120 / 236
無償の愛
6
しおりを挟む
それから10分ほど話をしたところで、智哉さんがそろそろ帰ろうと言った。時刻は午後10時半になろうとしている。
「ごめんなさい。私、ちょっとお手洗いに……」
喫茶店内にトイレがある。帰る前に寄っておこうと思った。
「あ、待ってください。私も行きます」
私が歩きかけると、なぜか山賀さんも椅子を立つ。智哉さんと二人きりになるのが恥ずかしいのかな。と、思ったけれど……
「水樹さんが、付き添いを頼むって」
「ええっ?」
智哉さんを見ると、素知らぬ顔で横を向いている。
「トイレくらい一人で行けるのに」
「一条さんが心配なんですよ。ふふっ、過保護ですね」
山賀さんの前で子ども扱いされて、ちょっと体裁が悪い。と言うより、彼はなぜこれほどまでに用心するのだろう。
山賀さんと並んで手を洗いながら、疑問を口にしてみた。
「店長が捕まるまで、一条さんを一人にしたくないんですよ」
「でも、本町駅周辺は防犯カメラがあちこちにあるし、警察官が何人も張り込んでいるはずよ。指名手配されてる店長が、この辺りをうろうろするとは思えないけど」
ましてや喫茶店の女子トイレなど、最も安全な場所に思える。
「私も、さほど心配ないと思いますが……店長は追い詰められた状態なので、何をしでかすか分かりません。地元の学校も警戒して、子どもの登下校に保護者が付き添ってるくらいですし、捕まるまで安心はできませんね」
(保護者……か)
私をガードするのは智哉さんの意思だ。山賀さんにとって、彼の指示は絶対なのである。
「警察がSPとか付けてくれたらいいのに」
山賀さんの言葉に、私は思わず噴き出す。
「SPって……それこそ大げさだよ」
「だって相手は店長ですからね。しかも、いまや殺人犯の。警察からはアドバイスとかないんですか?」
「うーん。まあ、東松さんには気を付けてくださいと言われてるけど」
「東松って、あのコワモテ刑事さん?」
冬月書店で事情聴取を行ったのは東松さんだ。山賀さんは店長と土屋さんの不倫の証拠をいくつか提出したため、彼にしっかり聴取されている。
「いっそのこと、あの刑事さんがボディガードになってくれたらいいのに。そうすれば怖くて誰も近づけません」
「うふっ、確かに」
東松さんと私は、ご縁があるのだろうか。鳥宮さんの件といい、お世話になりっぱなしだ。少しぶっきらぼうだけど、頼りになるし、良い人だと思う。
でも、気になることが一つ。どういうわけか東松さんは、やたらと智哉さんのことを聞きたがるのだ。事件とまったく関係がないのに。
「それと、女性の刑事さんもいましたよね。すっごく美人でスタイルのいい人。一条さん、名刺をもらいませんでしたか」
「ああ……えっと、県警本部の瀬戸さんだったかな。東松さんと一緒に捜査してるみたい」
瀬戸刑事は東松さんに対して、ずいぶん親しげな態度だった。もっとも、東松さんは階級が下らしく部下として接していたが。
「かっこよかったなあ。ドラマに出てくる女刑事みたいだって、みんな噂してましたよ。コワモテ刑事さんと並ぶと、美女と野獣みたいな」
「ぷっ……」
東松さんが聞いたら、どんな顔をするだろう。でも、彼らはバランスの取れた、絵になるコンビだと思う。
「さてと、もう行きましょう。智哉さんが待ってる」
「あっ、そうですよね」
私たちはお喋りをやめて、フロアに戻った。
「あれっ?」
テーブルに戻ると、智哉さんがいなくなっていた。私は店内を見回すが、どこにも見当たらない。
「水樹さんもトイレですか?」
「うーん。伝票がないから、会計を済ませて外で待ってると思う」
それにしても、何も言わずに出て行くのは彼らしくない。私は首を傾げつつ、山賀さんと一緒に店を出た。
「あっ、水樹さんがあそこに」
山賀さんの指差すほうを見ると、智哉さんの背中があった。通路の向こうで、誰かと話している。
「一条さん。もしかして……」
「うん」
カメラを手にした男性と、スーツを着た女性。おそらくあれは、週刊誌のカメラマンと記者だ。
土屋さんが殺された次の日、古池店長が容疑者として指名手配された。警察の発表を受けて、各メディアがこぞって報道した。
地方の事件だが、上司と部下による不倫疑惑を伴う殺人事件は世間の興味を引き、ワイドショーや週刊誌のネタにされている。
事件直後は職場までマスコミが押しかけてきて、大変な騒ぎだった。
「ごめんなさい。私、ちょっとお手洗いに……」
喫茶店内にトイレがある。帰る前に寄っておこうと思った。
「あ、待ってください。私も行きます」
私が歩きかけると、なぜか山賀さんも椅子を立つ。智哉さんと二人きりになるのが恥ずかしいのかな。と、思ったけれど……
