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カメラ
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ビルを出てからも、智哉さんは黙っていた。不機嫌な態度ではないが、どこかピリピリとした、神経質な気配が伝わってくる。
マンションに帰り着き、部屋に入ったところでその気配は消えた。
「今日、刑事が僕を訪ねてきた」
スーツの上着を脱ぎながら、智哉さんが報告した。そのことをすっかり忘れていた私は、あっと声を上げる。
「そうだ私、警察の帰りに刑事さんに送ってもらったの。その人が智哉さんに会うって言ってた」
「県警本部の瀬戸刑事だね。店に来たのは彼女ともう一人、緑署の刑事だった。以前、鳥宮の件で東松刑事と一緒に君を事情聴取したと言っていたよ。名前は水野だったかな」
水野警部補だ。瀬戸さんは彼と待ち合わせていたのだ。
「私も事情聴取でいろいろ訊かれた。落ち着いて話したいから、コーヒー淹れるね」
智哉さんはうなずき、ソファに腰掛けた。ずいぶん疲れているように見える。
私はコーヒーの用意をしながらそわそわする。彼が瀬戸さんたちにどんな風に答えたのか気になった。
でも、決して詮索するまいと自分に言い聞かせる。過去に何があろうと今の私たちに関係ないのだから。彼が自ら話さない限り、余計な質問はしない。
それでもやはり、そわそわするのを止められなかった。
コーヒーをテーブルに運び、智哉さんの隣に腰かけた。
彼はカップを取り上げ、ゆっくりとコーヒーを味わう。というより、気を落ち着かせているように見えた。私も同じようにして、そわそわする気持ちを抑えた。
「まず、ハルの話を聞くよ。今日は警察で何を訊かれた?」
智哉さんはカップを置くと、私の顔を見て質問した。少し怖いくらいの、真剣な表情である。
「えっと、まず……事件当日に不審な車を見なかったか、とか、以前と同じことを聴取されたわ。それから……」
私は聴取の内容をすべて話した。警察が住宅用防犯カメラや車載カメラなど、映像をかき集めていることや、路駐の車について訊かれたこと。あとは、土屋さんが店長から暴力を受けていたことまで。
ただ、東松さんが智哉さんに『無茶をしないように』と警告したことは黙っておいた。東松さんを良く思っていない彼を不愉快にさせるだけだから。
「カメラの映像か。しかし、ハルがナンバーを覚えていた車のドラレコを調べても、たぶん意味がないだろう」
「そうなの?」
私が不思議そうに訊くと、智哉さんは口もとで笑った。
「事件があったのは一週間前だ。あの夜の録画データはとうに上書きされている」
「あ、そうか」
もし件の車が事件当日、公園横に路駐していたとする。そして車載カメラが事件の決定的瞬間を捉えていたとしても、一週間も経ってしまった今、当時のフォルダは上書きされているだろう。
「データを復元できないかしら」
「時間が経てば経つほど難しい。無理だと思うよ。そもそも、ドラレコがない車かもしれないし、あったとしても常時録画タイプとは限らないだろ」
「そっか……そうよね」
警察が有力なデータを得る可能性は低い。
だけど、私がナンバーを教えたとき、東松さんは『かなり参考になる』と言った。何らかの手応えがあったはずだ。
まったくの無意味ではないと思うが、私は口をつぐむ。東松さんの肩を持つみたいで、言いにくかった。
「それにしても、古池が土屋に暴力を振るっていたとはね」
智哉さんが眉を顰める。あの二人の歪な関係を、彼も理解できないのだろう。
「土屋さんは店長に、心と体をコントロールされていたらしいの。そんな男女関係、私には信じられないけど」
「……」
肯定も否定もせず、智哉さんは黙って私を見つめる。だけど、何か言いたそうにも見えた。
「智哉さん?」
「いや、何でもない。つまり古池と土屋はDVに近い関係だったってことか。ぞっとするよ」
「う、うん」
智哉さんはコーヒーを飲み干し、カップを置いた。少し苛立った仕草で。
「まあ、あの二人がどんな関係だろうと、どうでもいいけどね。それより、今度は僕の番だ。刑事が何の用があって店まで来たのか、一応話しておく」
智哉さんはあっさりと話題を変えた。
私も意識を切り替える。店長と土屋さんのことより、智哉さんの話のほうが何倍も重要だ。
「ドゥマンの総務部員が、捜査本部に電話を入れたらしい。その人は僕と入れ違いで本町駅店から本部に異動した社員で、こっちにいた頃、古池と親しかったそうだ。事件の少し前に古池が僕について問い合わせたらしく、彼はそれを警察に報告した。事件に関係があるのではと、不安になってね」
瀬戸さんから聞いたとおりだ。黙ってうなずく私に、智哉さんは真顔になって告げた。
「瀬戸さんが教えてくれたよ。古池が僕について彼に問い合わせたのは、ハルを揺さぶるネタを拾うためだったこと」
「あ……」
私の証言を、瀬戸さんは智哉さんにそのまま伝えたのだ。おそらく、店長に揺さぶられた事実も。
私はその件について智哉さんに話していない。さぞかし驚いたことだろう。
「う、うん。だから今回の情報提供は事件とは関係ないって、瀬戸さんに説明しておいた。でも念のために智哉さんに聴取するって……」
