恋の記録

藤谷 郁

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身代わり

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「帰ったらゆっくりお茶を飲もう。得意先から、ハルが好きそうな菓子をもらったんだ」

「えっ、どんなお菓子?」

「甘いチョコレート菓子だよ。神戸の有名な洋菓子店で買ったとか」

「そうなの? 楽しみ!」


智哉さんと他愛のない話をしながら家路をたどる。今夜の彼は、昨夜のピリピリとした雰囲気とは打って変わり、とても穏やかだ。



マンションに向かって歩いていると、通りの向こう側が賑やかなことに気づく。歩道橋の階段下に人だかりがあり、近くに救急車が止まっていた。


「どうしたのかしら」

「さあ……急病人か、事故でもあったんだろう」


それにしても随分な騒ぎようだ。

暫し立ち止まって眺めていると、サイレンの音が近づいてきた。パトカーである。


「やっぱり事故なんだ。怪我人がいるのね」

「そうみたいだな」


ひどい怪我じゃないといいけど。他人事ながら心配する私を、智哉さんが促した。


「いつまで見ていても仕方ない。早く帰ろう」

「あ、うん」


確かにそのとおりだ。道の向こうを気にしながら、彼に従った。


「そんなことより、やっぱりよく似合ってるな」

「えっ?」


明るい口調で話しかける智哉さんを見返すと、私の姿に目をあてている。

「そのジャケット。穢れのない純白が、ハルにはよく似合う」

「そ、そうかな」


穢れのない純白。

ストレートな言葉と甘い眼差しに、私は照れてしまう。どう返せばいいのか分からず、思わず目を逸らした。


「あ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな……あ、でも山賀さんも似合ってたよ? 彼女、すごく喜んでたし」


つい山賀さんのことを口にした。せっかくいい雰囲気なのに、彼女の話題を出してしまってちょっと後悔する。


「そうか」


智哉さんは短く反応すると、私の肩を抱いて歩き始めた。やや強引な仕草に戸惑いを覚える。


「……智哉さん?」

「君のほうがずっと似合っている。僕は、ハルのために選んだのだから」

「……」


複雑な気持ちに気づいてくれたのだ。私は返事の代わりに微笑みを浮かべ、彼に寄り添う。


「僕が大切なのは君だけだ。君だけを愛し、守り抜きたい」


通りの向こうのざわめきは、もう聞こえない。

二人きりの幸せな家路。愛する人の温もりに包まれて私は満たされ、女としての悦びに浸った。





マンションの部屋に帰ると、私たちはまず風呂に入り、パジャマに着替えた。

バスタブの温かい湯は、遅くまで働いた体の疲れを取り去ってくれる。後ろから私を包む智哉さんの胸にもたれ、ゆったりと入浴した。


先に風呂を出た智哉さんがキッチンでコーヒーを淹れてくれた。眠る前なので、ミルクたっぷりのカフェ・オ・レである。

私は彼と並んでソファに座り、就寝前のひとときを楽しんだ。


「そういえば智哉さん。不審な客のこと、山賀さんさから聞いたでしょう」


神戸のチョコレート菓子をつまみながらカフェオレを飲むうちに、ふと思い出した。智哉さんはリラックスした態度で、私の問いかけに頷く。


「ああ、聞いたよ。週刊誌の記者かもしれないと、彼女が言ってたな」

「そうなの。でも、単なるお客様である可能性もなくはないから、今度現れたらどう対処すればいいのかスタッフと相談してるんだけど……考えあぐねてる」


カップを手に困った顔でいる私を、智哉さんは優しく見守る。まるで、何も心配する必要はないと言わんばかりの表情だ。

私に関しては心配性の彼なのに、意外な反応である。


「週刊誌の記者だとしても、放っておけばいい。店で何かしようとしてもスタッフの目があるし、退勤後は僕がガードする。君を勝手に写真に撮るようなら、今度こそ正式に抗議するつもりだ」

「智哉さん……」


どんなときも彼は私を守ってくれる。落ち着いた態度なのは、きちんと対処方法を考えてくれているからだ。



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