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正義の使者〈3〉
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「一条春菜も、斎藤みたいなタイプなんだろ?」
「俺の印象では、ちょっと違いますね。神経質でもないし、怖がりって感じでもない。まあ、自分らしさを持つ人ではありますが。あと……容姿も斎藤陽向とあまり似ていません。それでも一条さんを身代わりに選んだのは、ひょっとしたら靴が決め手かもしれませんね」
「どうかな。パンプスを履く女なんていくらでもいるし。それを言うなら、アパートに一人暮らしとか、職場が近いとか、他にも斎藤と重なる要素がいくつもある。あと、君たちの指摘するハルという呼び名もな。何が決め手なのかは、本人に聴くまで分からんよ」
「そう、ですか」
だけど気になる。なぜか靴が決め手のような気がして、望月さんの意見を素直に聞けなかった。
「ともかく水樹は、斎藤の身代わりとなる女性を見つけ出し、過去の上書きを始めた。それに利用されたもう一人の人間が鳥宮優一朗だ。水樹と鳥宮が取引する現場が、ドラレコに映ってたんだろ?」
「まだ確証はありませんが、水樹は何らかの方法で鳥宮が一条さんの隣人だと知り、取引を持ち掛けたと考えられます」
「そして鳥宮をストーカー男に見立て、高崎の事件を再現したわけだ」
「はい。最後の結果だけ変えて」
恋人は守られ、田村の身代わりとなった鳥宮は転落死した。息も絶え絶えに、「滑った」という言葉を残して。
さぞかし無念だったろう。水樹のしたことは許されない。どんな事情があろうと。
「しかし鳥宮の件も酷いが、古池を殺すなんて水樹はめちゃくちゃだ。やることが矛盾してるだろ。人生をやり直すんじゃなかったのか」
望月さんは俺の目をまっすぐに見つめ、怒りのこもる声で問うた。まるで、水樹を前にしているかのように。
「確かに、衝動的なやり方は水樹らしくありません。事件を起こした日も、やつは一条さんの引越しを手伝っていました。人生をやり直すにふさわしい前向きな行為です。それが、古池と遭遇したことで変化が起きたのだと、今なら分かります」
「古池と睨み合ったらしいな」
「はい。感情が昂りすぎたのか、フラフラしてました。俺が肩を貸して部屋まで連れて行って、それから……」
『実況見分は公園で終わりですか。古池が潜伏したというすみれ荘……でしたっけ。あのアパートでもやるんですか?』『もうあの男に、ハルを会わせたくない。もしやるなら、帰りは避けて通りたいんで』
君もたまには役に立つと、水樹は言った。ただの皮肉ではなく、意味があったのだ。俺はそれに気付かず見事に騙された。悔やんでも悔やみきれない失敗だ。
「まさか逆に古池を襲うなんてな。東松くんじゃなくてもピンとこなかったろうさ」
望月さんが表情を緩め、俺の肩をぽんぽんと叩く。もう気にするなと言っている。
「古池の恨めしそうな顔を見て、危険を感じたのかもしれん。しかし古池は囚われの身だ。この先何十年も檻の中だし、放っておけばいい。なのに、なぜすぐ始末しなきゃならんのか」
「水樹はたぶん、冷静な判断ができなかった。人生をやり直すより、古池を絶対に殺さなければという強い殺意に支配されたんです」
「一条さんを守るために?」
「はい、いや……」
水樹は切れてしまったのだ。恋人を惨殺された悲しみ、犯人への憎しみが、古池と睨み合ううちに蘇り、殺意へと転化した。
「一条さんではなく、斎藤陽向を守るためです」
俺の答えに、望月さんは落ち着いた声で同意した。
「そうだな、古池との遭遇がトリガーだ。今度こそ彼女を守る。絶対に守らなければならない。すべての憂いを払おうとして、水樹はめちゃくちゃになったんだ」
「えっ?」
最初から分かっていたかのような口ぶり。ぽかんとする俺を見て、望月さんがにこりと笑う。
「そろそろ行こうか、東松くん。当時の水樹をよく知る人が、他にもいる」
アパートを出たあと、別の場所へと移動した。
「望月さん、ここは……」
古く、こじんまりとした建物。入り口に診療科が表示されている。
「水樹は事件後、市外の病院に通っていた。誰にも話さず、ひっそりとね」
