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カメラ
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「あの、私はここで大丈夫です。一人で行けますので」
「すみません。では、何かあったらまたご連絡ください。失礼します」
捜査本部は上階の講堂に設置されている。東松さんは頭を下げると、慌ただしく階段を上がっていった。
残された私は、瀬戸さんに挨拶して帰ろうとしたが……
「これからお仕事ですか?」
「……えっ?」
なぜかぐっと近づいてくる。彼女は背が高いので、私は見上げる格好になった。
「私も本町駅に出かけるところなんです。良かったら乗っていきません?」
いたずらっぽく片目をつむり、ハンドルを操るジェスチャーをした。
警察署の行き帰りはタクシーを使うようにと智哉さんに言われたが、私は瀬戸さんの好意に甘えることにした。警察官に送ってもらうのだから、これ以上安全な交通手段はない。
「職場の様子はいかがです。少しは落ち着かれましたか?」
瀬戸さんが運転しながら私に話しかける。はきはきとした口調が気持ち良い。
「そうですね。事件直後に比べたらマシですが、やっぱりピリピリしてます。お客様に事件について訊かれたり、問い合わせがあったりするので」
「そうですか。被疑者が逃亡中だから、お客様も不安ですよね。申しわけありません」
瀬戸さんは捜査本部の一員として責任を感じるのだ。だけど、それは違う。
「刑事さんたちの地道な努力を、私は知っています。それに、一番悪いのは店長なんです。職場の人間が大変なことをしでかして、こちらこそ警察の皆さんや世間にお詫びしなければなりません」
「一条さん……」
瀬戸さんが大きな目をさらに見開く。
「さすが副店長さんですね。お若いのにしっかりしていらっしゃる」
「そんな、とんでもないです」
瀬戸さんみたいな仕事のできる女性に褒められると恐縮してしまう。
私は何となく恥ずかしくなり、口をつぐんだ。
「ところで、一条さんはこの近くにお住まいなんですよね。確か、初動捜査に付き添われた男性……水樹智哉さんと同居されているとか」
「え、ええ。そうですけど……」
なぜ知っているのだろう。と思ったが、捜査員なら当然、関係者の情報を把握している。
だけど、いきなり智哉さんの名前が出たのでちょっと驚いてしまった。
「東松に聞いたんですよ。すっごいイケメンなんですって?」
瀬戸さんが突然、くだけた調子になる。仕事の話ではないのだろうか。
「智哉さんをイケメンだと、東松さんが?」
「イケメンじゃなくて、美男子とか男前とか言ってたっけ? あいつ、言葉選びがオッさんなのよねえ」
「ぷっ……」
いくら何でもオッさんはひどい。でも、瀬戸さんのあっけらかんとした言い方が可笑しくて、噴き出してしまった。
本町の駅ビルが見えてきた。瀬戸さんは交差点でハンドルを切り、地下駐車場の入り口へと進む。彼女は運転が上手なので安心して乗っていられた。
「送ってくださり、ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして」
瀬戸さんがにこりと微笑む。こうして間近で見ると、意外なほど薄化粧なのが分かる。彼女は化粧などいらないほど目鼻立ちのはっきりとした美人で、何より肌がきれいなのだ。
「実はね、一条さん」
「えっ?」
車を降りようとした私に、彼女が話しかけた。
「これから水樹さんに会いにいくの」
「智哉さんに?」
私は助手席に座り直す。瀬戸さんはエンジンを切り、シートベルトを外して身体ごとこちらを向いた。
「昨日、ある人から情報提供がありました。事件の三日ほど前、古池がその人に電話をかけてきて水樹智哉について教えてほしいと言ったそうです」
「……?」
一体、何の話だろう。私はだが、すぐにあることに思い至った。瀬戸さんは表情を変えず、動揺を露わにする私を見つめている。
「その人はドゥマン本町駅店の元販売員。水樹さんが本町駅店に配属される少し前に本社総務部に異動した人で、こっちにいた頃、古池とまあまあ親しかったとか。長いこと音沙汰なしだったのに、突然古池が電話してきたので驚いたそうです」
「ドゥマン本町駅店の……元販売員」
私は胸騒ぎがした。
店長の言ったことなど忘れていた。今の自分たちに関係のない話だから、考えないようにしていたのに。
「心当たりがあるようですね」
「店長は、智哉さんが高崎店にいたのを知っていました。たぶん、その人から聞いたんです」
瀬戸さんはうなずき、情報提供者について語った。
「彼は総務部所属で人事に詳しかった。古池とは知己の間柄であり、深く考えずに教えてしまったのね。まさか古池があんな人間だとは知らなかった。もしかしたら、あの電話が事件に関わっているのではないか……と不安になり、警察に連絡したってわけです」
「そんな、事件に関係なんてありません。店長は私に絡むために、智哉さんのことを調べただけです」
「絡む? そういえば一条さんは、古池にパワハラとセクハラを受けていましたね」
「ええ……」
瀬戸さんが無言で詳細を促す。決して無理強いはしないけれど、何ともいえない圧力を感じて私は口を開いた。
「店長は智哉さんを一方的にライバル視していました。敵を知るのは戦いの基本だとか言って、事務所で二人きりになったときに絡んできて……今思い出しても鳥肌が立ちます」
「古池はそこで、水樹さんが高崎店にいたと一条さんに言ったんですね。古池は他に何を知っていましたか?」
おそらく瀬戸さんは、ドゥマンの総務部員から、もっとたくさんの情報を得ている。それでもあえて私から聞き出すのだ。
証言に矛盾がないか確かめるのも警察官の仕事である。
「高崎に恋人がいたそうですよ、と」
「恋人が……なるほど、一条さんとしては心中穏やかじゃないですね」
