恋の記録

藤谷 郁

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春菜の願い

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「日記について、もう少し説明させてください」


瀬戸さんが資料をめくり、該当のページを開く。

4月17日……実際の日付は二年前の4月12日。智哉さんが陽向さんと初めてデートした日だ。


『……僕はきっと、愛することができる。できるか、できないかではなく、必ずできる。もう、囚われてなどいない。大丈夫だ』


その夜、智哉さんは【実験】に手応えを感じ、心情を記録した。

しかし、数時間後に彼女は――


「水樹さんはこの日を最後に、ファイルを一旦封印しています。再び開いたのは二年後の春。一条さんと出会った日です」


彼は陽向さんの身代わりとなる私を見つけて、記録の上書きを思い付いた。そして、過去記事の【日付】と【名前】を修正した。


「新たにページを追加したのが4月18日……」

「鳥宮さんが転落死した日、ですね」


瀬戸さんが頷き、ページをめくる。その日の【記録】を読み、私は息を呑んだ。


『4月18日――さあ、これからが本番だ。実験の続きを始めよう』


希望にあふれた言葉。智哉さんが待ち望んだ、再出発の瞬間である。

憎いストーカーをやっつけて、恋人を守り抜いた。過去を上書きし、再び記録を始めたのだ。人生をやり直すために。


「ここから先は現在進行形の日記です。古池や土屋、東松らしき人物も登場していますね」


古池店長は【オス】、土屋さんは【メス】。そして東松さんは【狼】と表記されている。


「名前を出さないのは、水樹にとって重要な人間ではないってことです」


東松さんが表記について推論を述べた。

確かに、【ハル】以外の人間は扱いがぞんざいだ。山賀さんらしき人物も【彼女】とだけ表記されている。

でも、私も同じだ。【春菜】という表記は【陽向】が置き換えられたもので、ただの記号だから。

資料を手に取り、もう一度最初のページからめくった。読み進めるにつれ冷めた気持ちになる。この日記は最初から最後まで、陽向さんとの日々を綴った、【恋の記録】なのだ。

彼が愛し、未来をともにするのは【ハル】。すなわち【斎藤陽向】に他ならない。

だけど、その未来も暗く閉ざされている。智哉さんは店長を殺してしまった。鳥宮さんの件もある。それともまだあきらめず、警察の予測どおり、私(=斎藤陽向)を連れて高跳びでもするつもりだろうか。


絶対に無理。身代わりなんてごめんだ。


(店長なんて、どうせ刑務所行きなんだから放っておけばいいのに。人生をやり直そうという矢先に、どうしてあんなことを……)


理由を考えようとして、東松さんの言葉を思い出した。


『水樹がなぜ破綻し、凶行に及んだのか。それはおそらく、トラウマが原因です』


(トラウマ……)


資料をめくるうち、ふと気付くことがあった。この表記は、ある意味重要と言えるのではないか。


「あの……日記に出てくる【あの女】というのは誰なんでしょう。その人のことを、すごく憎んでいるように感じますが」


疑問を向けると、瀬戸さんが「ああ」と、ため息をつく。予感が当たったようだ。


「後ほど説明するつもりでしたが……おそらく、彼の母親ですね」


東松さんが顔を顰めるのが分かった。どんな母親なのか想像がつき、「トラウマ」に関係するのだと察した。


「智哉さんの両親については、災難に遭って亡くなったとだけ聞いています。話したくない様子だったので、こちらから尋ねることもせず」


悲しい思い出だから話したくないのだろうと、勝手に思っていた。しかし実際は、別の理由があったようだ。

瀬戸さんがパソコンを操作して、画面をこちらに向ける。


「母親らしき人物について書かれた部分を抜粋しました」

「……」


表示されたのは、憎しみのこもる辛らつな文言。前後の文章からも、【あの女】の人物像が浮かび上がってくる。
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