恋の記録

藤谷 郁

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春菜の願い

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自分でもよく分からない衝動に駆られる。どうしてか、人任せにしてはいけない、そんな気がして堪らなくなった。


「トラウマは親子関係……おそらく、子どもの頃の出来事が原因です」


瀬戸さんが声に同情を滲ませる。


「斎藤陽向の事件がきっかけでフラッシュバックが起きたということは、子どもの頃に同じようなショックを受けたと想像できます」


そして智哉さんは苦しみ、人生をやり直そうとしたけれど失敗。でもまだあきらめず、逃げているのだ。


「私は、智哉さんがなぜあんなことになったのか知りたい。興味本位ではなく、純粋に知りたいのです」

「一条さん」


瀬戸さんがパソコンを脇へやり、私を正面からとらえた。


「我々の捜査にご協力願えませんか。水樹を探し出すために、あなたという存在が絶対に必要なんです」


智哉さんにとって、私は陽向さんの身代わりだった。だけど、一度は愛した男性。彼に私という人間を見てほしい。愛してくれなんて言わない。私だってもう愛せないから。

ただ、次に会う時は一条春菜として智哉さんと向き合う。そして言ってやるのだ。

逃げるのは許さないし、私を巻き込むなんてもってのほか。もう遅いかもしれないけれど、罪を償って、決着をつけて、人生をやり直すのはそれからだと。


「警察に協力します。何なりと命じてください」


瀬戸さんが安堵の表情になった。瞳には感謝の色が浮かんでいる。


「ありがとうございます。一条さんならそう言ってくれると、我々は信じていました」

「瀬戸さん……」


資料を見下ろし、そうだったのかと思い至る。

智哉さんの日記は重要な証拠品。それを開示したのは私を信用してのこと。被疑者に最も近い女であるというのに。


「本部に報告します」


東松さんが離席した。ためらわず行動するのを見て、私は確信する。

瀬戸さん、そして東松さんも、この聴取に賭けたのだ。彼らは私という人間をよく知っている。


「我々は覚悟を決めました。私と東松はもちろん、すべての捜査員が意志を一つにして水樹を追いかけます」

「すごいですね。少し、怖いくらい」


私のつぶやきに、瀬戸さんは何も答えない。でも視線を逸らさず、正面から向き合っている。

私も覚悟を決めよう。


「このあと捜査会議なので、申しわけありませんが、一条さんはしばらくお待ち願えませんか」

「どれぐらいでしょう」


私は現在、休職中だ。時間はいくらでもあるが、深夜に及ぶのは困る。


「そうですね……あと一時間くらいかな。どんな形でご協力をお願いするのか本部で話し合い、その報告に一旦戻りますので」

「それくらいなら大丈夫です」


ホッとする私に、瀬戸さんは忙しげに時計を見ながら続けた。


「実はですね、その間に一条さんに会っていただきたい方がいるのです」

「えっ?」


また別の用件を切り出され、ちょっと戸惑う。聴取でかなり疲れたので、少し休憩したいと思ったのだか。


「どなたですか?」

「水樹さんをよく知る人です。その方が、ぜひあなたにお会いしたいと別室で待機されています。係の者に案内させますので、よろしくお願いします」

「は、はあ……」


一体誰だろうと考える間に、瀬戸さんはパソコンと資料を抱え、退室してしまった。

入れ違いに係官が入ってきて、私は別室に案内されることとなった。



案内されたのは食堂だった。

別室と言われ、取調室のような小部屋を想像していたので肩の力が抜ける。正直、狭い部屋は息苦しさを覚えるため、開放的な空間はありがたかった。

「ええと……あっ、あの方です」

食堂内に数人の利用者がいて、そのうちの一人を教えられた。スーツ姿の男性が窓際の席に座っている。


「若月さん。一条さんをご案内しました」


係官が声を掛けると、その人はパッとこちらを向き、すぐに立ち上がった。


「あっ、どうもすみません。ありがとうございます」


係官が立ち去ると、その人は丁寧に挨拶してから名刺をくれた。


「はじめまして。私、こういう者です」


【靴工房Wakatsuki 代表 若月千尋】

聞いたことのある名前。というより、私はこの男性を知っている。


「もしかして、前にレストランでお会いした……」

「はい。駅ビルの、『フローライト』というお店でしたね」


人のよさそうな印象と、ちょっと太めの体格。智哉さんと初めて出会ったあの日、彼と一緒にいた人だ。親しそうな様子だったのをよく覚えている。そして、名前も。


「若月千尋さんは、あなただったんですか」


~『他人ひとに見られないよう、大切にしまっておくように。お守りだから』~


財布に入れておいたそれを取り出し、確認してもらう。

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