄り添ったのだ。
だけど、三国にとって老人は赤の他人だ。しかも協力を断られた相手なのに、なぜ同情するのだろう。
「これは私の想像ですが……」
疑問を察したのか、老人が推測を述べた。
「三国さんはこれまで、理不尽な場面をたくさん見てきたのでしょう。青年を助けたいというのも、その経験からきているのかもしれません。彼は今回のことで、財産とか地位とか、すべてを捨てたようです。なぜそこまでするのか分かりませんが、私は、そんな彼を助けたいと思ったわけです」
「罠かもしれませんよ。自ら協力させるために、あなたに恩を売ったのかも」
無神経な発言だけど、私はあの男を信用できない。山賀さんを人質に取られている。
「それならそれで構いません。理不尽を憎む彼の気持ちは痛いほど伝わってきたし、私を救ってくれたのも事実。苦しいだけの現世に光明を見いだせたのだから、感謝しかない」
「でも、あの人が正しいとは思えません」
「一条さんが理解できないのは尤もです。三国さんは青年を助けることしか頭にないようで、あなたの意思などまったくの無視。山賀さんもていよく利用されている。彼は善人というわけではありませんから」
「そうですよ。あの男は、私から見れば悪人です」
老人は反論しない。人によって善にも悪にもなる三国を認めているのだ。
「私は、詳しいことは何も知りません。水樹という青年と一条さんの関係も、マスコミが報じるような単純なものではなさそうですし、誰が正しいのかも判断できない。ただ私は、三国さんのためにできる限りのことをするだけです」
老人は背筋を伸ばし、目を輝かせた。
つまり光明とは、生きる希望なのだ。逮捕されても、刑務所行きになっても、この人は後悔しないだろう。
「私が智哉さんに会って、そのあとはどうなると思いますか」
「そうですねえ。たぶん……」
老人は長考の後、にこりと微笑んだ。
「三国さんはきっと、人生をやり直すための道を用意してくれます。青年と、あなたのために。だから、最後まで頑張りましょう」
「はい。苗字だけですが、教えてもらいました。その他のことは何も知りません。でも、私は彼に感謝しているのです。とても」
「?」
こんなことに巻き込まれて、感謝する意味が分からない。
「一条さん。あなたと私は事情も立場も違う。分かってもらえないかもしれませんが……」
老人は前置きしてから、ぽつぽつと話し始めた。
「私は数ヶ月前まで、中小企業の社長でした。しかし会社が倒産して、今はこのとおりです」
倒産の原因は、先代から付き合いのある大手取引先の裏切りだった。
共同開発という形で新規事業を持ち掛けられ、巨額の設備投資を行ったが、条件の良い競合他社に突然乗り換えられて計画は頓挫。
老人は取引先を信用し、保証を確保していなかった。リスクヘッジを怠ったばかりに億単位の負債を抱え、会社も資産も、家族すらも失ったという。
「残ったのは借金と、夢も希望もない老体のみ。ツテを頼って就職したものの、給料は知れています。収入を増やすため清掃のアルバイトを始めたころ、三国さんに声をかけられました」
三国は病院の中に協力者が必要だった。どうやってか老人の事情を調べて、近づいたのだ。
「『人助けを手伝ってほしい。協力してくれたら借金を全額肩代わりする』。三国さんの説明はそれだけでした。私は最初、借金は地道に返すつもりだからと、お断りしました。彼が何者か分からないし、危ない話だと思ったので。でもあの人は、断った私にお節介を焼いたのです」
「お節介?」
老人はコーヒーを飲み干し、まぶしそうに目を細めた。
「その夜遅く、アパートに帰ると三国さんが部屋の前で待っていました。びっくりする私に、彼は落ち着き払って『借金は返しておいた』なんて言うんです。悪い冗談だと思いながら口座を調べると、本当に借金がゼロになっている。『どうせいらない金だから気にするな』と、あっさり立ち去ろうとする彼を慌てて追いかけ、理由を聞きましたよ。頼みを断った私に、なぜそんなお節介をするのかと」
老人の痩せた頬に赤みが差す。口調も熱を帯びてきた。
「腹が立つからだと、三国さんは言いました。裏切ったやつが悪いのに、なぜじいさんがすべて背負い込む。理不尽の犠牲になるなと、怒ってくれたのです。その瞬間、私は驚くより先に、救われたと感じました。生きていて良かったと心から思えたんです。本当を言うと、会社を潰してからの私は鬱々として、地道に借金を返すどころか、いつ死んでもおかしくない状態でしたから。従業員や家族に申しわけなくて、そのぶん自分を裏切った相手が憎くて憎くて、堪らなかった」
「おじいさん……」
この人は、とてつもなく孤独だった。消え入りそうな老人の内なる感情に、三国は寄り添ったのだ。
だけど、三国にとって老人は赤の他人だ。しかも協力を断られた相手なのに、なぜ同情するのだろう。
「これは私の想像ですが……」
疑問を察したのか、老人が推測を述べた。
「三国さんはこれまで、理不尽な場面をたくさん見てきたのでしょう。青年を助けたいというのも、その経験からきているのかもしれません。彼は今回のことで、財産とか地位とか、すべてを捨てたようです。なぜそこまでするのか分かりませんが、私は、そんな彼を助けたいと思ったわけです」
「罠かもしれませんよ。自ら協力させるために、あなたに恩を売ったのかも」
無神経な発言だけど、私はあの男を信用できない。山賀さんを人質に取られている。
「それならそれで構いません。理不尽を憎む彼の気持ちは痛いほど伝わってきたし、私を救ってくれたのも事実。苦しいだけの現世に光明を見いだせたのだから、感謝しかない」
「でも、あの人が正しいとは思えません」
「一条さんが理解できないのは尤もです。三国さんは青年を助けることしか頭にないようで、あなたの意思などまったくの無視。山賀さんもていよく利用されている。彼は善人というわけではありませんから」
「そうですよ。あの男は、私から見れば悪人です」
老人は反論しない。人によって善にも悪にもなる三国を認めているのだ。
「私は、詳しいことは何も知りません。水樹という青年と一条さんの関係も、マスコミが報じるような単純なものではなさそうですし、誰が正しいのかも判断できない。ただ私は、三国さんのためにできる限りのことをするだけです」
老人は背筋を伸ばし、目を輝かせた。
つまり光明とは、生きる希望なのだ。逮捕されても、刑務所行きになっても、この人は後悔しないだろう。
「私が智哉さんに会って、そのあとはどうなると思いますか」
「そうですねえ。たぶん……」
老人は長考の後、にこりと微笑んだ。
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