「ああ。刑事ってやつは事件に関係のない情報でも、いちいち確認しないと気が済まないんだな。総務部員が古池に話した内容が本当なのか確かめにきたんだ」
「えっ……」
マンションに帰り着き、部屋に入ったところでその気配は消えた。
「今日、刑事が僕を訪ねてきた」
スーツの上着を脱ぎながら、智哉さんが報告した。そのことをすっかり忘れていた私は、あっと声を上げる。
「そうだ私、警察の帰りに刑事さんに送ってもらったの。その人が智哉さんに会うって言ってた」
「県警本部の瀬戸刑事だね。店に来たのは彼女ともう一人、緑署の刑事だった。以前、鳥宮の件で東松刑事と一緒に君を事情聴取したと言っていたよ。名前は水野だったかな」
水野警部補だ。瀬戸さんは彼と待ち合わせていたのだ。
「私も事情聴取でいろいろ訊かれた。落ち着いて話したいから、コーヒー淹れるね」
智哉さんはうなずき、ソファに腰掛けた。ずいぶん疲れているように見える。
私はコーヒーの用意をしながらそわそわする。彼が瀬戸さんたちにどんな風に答えたのか気になった。
でも、決して詮索するまいと自分に言い聞かせる。過去に何があろうと今の私たちに関係ないのだから。彼が自ら話さない限り、余計な質問はしない。
それでもやはり、そわそわするのを止められなかった。
コーヒーをテーブルに運び、智哉さんの隣に腰かけた。
彼はカップを取り上げ、ゆっくりとコーヒーを味わう。というより、気を落ち着かせているように見えた。私も同じようにして、そわそわする気持ちを抑えた。
「まず、ハルの話を聞くよ。今日は警察で何を訊かれた?」
智哉さんはカップを置くと、私の顔を見て質問した。少し怖いくらいの、真剣な表情である。
「えっと、まず……事件当日に不審な車を見なかったか、とか、以前と同じことを聴取されたわ。それから……」
私は聴取の内容をすべて話した。警察が住宅用防犯カメラや車載カメラなど、映像をかき集めていることや、路駐の車について訊かれたこと。あとは、土屋さんが店長から暴力を受けていたことまで。
ただ、東松さんが智哉さんに『無茶をしないように』と警告したことは黙っておいた。東松さんを良く思っていない彼を不愉快にさせるだけだから。
「カメラの映像か。しかし、ハルがナンバーを覚えていた車のドラレコを調べても、たぶん意味がないだろう」
「そうなの?」
私が不思議そうに訊くと、智哉さんは口もとで笑った。
「事件があったのは一週間前だ。あの夜の録画データはとうに上書きされている」
「あ、そうか」
もし件の車が事件当日、公園横に路駐していたとする。そして車載カメラが事件の決定的瞬間を捉えていたとしても、一週間も経ってしまった今、当時のフォルダは上書きされているだろう。
「データを復元できないかしら」
「時間が経てば経つほど難しい。無理だと思うよ。そもそも、ドラレコがない車かもしれないし、あったとしても常時録画タイプとは限らないだろ」
「そっか……そうよね」
警察が有力なデータを得る可能性は低い。
だけど、私がナンバーを教えたとき、東松さんは『かなり参考になる』と言った。何らかの手応えがあったはずだ。
まったくの無意味ではないと思うが、私は口をつぐむ。東松さんの肩を持つみたいで、言いにくかった。
「それにしても、古池が土屋に暴力を振るっていたとはね」
智哉さんが眉を顰める。あの二人の歪な関係を、彼も理解できないのだろう。
「土屋さんは店長に、心と体をコントロールされていたらしいの。そんな男女関係、私には信じられないけど」
「……」
肯定も否定もせず、智哉さんは黙って私を見つめる。だけど、何か言いたそうにも見えた。
「智哉さん?」
「いや、何でもない。つまり古池と土屋はDVに近い関係だったってことか。ぞっとするよ」
「う、うん」
智哉さんはコーヒーを飲み干し、カップを置いた。少し苛立った仕草で。
「まあ、あの二人がどんな関係だろうと、どうでもいいけどね。それより、今度は僕の番だ。刑事が何の用があって店まで来たのか、一応話しておく」
智哉さんはあっさりと話題を変えた。
私も意識を切り替える。店長と土屋さんのことより、智哉さんの話のほうが何倍も重要だ。
「ドゥマンの総務部員が、捜査本部に電話を入れたらしい。その人は僕と入れ違いで本町駅店から本部に異動した社員で、こっちにいた頃、古池と親しかったそうだ。事件の少し前に古池が僕について問い合わせたらしく、彼はそれを警察に報告した。事件に関係があるのではと、不安になってね」
瀬戸さんから聞いたとおりだ。黙ってうなずく私に、智哉さんは真顔になって告げた。
「瀬戸さんが教えてくれたよ。古池が僕について彼に問い合わせたのは、ハルを揺さぶるネタを拾うためだったこと」
「あ……」
私の証言を、瀬戸さんは智哉さんにそのまま伝えたのだ。おそらく、店長に揺さぶられた事実も。
私はその件について智哉さんに話していない。さぞかし驚いたことだろう。
「う、うん。だから今回の情報提供は事件とは関係ないって、瀬戸さんに説明しておいた。でも念のために智哉さんに聴取するって……」
「ああ。刑事ってやつは事件に関係のない情報でも、いちいち確認しないと気が済まないんだな。総務部員が古池に話した内容が本当なのか確かめにきたんだ」
「えっ……」
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