当時、水樹を担当したのは精神科の医師だった。50代半ばくらいの女医である。
「俺の印象では、ちょっと違いますね。神経質でもないし、怖がりって感じでもない。まあ、自分らしさを持つ人ではありますが。あと……容姿も斎藤陽向とあまり似ていません。それでも一条さんを身代わりに選んだのは、ひょっとしたら靴が決め手かもしれませんね」
「どうかな。パンプスを履く女なんていくらでもいるし。それを言うなら、アパートに一人暮らしとか、職場が近いとか、他にも斎藤と重なる要素がいくつもある。あと、君たちの指摘するハルという呼び名もな。何が決め手なのかは、本人に聴くまで分からんよ」
「そう、ですか」
だけど気になる。なぜか靴が決め手のような気がして、望月さんの意見を素直に聞けなかった。
「ともかく水樹は、斎藤の身代わりとなる女性を見つけ出し、過去の上書きを始めた。それに利用されたもう一人の人間が鳥宮優一朗だ。水樹と鳥宮が取引する現場が、ドラレコに映ってたんだろ?」
「まだ確証はありませんが、水樹は何らかの方法で鳥宮が一条さんの隣人だと知り、取引を持ち掛けたと考えられます」
「そして鳥宮をストーカー男に見立て、高崎の事件を再現したわけだ」
「はい。最後の結果だけ変えて」
恋人は守られ、田村の身代わりとなった鳥宮は転落死した。息も絶え絶えに、「滑った」という言葉を残して。
さぞかし無念だったろう。水樹のしたことは許されない。どんな事情があろうと。
「しかし鳥宮の件も酷いが、古池を殺すなんて水樹はめちゃくちゃだ。やることが矛盾してるだろ。人生をやり直すんじゃなかったのか」
望月さんは俺の目をまっすぐに見つめ、怒りのこもる声で問うた。まるで、水樹を前にしているかのように。
「確かに、衝動的なやり方は水樹らしくありません。事件を起こした日も、やつは一条さんの引越しを手伝っていました。人生をやり直すにふさわしい前向きな行為です。それが、古池と遭遇したことで変化が起きたのだと、今なら分かります」
「古池と睨み合ったらしいな」
「はい。感情が昂りすぎたのか、フラフラしてました。俺が肩を貸して部屋まで連れて行って、それから……」
『実況見分は公園で終わりですか。古池が潜伏したというすみれ荘……でしたっけ。あのアパートでもやるんですか?』『もうあの男に、ハルを会わせたくない。もしやるなら、帰りは避けて通りたいんで』
君もたまには役に立つと、水樹は言った。ただの皮肉ではなく、意味があったのだ。俺はそれに気付かず見事に騙された。悔やんでも悔やみきれない失敗だ。
「まさか逆に古池を襲うなんてな。東松くんじゃなくてもピンとこなかったろうさ」
望月さんが表情を緩め、俺の肩をぽんぽんと叩く。もう気にするなと言っている。
「古池の恨めしそうな顔を見て、危険を感じたのかもしれん。しかし古池は囚われの身だ。この先何十年も檻の中だし、放っておけばいい。なのに、なぜすぐ始末しなきゃならんのか」
「水樹はたぶん、冷静な判断ができなかった。人生をやり直すより、古池を絶対に殺さなければという強い殺意に支配されたんです」
「一条さんを守るために?」
「はい、いや……」
水樹は切れてしまったのだ。恋人を惨殺された悲しみ、犯人への憎しみが、古池と睨み合ううちに蘇り、殺意へと転化した。
「一条さんではなく、斎藤陽向を守るためです」
俺の答えに、望月さんは落ち着いた声で同意した。
「そうだな、古池との遭遇がトリガーだ。今度こそ彼女を守る。絶対に守らなければならない。すべての憂いを払おうとして、水樹はめちゃくちゃになったんだ」
「えっ?」
最初から分かっていたかのような口ぶり。ぽかんとする俺を見て、望月さんがにこりと笑う。
「そろそろ行こうか、東松くん。当時の水樹をよく知る人が、他にもいる」
アパートを出たあと、別の場所へと移動した。
「望月さん、ここは……」
古く、こじんまりとした建物。入り口に診療科が表示されている。
「水樹は事件後、市外の病院に通っていた。誰にも話さず、ひっそりとね」
当時、水樹を担当したのは精神科の医師だった。50代半ばくらいの女医である。
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