恋の記録

藤谷 郁

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正義の使者〈3〉

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あきらめて立ち去ろうとしたとき、窓に人影が映った。女である。

古池はフェンスを跨ぐとベランダの陰に身を潜め、しばらく観察した。

事故物件に若い女の一人暮らし。カーテンは開けっぱなしで、下着同然のだらしない姿。

古池は賭けに出た。下手に動くよりなんぼかマシだ。

ベランダに侵入し、窓に張り付いた。女がこちらに気づくと、古池は困り切った表情を作り、手を合わせてみせる。

女は驚くが、さほど迷うこともなく窓を開けた。


このように古池は上手いこと中園を騙し、身を隠す場所を得たのだが――

彼は人殺しの指名手配犯。事情はごまかしきれなかった。


中園はその晩、古池を泊めた。

翌朝、コンビニに行こうとしたら外が騒がしい。小窓を覗くと、警察官がウロウロしている。テレビでは城田町の公園で殺人事件が発生し、犯人が逃走中と繰り返し流れていた。

中園がいくら鈍い女でも、古池が容疑者であると気づく。

彼女は古池を追及した。


『タモツに訊いたら、自分があの女を殺したって認めたの。もちろんびっくりしたよー。怖かったし、巻き添えになりたくなくて自首をすすめたのね。でも、タモツが言うには、殺された土屋って女に脅されたらしいのよ。「あなたの子どもができた。私と結婚しなきゃ家族にばらすわよ」……って。それで揉み合いになって、向こうが勝手に転んで頭を打って死んだとか。そんなの土屋って人の自業自得だし、ある意味、タモツは被害者だよね?』


取調官は呆れた。中園はいとも簡単に古池の術中に嵌ってしまったのだ。

古池は一見、人畜無害。色恋に縁のなさそうな中年男だが、ある種の女には、えらく魅力的に映るらしい。


『それで、あなたはやっぱり匿うことにしたと。警察が訪ねてきませんでしたか』

『来た来た。タモツの写真とか見せられてさあ。でも知らないって言ったらあっさり帰っちゃった』


捜査員を責めることはできない。

空き屋ならともかく、アパートの部屋をいちいち捜索しない。古池と繋がりのない人間が住んでいるならなおさらだ。


『あっ、でも警察犬がうろちょろしてたのはビビった。タモツの匂いは雨で流されちゃったみたいで、スルーだったけど』


逃亡者にとって警察犬の追跡は脅威だ。古池もそこは心得ていて、自分の匂いが外に出ないよう配慮したと言う。

だから自分は一歩も動かず、中園に実行させたのだ。

一条春菜への「復讐」を。



古池は取調べ中、一条春菜に話が及ぶと表情を変えた。丁寧な口調が一転乱暴になり、吠えまくった。


『強かな女狐め。あの女、私の誘いに乗らないばかりか逆らってきやがった。土屋が暴走したのも私がこんなことになったのも全部あの女のせいだ。仕事も家庭もめちゃくちゃにされて、何もかもぶち壊しだ!』


逆恨みにもほどがある。

土屋真帆が暴走したのは、古池が一条さんに乗り換えようとしたからだ。

一条さんはそれを拒絶したのであって、何の落ち度もない。それどころか、大変な迷惑を被っている。


『どうして私がこんな風にコソコソ隠れなきゃならんのだ。外に出られない生活がどんなものか、刑事さん、分かりますか? あの木造アパートときたら古くて隣の音がよく響くんですよ。息の詰まるような毎日。理不尽な毎日にうんざりして、あの女の人生を根こそぎ奪ってやろうと考えたんです』


ここへきて古池は本性を表した。やけくそかもしれない。

殺意を隠そうともしない古池に、しかし取調官は冷静に対処した。「殺意」「計画性」の二点をしっかり吐かせるのだ。別件であっても、古池の人間性を証明する材料になるだろう。
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