恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
143 / 236
身代わり

しおりを挟む
「そう……ですか」


よほど強く頭を打ったのだ。今後もし意識が戻らなかったら――最悪のことを考えてしまい、恐ろしくて身体が震えた。


「山賀さんのご両親がおみえなんですね」

「ええ」

「会わせていただけますか」


現在山賀さんはアルバイトを優先し、就職活動を後回しにしている。その上いつも帰りが遅いので、母親が心配して駅まで車で迎えに来ると聞いた。それらすべて私のせいであり、一言お詫びしなければと思っていたのだ。

今回の事件も、店長や土屋さんの件と関係があるのかもしれない。もしそうなら、彼女を巻き込んだ私に責任がある。


「我々も会ってもらいたかったが、今はやめたほうがいい。特に母親は、ショックが大きすぎて不安定になってる。体調も悪く、挨拶を受け入れられる状態ではありません」

「あ……」

「どうしてもと言われるなら、お伝えしますが」


私はかぶりを振った。

大事な娘が何者かに怪我をさせられて、生死の境をさまよっている。そんなときに会わせてほしいなど、無神経な申し出だった。


「一条さんはここでお待ちください。私はちょっとだけ話してきます。確認したいことがあるので」


瀬戸さんは手帳を取り出し、控え室へと向かった。呆然と見送る私の肩を、東松さんがぱしっと叩いた。


「なっ、なんですか?」

「こうなったらじたばたしてもしょうがない。とりあえず座ってください」


東松さんは軽く叩いたつもりだろうが、力が強く、しかもいきなりなのでびっくりした。


「別に、じたばたなんて……」

「まあまあ一条さん。まずは落ち着いて」


言い返そうとする私を水野さんがなだめ、椅子をすすめる。

仕方なく腰かけ、ふっと息をついた。じたばたしたつもりはないが、冷静さを失っているのは確かだ。


「どっしりと構えましょう。本題はこれからですよ」

「本題……?」


東松さんの意味ありげな言葉に、顔を上げる。私を見下ろす彼の目は真剣だった。


「どういう意味ですか」

「いつものように図太い一条さんでいてくださいってことです」

「はい!?」


図太いとは言い草だ。

椅子を立ちかける私を見て、水野さんが慌てて取りなした。


「一条さん、すみません。東松くん、冗談が過ぎるぞ」

「俺は大真面目ですよ。大丈夫、一条さんは強い女性です」


図太いとか強いとか、何が大丈夫なのかもさっぱりだ。

首を傾げていると、瀬戸さんが戻って来た。私の隣に座り、ゆっくりと顔を近付けてくる。緊張の面持ちだ。


「一条さん」

「は、はい」

「山賀さんは今日、早めに帰宅したんですよね。母親からメールがきたと言って」

「ええ、そうです。お母さんから、用事があるからすぐに帰るようにと」


そのはずだった。でも、実際は帰っておらず、なぜか私と智哉さんの住むマンション近くで事件に遭遇している。


「母親に確認したところ、そのようなメールは送っていないそうです」

「えっ?」


すると、彼女は嘘をついて先に帰った、ということになる。


「ど、どうして。何のためにそんな嘘を」

「さあ……どうしてでしょう。ただ、その前に彼女はある人と連絡を取っていますね。一条さんが先ほど車の中で話してくれました」


しばし考えて、はっとする。山賀さんが連絡を取っていたのは……


「智哉さん、ですか?」


ガッツノベルと打ち合わせをする私の代わりに、山賀さんが智哉さんに電話をかけて、不審人物について報告している。あの電話のことだ。


「山賀さんの嘘に、彼が関わっていると……?」

「今はまだ推測の域ですが、有り得ないことではないと考えます。彼が山賀さんに嘘をつかせたのではないか」

「なっ……」


まさか、どうして。それこそ何のために?