「水樹さんが、付き添いを頼むって」
「ええっ?」
智哉さんを見ると、素知らぬ顔で横を向いている。
「トイレくらい一人で行けるのに」
「一条さんが心配なんですよ。ふふっ、過保護ですね」
山賀さんの前で子ども扱いされて、ちょっと体裁が悪い。と言うより、彼はなぜこれほどまでに用心するのだろう。
山賀さんと並んで手を洗いながら、疑問を口にしてみた。
「店長が捕まるまで、一条さんを一人にしたくないんですよ」
「でも、本町駅周辺は防犯カメラがあちこちにあるし、警察官が何人も張り込んでいるはずよ。指名手配されてる店長が、この辺りをうろうろするとは思えないけど」
ましてや喫茶店の女子トイレなど、最も安全な場所に思える。
「私も、さほど心配ないと思いますが……店長は追い詰められた状態なので、何をしでかすか分かりません。地元の学校も警戒して、子どもの登下校に保護者が付き添ってるくらいですし、捕まるまで安心はできませんね」
(保護者……か)
私をガードするのは智哉さんの意思だ。山賀さんにとって、彼の指示は絶対なのである。
「警察がSPとか付けてくれたらいいのに」
山賀さんの言葉に、私は思わず噴き出す。
「SPって……それこそ大げさだよ」
「だって相手は店長ですからね。しかも、いまや殺人犯の。警察からはアドバイスとかないんですか?」
「うーん。まあ、東松さんには気を付けてくださいと言われてるけど」
「東松って、あのコワモテ刑事さん?」
冬月書店で事情聴取を行ったのは東松さんだ。山賀さんは店長と土屋さんの不倫の証拠をいくつか提出したため、彼にしっかり聴取されている。
「いっそのこと、あの刑事さんがボディガードになってくれたらいいのに。そうすれば怖くて誰も近づけません」
「うふっ、確かに」
東松さんと私は、ご縁があるのだろうか。鳥宮さんの件といい、お世話になりっぱなしだ。少しぶっきらぼうだけど、頼りになるし、良い人だと思う。
でも、気になることが一つ。どういうわけか東松さんは、やたらと智哉さんのことを聞きたがるのだ。事件とまったく関係がないのに。
「それと、女性の刑事さんもいましたよね。すっごく美人でスタイルのいい人。一条さん、名刺をもらいませんでしたか」
「ああ……えっと、県警本部の瀬戸さんだったかな。東松さんと一緒に捜査してるみたい」
瀬戸刑事は東松さんに対して、ずいぶん親しげな態度だった。もっとも、東松さんは階級が下らしく部下として接していたが。
「かっこよかったなあ。ドラマに出てくる女刑事みたいだって、みんな噂してましたよ。コワモテ刑事さんと並ぶと、美女と野獣みたいな」
「ぷっ……」
東松さんが聞いたら、どんな顔をするだろう。でも、彼らはバランスの取れた、絵になるコンビだと思う。
「さてと、もう行きましょう。智哉さんが待ってる」
「あっ、そうですよね」
私たちはお喋りをやめて、フロアに戻った。
「あれっ?」
テーブルに戻ると、智哉さんがいなくなっていた。私は店内を見回すが、どこにも見当たらない。
「水樹さんもトイレですか?」
「うーん。伝票がないから、会計を済ませて外で待ってると思う」
それにしても、何も言わずに出て行くのは彼らしくない。私は首を傾げつつ、山賀さんと一緒に店を出た。
「あっ、水樹さんがあそこに」
山賀さんの指差すほうを見ると、智哉さんの背中があった。通路の向こうで、誰かと話している。
「一条さん。もしかして……」
「うん」
カメラを手にした男性と、スーツを着た女性。おそらくあれは、週刊誌のカメラマンと記者だ。
土屋さんが殺された次の日、古池店長が容疑者として指名手配された。警察の発表を受けて、各メディアがこぞって報道した。
地方の事件だが、上司と部下による不倫疑惑を伴う殺人事件は世間の興味を引き、ワイドショーや週刊誌のネタにされている。
事件直後は職場までマスコミが押しかけてきて、大変な騒ぎだった。
0
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
豁サ逕コ縲(死町)season3・4・5
霜月麗華
ミステリー
高校1年生の主人公松原鉄次は竹尾遥、弘田早苗、そして凛と共に金沢へ、そして金沢ではとある事件が起きていた。更に、鉄次達が居ないクラスでも呪いの事件は起きていた。そして、、、過去のトラウマ、、、
3つのストーリーで構成される『死町』、彼らは立ち向かう。
全てに
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作

カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる