恋の記録

藤谷 郁

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春菜の願い

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「僕の名前と電話番号……智哉くんが、このメモをあなたに?」

「はい。困ったことがあれば連絡するようにと言われました」


若月さんは嬉しそうにするが、それも一瞬だった。


「彼は大変なことをしでかしました。ニュースで知って飛んできたんです。警察からも電話をもらいましたが」


悲しそうにつぶやく。智哉さんを怒るでも責めるでもなく、ただ心配している。そんな風に見えた。


「私は一条春菜と申します。あの、私と智哉さんとの関係については」

「ええ、存じ上げています。少し前に、結婚を考えている女性がいると智哉くんから電話をもらいました。家族ともども、紹介されるのを楽しみにしてたのですが」

「そうなんですか?」


初めて聞く話だ。そんなこと、智哉さんは一言も言わなかった。


「あの、若月さんと智哉さんは、どういったご関係でしょう。すみません、私、何も知らなくて」

「ああ……彼は、まだ話していなかったんですね」


若月さんはうんうんと頷く。


「まあ、まずはお座りください。長いこと聴取を受けて、お疲れになったでしょう。あっ、よかったら甘いものでも食べませんか? ホットケーキとかあるみたいですよ」

「えっ? いえ、私は大丈夫ですので」

「まあまあ、遠慮しないで。飲み物はホットコーヒー、それとも紅茶がいいかな?」

「あ、はあ……ではコーヒーを」


戸惑いながらも答えると、若月さんは身軽な動きで食券機へと向かった。



(靴工房Wakatsukiの、若月千尋さん……)


仕事の関係者と思ったけれど、どうやらそれだけではない。いずれにしろ智哉さんとは、かなり親しい間柄のようだ。



「いやあ、驚いた。警察署の食堂って、日替わりの夕飯メニューもあるんですねえ。今度食べてみようかなあ」


若月さんが二人分のホットケーキセットをテーブルに置き、向かい側に腰掛けた。料金を払おうとしたが、受け取ってくれない。


「ここはご馳走させてください。というか、僕が食べたかっただけなんで」


にこにこと笑うので、思わず釣られて微笑む。前にも思ったけれど、この人は実家の兄に似ている。痩せたらそっくりになるだろう。


「では、遠慮なくいただきます」


最近、食欲がなくて、ビタミンゼリーやサプリでしのいでいる。正直、あまり食べる気がしないのだが……


「美味しい……!」


ホットケーキの甘さに、心と身体が癒される感覚。コーヒーは多少刺激的だが、疲れた脳にはちょうど良い。

今の自分にピッタリの組み合わせだった。


「うん、なかなかのもんです。子どもたちに食べさせてやりたいなあ」

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「ええ、二人います」


若月さんがスマートフォンを出して、家族の写真を見せてくれた。奥さんと娘さん二人が笑顔で写っている。



「5歳と4歳の年子ですよ。もう、やんちゃでやんちゃで」

「ふふっ、可愛いですね」


写真をじっと見て、あれっと思う。顔を上げると、若月さんと目が合った。


「気のせいかもしれませんが、娘さん…‥特にお姉ちゃんのほうが、私の小さい頃にそっくりなような」

「でしょう? 僕も、初めて一条さんに会ったとき、似てる~って思ったんです。こう、目と眉と、額のあたりというか」


そうか、なるほど。写真を見直し、さらに納得する。上のお子さんは、お父さん似だ。

ということは……


「実は私も若月さんのこと、兄に似てるなと感じてたんです」

「えっ、ほんとですか? でも僕と一条さんは似てませんよね」

「確かに……髪型とか、性別の違いかしら」

「微妙なバランスでしょうね。不思議だなあ。いわゆる他人の空似ってやつですかね」


ホットケーキを頬張る彼に、兄の顔が重なる。生き別れの兄弟に出会った気分とでもいうか、妙な心地だった。


「僕も娘たちも、おばあちゃん……僕の母親似なんです。智哉くんも、『名古屋のお母さん』と呼んで、慕ってくれてました」

「えっ」


どういうことだろう。

カップを置いた私に、若月さんが緊張の面持ちになり、切り出した。


「勝手に話したら、智哉くんが怒るかもしれない。だけど、彼が初めて結婚を決めたあなたに聞いてほしいんです。ひょっとしたら困らせるだけかもって、悩んだのですが」


初めて結婚を決めた……


私は動揺するが、若月さんの真剣な顔から目が離せない。


「お話しさせてください。僕が知っている限りの、智哉くんの生い立ちについて」

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