恋の記録

藤谷 郁

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無償の愛

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「ホントに羨ましい。というより、あんな素敵な人にそこまで愛される一条さんが妬ましくなったほどです。でも、それ以上に感激しちゃって、思わずガード役を引き受けました。だって、恋人を日向から陰から支えるなんて、カッコ良すぎますよ!」


二人きりの更衣室に、山賀さんの興奮した声が響く。彼女は言葉どおり、智哉さんに感激しきりなのだ。


「だから山賀さんは、全面的に味方してくれたのね」


最近、山賀さんの印象が変わったように見えた。智哉さんの影響を受けていたのだと、ようやく理解する。

智哉さんも、店長と土屋さんを敵視していた。冷酷に感じるほどに。


「内緒にするよう言われたけど、もう黙っていられません。でも、形はどうあれ水樹さんの予言どおりになったことだし、もういいですよね」

「予言?」


山賀さんがこくりと頷く。


「古池店長と土屋はじきに消える。それまで、僕と君とでハルを守るんだ……って。さすがの水樹さんも、殺人事件になるとは思わなかったでしょうけど」


店長と土屋さんが消えたことで、山賀さんは役割を終えた。その安堵感から、秘密を漏らしたようだ。

でも、実際はまだ終わっていない。古池店長が逃亡中である。


「もちろん、水樹さんには引き続き一条さんのそばにいるよう言われました。だけど店長が捕まるのは時間の問題です。どこかに潜んでいるとしても、警察の目があるから自由に動けないでしょうし。終わったも同然ですよ」


山賀さんは私を励ますためか、明るく笑った。


「だといいんだけど」

「ともかく、引き続きガードさせていただきます。水樹さんとの約束だから」




更衣室を出たところで、スマートフォンが鳴った。


「あ、智哉さんだ」


私が遅いので、心配したのかもしれない。遅いと言っても数分だけど、今の彼は神経質になっている。

山賀さんに断ってから、慌てて応答した。


『ハル、仕事は終わった?』

「ごめんなさい。今、更衣室を出たところ。これからすぐに行きます」

『いや、慌てなくて大丈夫だよ。山賀さんも一緒なんだろ?』


山賀さんがラストまで残ることを彼は知っている。他でもない彼が、彼女に頼んだことだから。


「……うん」


私の心理状態を、智哉さんは敏感に察知する。目の動き、会話での間の取り方、僅かな表情の変化から読み取ってしまうのだ。電話の場合、声のトーンも判断材料になるだろう。


『聞いたのか』

「うん。さっき、山賀さんが話してくれた」


智哉さんが小さく息をついた。でもそれは、やるせないため息ではない。


『分かった。通用口を出たところで待ってるから、山賀さんと一緒に下りてくれ。三人で少し話そう』

「はい、智哉さん」


通話を切って山賀さんを見ると、彼女は首をすくめた。


「水樹さんは、何もかもお見通しなんですね」

「察しのいい人だから」


彼は私に関することを、すべて把握している。それもきっと愛情なのだ。

智哉さんには隠しごとなどできないだろう。もっとも、何も隠す必要などなく、隠すつもりもないけれど。




「そうだ、一条さんに報告しなくちゃ。私、ガッツノベルの新刊ゲラを読み終わりましたよ」


エレベーターの前まで来て、山賀さんがぽんと手を叩いた。


「そうなの? で、どうだった」

「面白かったです。でも正直、レーベルが設定するターゲットより上の層に人気が出そうだなと……」


ガッツノベルはライトノベルのレーベルであり、ゲラを読むのは土屋チーフの仕事だった。その役割を店長が私に振ろうとしたが、山賀さんが間に入り、引き受けてくれたのだ。

現在ライトノベルのチーフを兼任する私にとって、山賀さんの感想は大いに参考になる。


「あと、内容に関係ないんですけど、主人公の名前が数か所間違っていました」

「そうなの?」


山賀さんはバッグからゲラを出して、該当する箇所を示す。


「主人公の名前は『雅也』が正しいのですが、ところどころ『雅矢』になっています。版元さんに指摘したほうがいいですかね」

「うーん。作家の入力ミスね。これは初校ゲラだからもう修正されてると思うけど、一応伝えたほうがいいかな」

「分かりました。でも、ひとつひとつ直すのは大変ですよね。見落としがありそう」


山賀さんは文書作成に慣れていないのかもしれない。


「ツールを利用すれば簡単よ。例えば、私がいつも使うエディタには『一括置換』という便利な機能があって、『雅矢』を検索して『雅也』に置き換える命令をすれば、ぱっと修正できるの」

「へえ~、すごい。エディタって便利ですね」

「他にもいろいろ機能があるけど、覚えきれないな。全部使いこなせる人を尊敬する」


エレベーターの扉が開く。

山賀さんは急いでゲラをバッグに仕舞い、私とともに乗り込んだ。
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