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身代わり
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翌朝、リビングのカーテンを開けると青空が広がっていた。
世間はゴールデンウィークの真っ只中だが、サービス業に従事する私たちにとって連休は書き入れ時である。
今日も忙しくなりそうだ。
「そういえば、今週は引っ越しだな」
朝食を作ろうとしたとき、智哉さんがリビングのカレンダーを眺めて予定を確認した。
「うん。ようやくって感じ」
忙しくてのびのびになっていたが、私は今週の水曜日にメゾン城田を退去する。
解約日は5月末だけど、とにかく早く退去したかった。鳥宮さんの件もあるが、アパート脇の公園で事件が起きたのが決定打である。私にとってメゾン城田は、二度と近づきたくない場所になった。
「智哉さん、仕事を休んでも本当に大丈夫?荷物なんてそれほどないし、私一人でも作業できるけど」
智哉さんが引っ越しを手伝うと言ってくれたが、忙しい連休中なので悪い気がした。
荷物の運搬は引っ越し会社がやってくれるし、そもそも古い家具と家電は処分したので、数は知れている。
「心配は無用だよ。それに、一人より二人のほうが作業が早く済むだろ。あんなアパート、さっさと引き払ってほしいんだ」
「そ、そうだよね」
智哉さんも私と同じ気持ちなのだ。それに、禍々しい場所での作業を彼が手伝ってくれるのは心強い。
「朝ごはん作るね。今日は時間がないからハムエッグでもいい?」
「もちろん。ハルの料理なら何でもOKだ」
智哉さんはにこりと微笑み、パンとコーヒーを準備してくれる。
いつもどおりの朝、いつもどおりの彼の優しさに幸せを感じる。
(ああ、早く智哉さんと結婚したいな)
一緒にいるだけでも幸せなのに贅沢な願いだけど、結婚という響きにはやはり憧れてしまう。
私はウキウキしながら、二人ぶんのハムエッグを調理した。
「そうだ。ハルに渡すものがあるんだ」
私が出勤の準備をしていると、智哉さんがビジネスバッグから銀色の包みを取り出し、差し出した。
「はい、プレゼント」
「えっ? どうしたの、突然」
よく見ると、銀色の包装紙に有名ブランドのロゴがプリントされている。
誕生日でもないし、特別な記念日でもない。プレゼントされる理由が分からず、私は首を傾げた。
「昨日の昼休憩にブランドモールを通りかかったとき、ハルに似合いそうな服を見つけて衝動買いしたんだ。開けてみて」
言われるまま包みを開けて、中のものを取り出す。広げてみると、それはブランドのサマージャケットだった。
「わっ、きれい……!」
雪のように真っ白な生地とすっきりとしたラインが爽やかな印象を持たせる。私好みのデザインだ。
「これからの季節にぴったりだろ?」
「ありがとう、智哉さん!」
こんなに素敵な服を突然プレゼントされて、戸惑うと同時に感激した。
しかも私に似合うと言ってくれて嬉しくなるが……
「あと、これは山賀さんに」
「えっ?」
智哉さんはビジネスバッグからもう一つ、同じ包みを取り出した。
私はきょとんとして、それを見下ろす。
「彼女には世話になってるからね。ハルとお揃いで買ったんだ」
「え……同じジャケットを?」
「そう。君と彼女は雰囲気が似てるし、姉妹みたいに仲がいいから喜ぶんじゃないかな」
智哉さんの口調は明るく、他意を感じさせない。彼は本気で、お揃いのジャケットをプレゼントされて私たちが喜ぶと思っているようだ。
「そ、そうね……このデザインなら確かに、彼女にも似合いそう」
「だろ? 今日は山賀さんも出勤するだろうし、ハルから渡しておいてくれ」
「分かった」
智哉さんに悪気はない。私は素直に返事をして、山賀さんへのプレゼントを受け取り、トートバッグに入れた。
「通勤や、ちょっとした買い物に羽織るのもいい。せっかくだから、どんどん着てくれよ」
「あ、うん。でも高級ブランドだし、通勤に使うのはもったいないような……」
山賀さんとペアルックで歩く姿を想像し、腰が引ける。彼女だってきっと恥ずかしがるに違いない。いくら智哉さんのプレゼントでも。
「何言ってるんだ。ほら、貸して」
智哉さんは私の手からジャケットを取り上げ、肩に着せかけた。
「ハル、ちゃんと着てごらん」
「え、ええ」
仕方なく袖を通し、姿見の前に立つ。
(あ、素敵……)
智哉さんが選んだジャケットは、垢抜けない私でも洗練した女性に見せてくれる。彼のセンスには脱帽するほかなかった。
「じゃあ、さっそく着ていこうかな」
「ぜひどうぞ」
何のかんの言っても、智哉さんのプレゼントはいつも私の心を浮き立たせる。通勤用のパンプスをプレゼントされたときも嬉しかった。
「さてと、ちょうどいい時間だ。そろそろ出ようか」
「あ、少し待って」
ふと思い立ち、洗面所に入った。夏向きのジャケットに合わせて、髪をアップスタイルにしてみる。
「おっ、ますますいい感じになった。さすがハルだな」
手放しで褒められて、照れてしまう。智哉さんはもじもじする私をしばし見つめて、「本当にいい感じだよ、ハル」と、満足そうにうなずいた。
(山賀さんとお揃いなのは少し複雑だけど……まあ、いっか)