「それが店長の目的ですから。でも……」
私はふっと息をつく。
「すみません。では、何かあったらまたご連絡ください。失礼します」
捜査本部は上階の講堂に設置されている。東松さんは頭を下げると、慌ただしく階段を上がっていった。
残された私は、瀬戸さんに挨拶して帰ろうとしたが……
「これからお仕事ですか?」
「……えっ?」
なぜかぐっと近づいてくる。彼女は背が高いので、私は見上げる格好になった。
「私も本町駅に出かけるところなんです。良かったら乗っていきません?」
いたずらっぽく片目をつむり、ハンドルを操るジェスチャーをした。
警察署の行き帰りはタクシーを使うようにと智哉さんに言われたが、私は瀬戸さんの好意に甘えることにした。警察官に送ってもらうのだから、これ以上安全な交通手段はない。
「職場の様子はいかがです。少しは落ち着かれましたか?」
瀬戸さんが運転しながら私に話しかける。はきはきとした口調が気持ち良い。
「そうですね。事件直後に比べたらマシですが、やっぱりピリピリしてます。お客様に事件について訊かれたり、問い合わせがあったりするので」
「そうですか。被疑者が逃亡中だから、お客様も不安ですよね。申しわけありません」
瀬戸さんは捜査本部の一員として責任を感じるのだ。だけど、それは違う。
「刑事さんたちの地道な努力を、私は知っています。それに、一番悪いのは店長なんです。職場の人間が大変なことをしでかして、こちらこそ警察の皆さんや世間にお詫びしなければなりません」
「一条さん……」
瀬戸さんが大きな目をさらに見開く。
「さすが副店長さんですね。お若いのにしっかりしていらっしゃる」
「そんな、とんでもないです」
瀬戸さんみたいな仕事のできる女性に褒められると恐縮してしまう。
私は何となく恥ずかしくなり、口をつぐんだ。
「ところで、一条さんはこの近くにお住まいなんですよね。確か、初動捜査に付き添われた男性……水樹智哉さんと同居されているとか」
「え、ええ。そうですけど……」
なぜ知っているのだろう。と思ったが、捜査員なら当然、関係者の情報を把握している。
だけど、いきなり智哉さんの名前が出たのでちょっと驚いてしまった。
「東松に聞いたんですよ。すっごいイケメンなんですって?」
瀬戸さんが突然、くだけた調子になる。仕事の話ではないのだろうか。
「智哉さんをイケメンだと、東松さんが?」
「イケメンじゃなくて、美男子とか男前とか言ってたっけ? あいつ、言葉選びがオッさんなのよねえ」
「ぷっ……」
いくら何でもオッさんはひどい。でも、瀬戸さんのあっけらかんとした言い方が可笑しくて、噴き出してしまった。
本町の駅ビルが見えてきた。瀬戸さんは交差点でハンドルを切り、地下駐車場の入り口へと進む。彼女は運転が上手なので安心して乗っていられた。
「送ってくださり、ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして」
瀬戸さんがにこりと微笑む。こうして間近で見ると、意外なほど薄化粧なのが分かる。彼女は化粧などいらないほど目鼻立ちのはっきりとした美人で、何より肌がきれいなのだ。
「実はね、一条さん」
「えっ?」
車を降りようとした私に、彼女が話しかけた。
「これから水樹さんに会いにいくの」
「智哉さんに?」
私は助手席に座り直す。瀬戸さんはエンジンを切り、シートベルトを外して身体ごとこちらを向いた。
「昨日、ある人から情報提供がありました。事件の三日ほど前、古池がその人に電話をかけてきて水樹智哉について教えてほしいと言ったそうです」
「……?」
一体、何の話だろう。私はだが、すぐにあることに思い至った。瀬戸さんは表情を変えず、動揺を露わにする私を見つめている。
「その人はドゥマン本町駅店の元販売員。水樹さんが本町駅店に配属される少し前に本社総務部に異動した人で、こっちにいた頃、古池とまあまあ親しかったとか。長いこと音沙汰なしだったのに、突然古池が電話してきたので驚いたそうです」
「ドゥマン本町駅店の……元販売員」
私は胸騒ぎがした。
店長の言ったことなど忘れていた。今の自分たちに関係のない話だから、考えないようにしていたのに。
「心当たりがあるようですね」
「店長は、智哉さんが高崎店にいたのを知っていました。たぶん、その人から聞いたんです」
瀬戸さんはうなずき、情報提供者について語った。
「彼は総務部所属で人事に詳しかった。古池とは知己の間柄であり、深く考えずに教えてしまったのね。まさか古池があんな人間だとは知らなかった。もしかしたら、あの電話が事件に関わっているのではないか……と不安になり、警察に連絡したってわけです」
「そんな、事件に関係なんてありません。店長は私に絡むために、智哉さんのことを調べただけです」
「絡む? そういえば一条さんは、古池にパワハラとセクハラを受けていましたね」
「ええ……」
瀬戸さんが無言で詳細を促す。決して無理強いはしないけれど、何ともいえない圧力を感じて私は口を開いた。
「店長は智哉さんを一方的にライバル視していました。敵を知るのは戦いの基本だとか言って、事務所で二人きりになったときに絡んできて……今思い出しても鳥肌が立ちます」
「古池はそこで、水樹さんが高崎店にいたと一条さんに言ったんですね。古池は他に何を知っていましたか?」
おそらく瀬戸さんは、ドゥマンの総務部員から、もっとたくさんの情報を得ている。それでもあえて私から聞き出すのだ。
証言に矛盾がないか確かめるのも警察官の仕事である。
「高崎に恋人がいたそうですよ、と」
「恋人が……なるほど、一条さんとしては心中穏やかじゃないですね」
「それが店長の目的ですから。でも……」
私はふっと息をつく。
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