意味が分からず混乱する私を、三人の刑事が鋭く見つめている。


「一条さんに見てもらいたいものがあります。移動しましょう」


瀬戸さんは口も利けないでいる私を立たせて、外に連れ出した。



R病院を出てものの5分もしないうちに緑署に着いた。深夜だというのに署内は人が多く、慌ただしい雰囲気である。


「もしかして山賀さんの事件でこんなに人が?」

「それもあります」


私の問いに瀬戸さんが歩きながら答える。かなりの急ぎ足だ。

水野さんと東松さんは途中で別れ、捜査本部のある上階へと上がっていった。

何だか緊張してきた。

取調室に通された私の前に瀬戸さんが用意したのはノートパソコン。彼女は電源を入れると忙しげに操作してファイルを開く。映像データのようだ。


「今からお見せするのは、山賀さんが襲われた歩道橋に設置された防犯カメラの映像です」

「え……」


つまり、事件現場の映像ということ。


「山賀さんが襲われた場面が写ってるんですか?」

「そうです。一条さん、よくご覧になってください。そして、気づいたことがあれば、すべて話してください」

「は、はい」


山賀さんが襲われる瞬間――怖いけど、目を逸らしてはいけない。しっかり確認しなければ。

どうして彼女があんなことになったのか。

私は瞬きもせず映像に集中した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

探偵SS【ミステリーギャグ短編集】

原田一耕一
ミステリー
探偵、刑事、犯人たちを描くギャグサスペンスショート集 投稿漫画に「探偵まんが」も投稿中

引きこもり名探偵、倫子さんの10分推理シリーズ

針ノ木みのる
ミステリー
不労所得の末、引きこもり生活を実現した倫子さん。だが、元上司である警察官に恩がある為仕方なく捜査協力をする。持ち合わせの資料と情報だけで事件を読み解き、事件を解決へと導く、一事件10分で読み切れる短編推理小説。

怪奇事件捜査File1首なしライダー編(科学)

揚惇命
ミステリー
これは、主人公の出雲美和が怪奇課として、都市伝説を基に巻き起こる奇妙な事件に対処する物語である。怪奇課とは、昨今の奇妙な事件に対処するために警察組織が新しく設立した怪奇事件特別捜査課のこと。巻き起こる事件の数々、それらは、果たして、怪異の仕業か?それとも誰かの作為的なものなのか?捜査を元に解決していく物語。 File1首なしライダー編は完結しました。 ※アルファポリス様では、科学的解決を展開します。ホラー解決をお読みになりたい方はカクヨム様で展開するので、そちらも合わせてお読み頂けると幸いです。捜査編終了から1週間後に解決編を展開する予定です。 ※小説家になろう様・カクヨム様でも掲載しています。

戦憶の中の殺意

ブラックウォーター
ミステリー
 かつて戦争があった。モスカレル連邦と、キーロア共和国の国家間戦争。多くの人間が死に、生き残った者たちにも傷を残した  そして6年後。新たな流血が起きようとしている。私立芦川学園ミステリー研究会は、長野にあるロッジで合宿を行う。高森誠と幼なじみの北条七美を含む総勢6人。そこは倉木信宏という、元軍人が経営している。  倉木の戦友であるラバンスキーと山瀬は、6年前の戦争に絡んで訳ありの様子。  二日目の早朝。ラバンスキーと山瀬は射殺体で発見される。一見して撃ち合って死亡したようだが……。  その場にある理由から居合わせた警察官、沖田と速水とともに、誠は真実にたどり着くべく推理を開始する。

彩霞堂

綾瀬 りょう
ミステリー
無くした記憶がたどり着く喫茶店「彩霞堂」。 記憶を無くした一人の少女がたどりつき、店主との会話で消し去りたかった記憶を思い出す。 以前ネットにも出していたことがある作品です。 高校時代に描いて、とても思い入れがあります!! 少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 三部作予定なので、そこまで書ききれるよう、頑張りたいです!!!!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ファクト ~真実~

華ノ月
ミステリー
 主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。  そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。  その事件がなぜ起こったのか?  本当の「悪」は誰なのか?  そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。  こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!  よろしくお願いいたしますm(__)m

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

処理中です...