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正義の使者〈3〉
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水樹と鳥宮が接触していた。
この新事実をすぐさま水野さんに報せたかったが、彼は今、管理官の指名で古池の取り調べを行っている。
俺は俺で、実況見分の打ち合わせ、証拠の整理、書類作成と忙しい。
ようやく時間ができたのは午前4時頃。仮眠のために道場へ向かう前、水野さんと会うことができた。
「こんなものが撮れていたのか」
水野さんはドライブレコーダーの写真を見て、目をみはった。
捜査経験豊かなベテラン刑事も、さすがに驚いている。こんな偶然、鳥宮の件に拘り続ける俺たちへの、天の配剤としか思えない。
「逮捕状を請求しましょう」
「まあ待ちなさい。慌ててはいかん」
水野さんはうなずきながらも、勢いづく俺を諫めた。
「しかし、水樹は自分が疑われていると勘付いてます。早くしないと逃げられてしまう」
「あの男は利口だ。警察の動きを読み、常に言いわけを用意している。逃げるならとうに逃げているさ。警察に対して挑戦的なのは、絶対に尻尾を掴ませない自信があるからだよ」
「……」
確かにその通りだ。山賀さんの件でも、憎らしいほど堂々としていた。
「だが、こんな証拠があるとは夢にも思わんだろう。何週間も前のドラレコデータ。しかも、路駐の車が公園の中を撮影してるなんて」
「つまり、この証拠はやつの尻尾なんですね」
「そう。取調べは慎重に行う。逮捕状は取るが、準備をしっかりとしておいてくれ。東松くん、それが君の役目だ」
「分かりました」
もうすぐ捜査本部は解散。通常業務に戻れる。水樹智哉を集中して追い詰めることができるのだ。
準備さえしっかりとしておけば。
しかし――
道場の布団に寝転んで目を閉じたとき、ふと、別の想念にとらわれる。
瞼の裏に浮かぶのは、一条さんの泣き顔だった。
翌日――
水樹の件が気になるが、俺は気持ちを切り替えて捜査本部の会議に集中した。
古池保への取調べがほぼ終わり、事件の全容が明らかになった。彼を匿っていた女の証言と突き合わせ、以下のように情報が整理されていた。
古池の潜伏先が割れたのは、山賀小百合襲撃事件で逮捕された中園真弓(24)の証言がきっかけだった。
『タモツがウチに来たのは、大雨が降った夜。ひどい天気だったなあ』
中園は古池の名前を呼び捨てにした。親しげなニュアンスで。
『タモツがさ、ベランダの窓から私の部屋を覗いてたのよ。どしゃぶりの雨ん中で、すっごいずぶ濡れなの。しかも真っ青な顔してた』
彼女は警察の取調べに対して、かなり興奮気味に応じた。
自分が何をしたのか分かっていない、あるいは開き直った態度にも見える。
どちらにしろ罪の意識は希薄のようだ。
『古池と面識は?』
『ぜんぜん。知らない人がいきなりベランダにいるもんだから、ビックリしちゃった』
『見ず知らずの人間を部屋に上げたんですか』
『だってさ、すごく困ってる感じで、手を合わせてぺこぺこしてるし、気の毒だったもん』
中園真弓は同情心から事件に関わってしまった。そして、彼女の不用心とも取れる人のよさと境遇に、古池は付け込んだのだ。
『タモツってば、「お願いです、匿ってください」って、土下座して私に頼むのよね』
借金取りに追われているのだと中園は直感した。なぜなら、彼女自身が金に困っているから。
彼女は本町のセレクトショップで働いていたが、高価な洋服や化粧品をカードで購入するうち返済できなくなった。
それでも買い物をやめられず、借金を返すために借金する多重債務者となる。やがて家賃滞納でアパートを追い出され、あちこち放浪した末、城田町に流れ着いた。
住みついたのはすみれ荘の102号室。
その部屋は以前、殺人事件が起きた現場であり、家賃が格安だった。
『体が冷え切ってたから、とにかくお風呂に入ってもらって、カップラーメンとか作って、話を聞いてあげたの』
人はいいが、モラルが低く、頭が悪い――
古池はその時既に、この女は利用できると判断していた。女を分類し利用するのが彼の趣味であり、特技である。
『取り立て屋に追われてるの? って訊いたら、うんって。やっぱりって思って、匿うことにしたのよね。オジサンなのに、なんだか可愛くなっちゃってさ』
中園は念入りにメイクした目元を細め、クスクスと笑った。取調官は薄ら寒い心地になりながらも質問を続ける。
『……なるほど。しかしなぜ古池は、すみれ荘のあなたの部屋に来たんでしょう』
『隠れ場所を探してたんだって。すみれ荘は事故物件だし、特に事件のあった部屋には誰も住んでないと思ったとかなんとか』
この質問には古池が以下のように答えている。
『公園を飛び出してすぐ、近くに事故物件があったことを思い出したんです。アパート名はもちろん、部屋番号まで記憶していましたよ。というのも、私の実家がアパート経営をしておりまして、あの事件は他人事じゃなかったので。近頃は事故物件に住む物好きがいらっしゃいますが、たいていは空き部屋ですからねえ。隠れるにはもってこいです』
古池保も中園と同じく、悪びれた様子がない。彼は中園についてモラルが低いと評したが、結局は似た物同士が出会ったという格好だ。
古池は供述を続けた。
『雨の中、無我夢中ですみれ荘まで走りました。雨嵐のおかげで人の目につかず、しかも防犯カメラのない地域だったのが幸いでした』
