恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
116 / 236
無償の愛

2

しおりを挟む
初動捜査における私への聴取はそれで終わった。

その後、なぜか東松さんは智哉さんを呼んで、今日の午後9時から9時30分の間、どこにいたのか訊ねた。

その時間帯はおそらく、土屋さんの死亡推定時刻だ。智哉さんは不快になるでもなく、


『今日は仕事が休みだったので、午前中は買い物に出かけて、昼からずっとマンションの部屋にいました。9時20分頃にハル……一条さんから電話があったので本町駅に迎えに行き、今に至ります』


と、淡々と答えた。


『証明する人はいますか』

『僕のマンションはセキュリティ万全なので、防犯カメラがあちこちにあります。カメラに映らず出入りするのは不可能ですから、確かめてもらって結構ですよ』


これも淡々と、少し冷ややかに答える。東松さんは表情を変えないが、どこか疑っているように感じられた。

智哉さんが事件に関わりがないのは明白である。

なぜ智哉さんにそんなことを訊くのかと私が問うと、東松さんは『形式的なものです』と答えるのみ。今後も聴取にご協力をお願いしますと頭を下げて、その場を離れた。



私と智哉さんは、公園をあとにした

かなり遅い時間だが、終電に間に合った。駅に着くと、智哉さんは『手を洗っておいで』と、ハンカチを貸してくれた。私が土屋さんの死体に触れてしまったのを、彼は知っている。

トイレで手を洗って出てくると、彼は私からハンカチを取り上げ、ゴミ箱に捨てた。汚いものを処分したという仕草だ。


『……ごめんなさい』


蚊の鳴くような声で、私は詫びた。智哉さんの言うことを聞かないから、こんなことになってしまったのだ。


『ハル、もう忘れろ。君は自由だ』


彼の差し出す手を、そっと握った。

いつも私を心配し、守ってくれる智哉さん。彼の愛情の深さを怖いくらいに感じる。なぜ、こんなにも愛してくれるのだろう。

私をまるごと包んでくれる温かな手。その頼もしい感触に安堵し、涙が零れた。



私と智哉さんが帰宅したあとも、警察は捜査を続けていた。

これは翌日に聞いた話だが、検視により、何か重要なことが判明したらしい。

捜査員は、店長――古池たもつ(45)を重要参考人とし、身柄を押さえるためすぐに自宅へと向かった。しかし店長は不在であり、同居する家族の誰も彼の所在を知らなかったという。

現在、店長は行方不明。逃走、あるいは潜伏中である。

警察は緑署に捜査本部を設置し、翌日には彼を「殺人事件の被疑者」として逮捕状を発付、指名手配した。

現場に残った足跡のほかにも、店長を疑うに足る証拠が複数発見されたらしい。証拠品は慎重に扱われるそうで、詳しくは教えてもらえなかったが、逮捕状を取るくらい説得力を持つ証拠なのだろう。

東松さんは、捜査員を増員して店長を探していると言った。さらに容疑を固めるため、現場周辺の聞き込みや防犯カメラなどのデータ解析も同時進行で行われるとも。

冬月書店本町駅店にも捜査員が来て、スタッフが聴取を受けた。皆、土屋さんが殺された上に、加害者が店長だという事実に驚き、動揺していた。


遺体の第一発見者であり、被疑者被害者ともに因縁のある私は、特に詳細を語ることになった。

事件から三日目の今日も、仕事を休んで実況見分に立ち会ったり、緑署での聴取に応じた。

古池店長と土屋さんの関係、店長からのセクハラ疑惑、事件に関係すると思われることは余さず話す。

店長を許せない。

ただその一心で、何度同じ質問をされても辛抱強く、丁寧に答えた。


疲弊する体と心を支えてくれたのは、智哉さんだ。彼がいなければ、私はとうに倒れていただろう。

こんな状況なのに幸せを感じる。彼の愛情が私を生かしていると言っても過言ではない。

不謹慎だけれど、こう思うのだ。

鳥宮さんと土屋さんの死が、私と智哉さんの絆を深めてくれた。未来へと続く道をひらいてくれた。

恐ろしい経験が二度も続き、周りに同情されるけれど、私は幸せだ。

ただ心配なのは、今も店長の行方が分からないこと。

あの男が捕まるまで、安心できない。智哉さんも心配して、できるだけ私と行動をともにした。少し大げさなくらいに。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

巨象に刃向かう者たち

つっちーfrom千葉
ミステリー
 インターネット黎明期、多くのライターに夢を与えた、とあるサイトの管理人へ感謝を込めて書きます。資産を持たぬ便利屋の私は、叔母へ金の融通を申し入れるが、拒絶され、縁を感じてシティバンクに向かうも、禿げた行員に挙動を疑われ追い出される。仕方なく、無一文で便利屋を始めると、すぐに怪しい来客が訪れ、あの有名アイドルチェリー・アパッチのためにひと肌脱いでくれと頼まれる。失敗したら命もきわどくなる、いかがわしい話だが、取りあえず乗ってみることに……。この先、どうなる……。 お笑いミステリーです。よろしくお願いいたします。

【完結】告発【続編の『挑発』もよろしくお願いします】

ももがぶ
ミステリー
俺が新米警官だった頃に受け持った殺人事件。 そして、無実を訴えながら、独房で自殺した被疑者。 数年後にそれを担当していた弁護士が投身自殺。 何かが動き出している……そんな感じがする。 第六章の七話で完結予定です。 ※完結しました ※「挑発」という続編を掲載していますので、よければそちらもお願いします!

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

刑事殺し・トラブル・ 抗争の渦

矢野 零時
ミステリー
 俺は、宇宙から来た者(?)に寄生されてしまった。どうなるのか、まるでわからない? だが、それを心配ばかりしては、いられない。俺は刑事、片倉洋(かたくら よう)。警察の仕事はもっと大変なんだ。仕事のために、わからない謎を解かなければならない。そして、また殺されてしまった!  なお、俺がなぜ寄生されたのかは、別作の「刑事殺し」に書いている。もし、よろしければ、そちらも、ぜひお読みください。

〖完結〗私はあなたのせいで死ぬのです。

藍川みいな
恋愛
「シュリル嬢、俺と結婚してくれませんか?」 憧れのレナード・ドリスト侯爵からのプロポーズ。 彼は美しいだけでなく、とても紳士的で頼りがいがあって、何より私を愛してくれていました。 すごく幸せでした……あの日までは。 結婚して1年が過ぎた頃、旦那様は愛人を連れて来ました。次々に愛人を連れて来て、愛人に子供まで出来た。 それでも愛しているのは君だけだと、離婚さえしてくれません。 そして、妹のダリアが旦那様の子を授かった…… もう耐える事は出来ません。 旦那様、私はあなたのせいで死にます。 だから、後悔しながら生きてください。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全15話で完結になります。 この物語は、主人公が8話で登場しなくなります。 感想の返信が出来なくて、申し訳ありません。 たくさんの感想ありがとうございます。 次作の『もう二度とあなたの妻にはなりません!』は、このお話の続編になっております。 このお話はバッドエンドでしたが、次作はただただシュリルが幸せになるお話です。 良かったら読んでください。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

愛する女性の行方

一宮 沙耶
大衆娯楽
人を愛するが故に不幸になる、そんな女性たちのお話しです。 舞台は、メタバースが一般化した、今から30年ぐらい先。 では、開幕です。

処理中です...