恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
153 / 236
正義の使者〈3〉

しおりを挟む
水樹と鳥宮が接触していた。

この新事実をすぐさま水野さんに報せたかったが、彼は今、管理官の指名で古池の取り調べを行っている。

俺は俺で、実況見分の打ち合わせ、証拠の整理、書類作成と忙しい。

ようやく時間ができたのは午前4時頃。仮眠のために道場へ向かう前、水野さんと会うことができた。


「こんなものが撮れていたのか」


水野さんはドライブレコーダーの写真を見て、目をみはった。

捜査経験豊かなベテラン刑事も、さすがに驚いている。こんな偶然、鳥宮の件に拘り続ける俺たちへの、天の配剤としか思えない。


「逮捕状を請求しましょう」

「まあ待ちなさい。慌ててはいかん」


水野さんはうなずきながらも、勢いづく俺を諫めた。


「しかし、水樹は自分が疑われていると勘付いてます。早くしないと逃げられてしまう」

「あの男は利口だ。警察の動きを読み、常に言いわけを用意している。逃げるならとうに逃げているさ。警察に対して挑戦的なのは、絶対に尻尾を掴ませない自信があるからだよ」

「……」


確かにその通りだ。山賀さんの件でも、憎らしいほど堂々としていた。


「だが、こんな証拠があるとは夢にも思わんだろう。何週間も前のドラレコデータ。しかも、路駐の車が公園の中を撮影してるなんて」

「つまり、この証拠はやつの尻尾なんですね」

「そう。取調べは慎重に行う。逮捕状は取るが、準備をしっかりとしておいてくれ。東松くん、それが君の役目だ」

「分かりました」


もうすぐ捜査本部は解散。通常業務に戻れる。水樹智哉を集中して追い詰めることができるのだ。

準備さえしっかりとしておけば。

しかし――

道場の布団に寝転んで目を閉じたとき、ふと、別の想念にとらわれる。

瞼の裏に浮かぶのは、一条さんの泣き顔だった。




翌日――

水樹の件が気になるが、俺は気持ちを切り替えて捜査本部の会議に集中した。

古池保への取調べがほぼ終わり、事件の全容が明らかになった。彼を匿っていた女の証言と突き合わせ、以下のように情報が整理されていた。


古池の潜伏先が割れたのは、山賀小百合襲撃事件で逮捕された中園真弓(24)の証言がきっかけだった。


『タモツがウチに来たのは、大雨が降った夜。ひどい天気だったなあ』


中園は古池の名前を呼び捨てにした。親しげなニュアンスで。


『タモツがさ、ベランダの窓から私の部屋を覗いてたのよ。どしゃぶりの雨ん中で、すっごいずぶ濡れなの。しかも真っ青な顔してた』


彼女は警察の取調べに対して、かなり興奮気味に応じた。

自分が何をしたのか分かっていない、あるいは開き直った態度にも見える。

どちらにしろ罪の意識は希薄のようだ。


『古池と面識は?』

『ぜんぜん。知らない人がいきなりベランダにいるもんだから、ビックリしちゃった』

『見ず知らずの人間を部屋に上げたんですか』

『だってさ、すごく困ってる感じで、手を合わせてぺこぺこしてるし、気の毒だったもん』


中園真弓は同情心から事件に関わってしまった。そして、彼女の不用心とも取れる人のよさと境遇に、古池は付け込んだのだ。


『タモツってば、「お願いです、匿ってください」って、土下座して私に頼むのよね』


借金取りに追われているのだと中園は直感した。なぜなら、彼女自身が金に困っているから。

彼女は本町のセレクトショップで働いていたが、高価な洋服や化粧品をカードで購入するうち返済できなくなった。

それでも買い物をやめられず、借金を返すために借金する多重債務者となる。やがて家賃滞納でアパートを追い出され、あちこち放浪した末、城田町に流れ着いた。

住みついたのはすみれ荘の102号室。

その部屋は以前、殺人事件が起きた現場であり、家賃が格安だった。


『体が冷え切ってたから、とにかくお風呂に入ってもらって、カップラーメンとか作って、話を聞いてあげたの』


人はいいが、モラルが低く、頭が悪い――

古池はその時既に、この女は利用できると判断していた。女を分類し利用するのが彼の趣味であり、特技である。


『取り立て屋に追われてるの? って訊いたら、うんって。やっぱりって思って、匿うことにしたのよね。オジサンなのに、なんだか可愛くなっちゃってさ』


中園は念入りにメイクした目元を細め、クスクスと笑った。取調官は薄ら寒い心地になりながらも質問を続ける。


『……なるほど。しかしなぜ古池は、すみれ荘のあなたの部屋に来たんでしょう』

『隠れ場所を探してたんだって。すみれ荘は事故物件だし、特に事件のあった部屋には誰も住んでないと思ったとかなんとか』


この質問には古池が以下のように答えている。


『公園を飛び出してすぐ、近くに事故物件があったことを思い出したんです。アパート名はもちろん、部屋番号まで記憶していましたよ。というのも、私の実家がアパート経営をしておりまして、あの事件は他人事じゃなかったので。近頃は事故物件に住む物好きがいらっしゃいますが、たいていは空き部屋ですからねえ。隠れるにはもってこいです』


古池保も中園と同じく、悪びれた様子がない。彼は中園についてモラルが低いと評したが、結局は似た物同士が出会ったという格好だ。

古池は供述を続けた。


『雨の中、無我夢中ですみれ荘まで走りました。雨嵐のおかげで人の目につかず、しかも防犯カメラのない地域だったのが幸いでした』


ところが誤算が起きる。すみれ荘に行ってみると、件の部屋に明かりが点いていた。まさか人が住んでいるとは。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

失せ物探し・一ノ瀬至遠のカノウ性~謎解きアイテムはインスタント付喪神~

わいとえぬ
ミステリー
「君の声を聴かせて」――異能の失せ物探しが、今日も依頼人たちの謎を解く。依頼された失せ物も、本人すら意識していない隠された謎も全部、全部。 カノウコウコは焦っていた。推しの動画配信者のファングッズ購入に必要なパスワードが分からないからだ。落ち着ける場所としてお気に入りのカフェへ向かうも、そこは一ノ瀬相談事務所という場所に様変わりしていた。 カノウは、そこで失せ物探しを営む白髪の美青年・一ノ瀬至遠(いちのせ・しおん)と出会う。至遠は無機物の意識を励起し、インスタント付喪神とすることで無機物たちの声を聴く異能を持つという。カノウは半信半疑ながらも、その場でスマートフォンに至遠の異能をかけてもらいパスワードを解いてもらう。が、至遠たちは一年ほど前から付喪神たちが謎を仕掛けてくる現象に悩まされており、依頼が謎解き形式となっていた。カノウはサポートの百目鬼悠玄(どうめき・ゆうげん)すすめのもと、至遠の助手となる流れになり……? どんでん返し、あります。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

処理中です...