恋の記録

藤谷 郁

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素足

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「班長さん、お疲れ様です。これからタクシーに乗って山賀さんのお見舞いに行ってきます」

「承知しました。いつもどおり我々も付いていきますが、気にせず行動してください。何かあったら、すぐに連絡をお願いします」


見張り役の刑事に行き先を告げてからホテルを出た。



R病院に着いたのは午後1時半ごろ。休日は外来が休みなのでロビーは人気がなく、清掃が行われている。

受付で見舞客用の札をもらってから、エレベーターホールへと向かった。山賀さんは6階の個室に入院している。南病棟と書かれた扉の前に立ち、籠が下りてくるのを待った。


「すみません。ご一緒してもよろしいでしょうか」

「?」


振り向くと、白髪頭の老人がぺこりと頭を下げた。ブルーの制服を着て、掃除道具を乗せたカートを押している。清掃スタッフのようだ。


「あ、はい。大丈夫ですよ」


エレベーターの扉が開くと、老人はぺこぺこと頭を下げながら乗り込み、6階のボタンを押した。


「すみません、狭苦しいですよね」

「いえ、そんなことは」

「専用のエレベーターがあるのですが、あいにく故障中でして」


気まずそうに笑い、カートを隅のほうに寄せる。定年後のパート勤めだろうか。真面目で人のよさそうな老人だと思った。

エレベーターはノンストップで6階まで上がり、ポーンと音が鳴って扉が開いた。


「どうも、おじゃましました」


老人はエレベーターを降りると、カートを押して歩きだした。ナースステーションを通り過ぎ、病室が並ぶ廊下を奥へと進む。私は彼の後ろをついていく格好になった。


「えっ?」


山賀小百合とプレートが付いた個室の前で、老人が立ち止まる。私に振り向くと、なぜか安心したように笑った。


「こちらの患者様にお見舞いですか?」

「え、ええ」


個室の清掃だろうか。よく分からないが、老人がノックをすると、中から「どうぞ」と声が聞こえた。


(山賀さん……!)


元気そうな声を聞いて、私は嬉しくなる。事件以降、彼女とはメールのやり取りはしたが、実際に会うのは初めてだった。

老人が扉を開けて、「どうぞ」とジェスチャーした。私はお見舞いの花かごをぎゅっと握りしめ、どきどきしながら中に入った。


「こんにちは、一条さん。お久しぶりです」


山賀さんはベッドの上で身体を起こしていた。かなり痩せたけれど、顔色が良い。呂律もはっきりしている。安堵する私を見て、嬉しそうに微笑んだ。

ベッドに近づこうとした時、背後でドアの閉まる音がした。見ると、老人が遠慮した様子でこちらを覗いている。カートは廊下に置いてきたらしく、掃除道具を手にぶら下げていた。


「山賀様、失礼します。トイレと洗面台のお掃除をさせていただきます」

「よろしくお願いします」


彼は水廻りの掃除に来たのだ。私は「お疲れ様です」と声をかけてから、山賀さんに見向く。


「お見舞いが遅くなってごめんなさい」

「一条さん、会いたかったです」


フラワーアレンジメントを渡すと、喜んでくれた。彼女らしい反応を見て緊張が解けるが、すすめられたパイプ椅子に座る前に、今回の件をきちんと謝罪した。


「本当に、なんとお詫びすればいいのか。私のせいで、あなたを酷い目に遭わせてしまって……」

「そんな、やめてください」


山賀さんは悲しそうに眉根を寄せた。


「私はリスクを承知の上で、一条さんの身代わりになったんです。水樹さんのことも、恨んでなんかいません」


予想どおりの反応だった。しかし、謝罪するのが筋であり、彼女にだけは真実を伝えるべきだと思っている。


「山賀さんだけじゃない。私も、身代わりだった」

「え……」


瞬きもせず私を見つめる彼女に、ありのままを打ち明けた。


「智哉さんが愛する人は、別にいたの。彼が守りたかったのは、その人との未来であり、私は利用されただけ。彼が、人生をやり直すために」

「……」


山賀さんは驚かなかった。

私は椅子に座り、彼女の寂しげな顔を見つめる。


「知ってたの?」

「いいえ。だけど、刑事さんにいろいろ聞かれた時に、もしかしたらって……水樹さんが前に言ってたんです……」


――ハルを失うことになったら僕は終わりだ。もう、耐えられない。


「そっか。そうだよね……気づくよね、普通」


気づかなかったのは私だけ。すっかりのぼせて、恋の虜になっていた。恥ずかしさで頬が熱くなり、彼女から目を逸らす。


「でも、水樹さんにはやっぱり、一条さんが必要なんです。店長を殺したのはあなたのため。逃げたのは生き延びるため。そして、今はあなたを連れ戻すために準備を進めている」

「……?」


山賀さんに目を戻した。


「私を連れ戻す、準備?」

「はい」


智哉さんが事件を起こしたことは、テレビやネットで知ったのだろう。だけど、彼が今どうしているのかなんて警察だって知らない。


「どういうこと?」

「すぐそこまで、迎えにきています」


彼女の視線が私の背後を指す。まさか、そんなことがあるだろうか。ばくばくする心臓を押さえながら、ゆっくりと振り向いた。

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