私たちはマンションを出ると、爽やかに晴れた街を並んで歩いた。
世間はゴールデンウィークの真っ只中だが、サービス業に従事する私たちにとって連休は書き入れ時である。
今日も忙しくなりそうだ。
「そういえば、今週は引っ越しだな」
朝食を作ろうとしたとき、智哉さんがリビングのカレンダーを眺めて予定を確認した。
「うん。ようやくって感じ」
忙しくてのびのびになっていたが、私は今週の水曜日にメゾン城田を退去する。
解約日は5月末だけど、とにかく早く退去したかった。鳥宮さんの件もあるが、アパート脇の公園で事件が起きたのが決定打である。私にとってメゾン城田は、二度と近づきたくない場所になった。
「智哉さん、仕事を休んでも本当に大丈夫?荷物なんてそれほどないし、私一人でも作業できるけど」
智哉さんが引っ越しを手伝うと言ってくれたが、忙しい連休中なので悪い気がした。
荷物の運搬は引っ越し会社がやってくれるし、そもそも古い家具と家電は処分したので、数は知れている。
「心配は無用だよ。それに、一人より二人のほうが作業が早く済むだろ。あんなアパート、さっさと引き払ってほしいんだ」
「そ、そうだよね」
智哉さんも私と同じ気持ちなのだ。それに、禍々しい場所での作業を彼が手伝ってくれるのは心強い。
「朝ごはん作るね。今日は時間がないからハムエッグでもいい?」
「もちろん。ハルの料理なら何でもOKだ」
智哉さんはにこりと微笑み、パンとコーヒーを準備してくれる。
いつもどおりの朝、いつもどおりの彼の優しさに幸せを感じる。
(ああ、早く智哉さんと結婚したいな)
一緒にいるだけでも幸せなのに贅沢な願いだけど、結婚という響きにはやはり憧れてしまう。
私はウキウキしながら、二人ぶんのハムエッグを調理した。
「そうだ。ハルに渡すものがあるんだ」
私が出勤の準備をしていると、智哉さんがビジネスバッグから銀色の包みを取り出し、差し出した。
「はい、プレゼント」
「えっ? どうしたの、突然」
よく見ると、銀色の包装紙に有名ブランドのロゴがプリントされている。
誕生日でもないし、特別な記念日でもない。プレゼントされる理由が分からず、私は首を傾げた。
「昨日の昼休憩にブランドモールを通りかかったとき、ハルに似合いそうな服を見つけて衝動買いしたんだ。開けてみて」
言われるまま包みを開けて、中のものを取り出す。広げてみると、それはブランドのサマージャケットだった。
「わっ、きれい……!」
雪のように真っ白な生地とすっきりとしたラインが爽やかな印象を持たせる。私好みのデザインだ。
「これからの季節にぴったりだろ?」
「ありがとう、智哉さん!」
こんなに素敵な服を突然プレゼントされて、戸惑うと同時に感激した。
しかも私に似合うと言ってくれて嬉しくなるが……
「あと、これは山賀さんに」
「えっ?」
智哉さんはビジネスバッグからもう一つ、同じ包みを取り出した。
私はきょとんとして、それを見下ろす。
「彼女には世話になってるからね。ハルとお揃いで買ったんだ」
「え……同じジャケットを?」
「そう。君と彼女は雰囲気が似てるし、姉妹みたいに仲がいいから喜ぶんじゃないかな」
智哉さんの口調は明るく、他意を感じさせない。彼は本気で、お揃いのジャケットをプレゼントされて私たちが喜ぶと思っているようだ。
「そ、そうね……このデザインなら確かに、彼女にも似合いそう」
「だろ? 今日は山賀さんも出勤するだろうし、ハルから渡しておいてくれ」
「分かった」
智哉さんに悪気はない。私は素直に返事をして、山賀さんへのプレゼントを受け取り、トートバッグに入れた。
「通勤や、ちょっとした買い物に羽織るのもいい。せっかくだから、どんどん着てくれよ」
「あ、うん。でも高級ブランドだし、通勤に使うのはもったいないような……」
山賀さんとペアルックで歩く姿を想像し、腰が引ける。彼女だってきっと恥ずかしがるに違いない。いくら智哉さんのプレゼントでも。
「何言ってるんだ。ほら、貸して」
智哉さんは私の手からジャケットを取り上げ、肩に着せかけた。
「ハル、ちゃんと着てごらん」
「え、ええ」
仕方なく袖を通し、姿見の前に立つ。
(あ、素敵……)
智哉さんが選んだジャケットは、垢抜けない私でも洗練した女性に見せてくれる。彼のセンスには脱帽するほかなかった。
「じゃあ、さっそく着ていこうかな」
「ぜひどうぞ」
何のかんの言っても、智哉さんのプレゼントはいつも私の心を浮き立たせる。通勤用のパンプスをプレゼントされたときも嬉しかった。
「さてと、ちょうどいい時間だ。そろそろ出ようか」
「あ、少し待って」
ふと思い立ち、洗面所に入った。夏向きのジャケットに合わせて、髪をアップスタイルにしてみる。
「おっ、ますますいい感じになった。さすがハルだな」
手放しで褒められて、照れてしまう。智哉さんはもじもじする私をしばし見つめて、「本当にいい感じだよ、ハル」と、満足そうにうなずいた。
(山賀さんとお揃いなのは少し複雑だけど……まあ、いっか)
私たちはマンションを出ると、爽やかに晴れた街を並んで歩いた。
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