ところが誤算が起きる。すみれ荘に行ってみると、件の部屋に明かりが点いていた。まさか人が住んでいるとは。
この新事実をすぐさま水野さんに報せたかったが、彼は今、管理官の指名で古池の取り調べを行っている。
俺は俺で、実況見分の打ち合わせ、証拠の整理、書類作成と忙しい。
ようやく時間ができたのは午前4時頃。仮眠のために道場へ向かう前、水野さんと会うことができた。
「こんなものが撮れていたのか」
水野さんはドライブレコーダーの写真を見て、目をみはった。
捜査経験豊かなベテラン刑事も、さすがに驚いている。こんな偶然、鳥宮の件に拘り続ける俺たちへの、天の配剤としか思えない。
「逮捕状を請求しましょう」
「まあ待ちなさい。慌ててはいかん」
水野さんはうなずきながらも、勢いづく俺を諫めた。
「しかし、水樹は自分が疑われていると勘付いてます。早くしないと逃げられてしまう」
「あの男は利口だ。警察の動きを読み、常に言いわけを用意している。逃げるならとうに逃げているさ。警察に対して挑戦的なのは、絶対に尻尾を掴ませない自信があるからだよ」
「……」
確かにその通りだ。山賀さんの件でも、憎らしいほど堂々としていた。
「だが、こんな証拠があるとは夢にも思わんだろう。何週間も前のドラレコデータ。しかも、路駐の車が公園の中を撮影してるなんて」
「つまり、この証拠はやつの尻尾なんですね」
「そう。取調べは慎重に行う。逮捕状は取るが、準備をしっかりとしておいてくれ。東松くん、それが君の役目だ」
「分かりました」
もうすぐ捜査本部は解散。通常業務に戻れる。水樹智哉を集中して追い詰めることができるのだ。
準備さえしっかりとしておけば。
しかし――
道場の布団に寝転んで目を閉じたとき、ふと、別の想念にとらわれる。
瞼の裏に浮かぶのは、一条さんの泣き顔だった。
翌日――
水樹の件が気になるが、俺は気持ちを切り替えて捜査本部の会議に集中した。
古池保への取調べがほぼ終わり、事件の全容が明らかになった。彼を匿っていた女の証言と突き合わせ、以下のように情報が整理されていた。
古池の潜伏先が割れたのは、山賀小百合襲撃事件で逮捕された中園真弓(24)の証言がきっかけだった。
『タモツがウチに来たのは、大雨が降った夜。ひどい天気だったなあ』
中園は古池の名前を呼び捨てにした。親しげなニュアンスで。
『タモツがさ、ベランダの窓から私の部屋を覗いてたのよ。どしゃぶりの雨ん中で、すっごいずぶ濡れなの。しかも真っ青な顔してた』
彼女は警察の取調べに対して、かなり興奮気味に応じた。
自分が何をしたのか分かっていない、あるいは開き直った態度にも見える。
どちらにしろ罪の意識は希薄のようだ。
『古池と面識は?』
『ぜんぜん。知らない人がいきなりベランダにいるもんだから、ビックリしちゃった』
『見ず知らずの人間を部屋に上げたんですか』
『だってさ、すごく困ってる感じで、手を合わせてぺこぺこしてるし、気の毒だったもん』
中園真弓は同情心から事件に関わってしまった。そして、彼女の不用心とも取れる人のよさと境遇に、古池は付け込んだのだ。
『タモツってば、「お願いです、匿ってください」って、土下座して私に頼むのよね』
借金取りに追われているのだと中園は直感した。なぜなら、彼女自身が金に困っているから。
彼女は本町のセレクトショップで働いていたが、高価な洋服や化粧品をカードで購入するうち返済できなくなった。
それでも買い物をやめられず、借金を返すために借金する多重債務者となる。やがて家賃滞納でアパートを追い出され、あちこち放浪した末、城田町に流れ着いた。
住みついたのはすみれ荘の102号室。
その部屋は以前、殺人事件が起きた現場であり、家賃が格安だった。
『体が冷え切ってたから、とにかくお風呂に入ってもらって、カップラーメンとか作って、話を聞いてあげたの』
人はいいが、モラルが低く、頭が悪い――
古池はその時既に、この女は利用できると判断していた。女を分類し利用するのが彼の趣味であり、特技である。
『取り立て屋に追われてるの? って訊いたら、うんって。やっぱりって思って、匿うことにしたのよね。オジサンなのに、なんだか可愛くなっちゃってさ』
中園は念入りにメイクした目元を細め、クスクスと笑った。取調官は薄ら寒い心地になりながらも質問を続ける。
『……なるほど。しかしなぜ古池は、すみれ荘のあなたの部屋に来たんでしょう』
『隠れ場所を探してたんだって。すみれ荘は事故物件だし、特に事件のあった部屋には誰も住んでないと思ったとかなんとか』
この質問には古池が以下のように答えている。
『公園を飛び出してすぐ、近くに事故物件があったことを思い出したんです。アパート名はもちろん、部屋番号まで記憶していましたよ。というのも、私の実家がアパート経営をしておりまして、あの事件は他人事じゃなかったので。近頃は事故物件に住む物好きがいらっしゃいますが、たいていは空き部屋ですからねえ。隠れるにはもってこいです』
古池保も中園と同じく、悪びれた様子がない。彼は中園についてモラルが低いと評したが、結局は似た物同士が出会ったという格好だ。
古池は供述を続けた。
『雨の中、無我夢中ですみれ荘まで走りました。雨嵐のおかげで人の目につかず、しかも防犯カメラのない地域だったのが幸いでした』
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