恋の記録

藤谷 郁

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正義の使者〈3〉

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「大丈夫ですか」


引っ越し作業中の部屋で横になった水樹は、ふっと息をついた。


「最近仕事が忙しくて、疲れ気味なんだ。それに珍しく興奮したから……心配はいらない」


最後の言葉は一条さんに向けられた。穏やかな口調だった。


「それではこれで、失礼します」


とりあえず今は仕事に戻らねば。俺が立ち上がると、水樹が声をかけた。


「実況見分は公園で終わりですか。古池が潜伏したというすみれ荘……でしたっけ。あのアパートでもやるんですか?」

「えっ?」


水樹は目を閉じて、疲れたように言った。


「もうあの男に、ハルを会わせたくない。もしやるなら、帰りは避けて通りたいんで」


県道で本町へ帰るなら、すみれ荘の前を通る。また遭遇なんてことになれば、目も当てられない。


「県道は避けてください。遠回りでも国道に出たほうがいい」

「ありがとう。君もたまには役に立つ」


きつい皮肉だが、まるっと受け止める。今回は完全にこちらの手落ちだった。

一条さんが済まなそうに頭を下げるのを見て、胸が痛んだ。


(今度水樹に会う時、俺は逮捕状を持っている)


一条さんは、山賀さんの件を許したようだ。そしてアパートを退去し、水樹との生活を本格的に始める。

つまり結婚だ。

それをぶち壊すのが俺。そう考えて、胸が痛むのだった。




実況見分は順調に進んだ。

古池は取り調べでの態度とは打って変わって、実に真面目だった。余計なことを喋らず、下らない自慢話もせず、そして自分がやったことを全面的に認めている。

裁判の焦点となる犯行については、凶器となった花壇のブロックを指差し、土屋真帆を殺害した状況を具体的に語った。

土屋のレコーダーと照らし合わせれば、ぴたりと重なるだろう。



「不気味なくらい協力的だったわね」


公園での作業が終わり、次の現場に向かう車の中で瀬戸さんが首を傾げた。


「古池の心中は量りかねますが……一条さんと遭遇してから、えらく神妙になりました」


古池にとって一条春菜は憎しみの対象だ。それなのに手出しできない状況にあるのを思い知らされ、脱力したのではないか。というのが捜査員らの推測だった。


「でも古池は一条さんではなく、水樹を睨んでたよね」

「一条さんは水樹に庇われて、後ろにいましたから」

「うん。だけど古池は、山賀さんを身代わりにしたのが水樹だと、薄々勘づいてる。計画を邪魔されたんだから、ある意味一条さんより憎い相手でしょうよ」

「確かに。水樹のことを、呪うような目つきで睨んでましたっけ」


すみれ荘は公園から5分ほどの近場だ。俺は道路脇に車を止めてエンジンを切った。


「量刑は無期懲役ってところかな。古池が生きてる限り、一条さんは不安でしょうね」

「ええ」


それは水樹も同じだろう。いや、水樹のほうが、古池の極刑を強く望むに違いない。


「……」

「東松?」


何か、引っかかる。

古池と睨み合った水樹の冷酷な目。


「どうしたの。行くわよ」

「あ、はい」


たぶん気のせいだ。そんなバカなこと、あり得ない。さっき公園を出る時、引越し会社のトラックも水樹のバンも既になかった。

俺は車を降りて、前方に駐車したワンボックスに目をやる。捜査員に挟まれて古池が出てきた。やはり神妙な態度だ。


「ねえ、あれって……」

「何ですか?」


瀬戸さんが俺の横にきて、背後の住宅街を指差す。四つ角を自転車が一台通り過ぎた。


「気になることでも?」

「違う。カーブミラーに……」

「うわあああっ!!」


突然、古池が大声で叫んだ。見ると、手錠のかかった腕を振り回し、暴れている。


「殺してやる! あの男、絶対に許さんぞ!」


怒鳴り声を聞き、古池がなぜ従順な態度だったのか分かった。捜査員を油断させて隙を作るため。脱走して、一条春菜……いや、水樹智哉を殺そうと目論んだのだ。

しかしそうはいかない。被留置者の逃亡は警察が最も用心するところだ。捜査員が即座に押さえにかかった。


「こいつ、大人しくしろ!」

「離せ! 俺を嵌めたあいつを殺すんだよ!」


古池の執念たるや凄まじい。屈強な捜査員の拘束を逃れ、道路に飛び出した。制服の若い警察官が腰縄を掴み損ねている。


「何やってるんだ!」

「東松、後ろ!」


加勢に走り出そうとした俺を瀬戸さんが止めた。鋭い声に驚き、ぱっと振り向く。


「な……」


四つ角を曲がった車が、こちらに走ってくる。スピードを上げて一直線に。

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