恋の記録

藤谷 郁

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正義の使者〈2〉

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【A町アパート隣人トラブル・女性会社員殺人事件】

事件が起きたのは二年前の春――4月13日 木曜日 天気は晴れ。

気温は4度。その年の春は寒く、十日ほど前に雪が降っている。


現場は群馬県高崎市A町の5階建アパート【ハイツ松本】505号室。

午前4時45分頃。

被疑者【田村たむら剛士たけし】(21・大学生)はベランダ伝いに隣室へ侵入し、部屋の住人【斎藤さいとう陽向ひなた】(25・会社員)を襲撃した。


被疑者は窓ガラスを拳で割り、クレセント錠を開けて侵入。

夜明け前の時間帯だが、被害者は来客予定があり起床していた。台所に立ち、来客に提供するための朝食を作っていたのだろう。ペティナイフ(小型の包丁)を手にしていたと見られる。

被疑者は被害者の顔を数回殴った上、ナイフを奪い、めった刺しにした。

被害者の手のひら、腕の数カ所に防御損傷あり。抵抗むなしく床に倒れ込んだ彼女を、被疑者はなおも執拗に刺し、台所回りは血の海となった。

犯行後、被疑者はベランダから自室へと戻る途中、手すりの上で立ち止まり、意味不明の言葉を大声で叫んだのち、真下の駐車場へと転落した。

誤って転落したのではないと、目撃者が証言している。明らかに飛び降り自殺だった。

目撃者は五人。三人はアパートに住む大学生とその友人であり、車で釣りに出かけるところだった。

あと二人は、被害者が待っていた来客【水樹智哉】(30・靴販売店店長)と、彼を乗せてきたタクシー運転手である。

水樹智哉は被害者の交際相手。

事件の三十分ほど前に彼女に電話で呼び出され、アパートに着いたところで、被疑者が飛び降りる瞬間を目撃した。

505号室の窓が開いている。

何かあったのだと察した水樹は、すぐに彼女の部屋へと駆けつけた。

合鍵を使ってドアを開け、中に飛び込む。彼が目にしたのは、変わり果てた恋人の姿だった。




事件の内容を思い出し、俺は水樹智哉に同情を覚えた。鳥宮に行ったことは許されないが、彼は過去に残酷な思いをして、苦しんだのだ。


「水樹の立場になれば、誰だっておかしくなる……か。だが望月くんは、その後の水樹の態度に疑問を感じたそうだ」

「疑問?」


望月警部補は事件を担当した高崎署の刑事だ。


「どういうことですか」

「この前、望月くんと電話で話しただろ。そのとき、言ってたんだよ。確かに事件直後はショックを受けた様子だったが、最後に会ったときはずいぶん前向きだったと……」


料理が運ばれてきた。

もっと話を聞きたかったが、水野さんが「まずは食べよう」というので食事に集中した。気が急いたためか早く平らげてしまった俺は、天ぷら定食を美味そうに食べる水野さんを前に、ふと思い付いたことを話す。


「加害者が大学生というと、すみれ荘の事件もそうでしたね」

「ああ。あの事件も隣人トラブルが原因だったな。犯人は大学生。学費稼ぎのアルバイトと卒業研究に忙殺されてノイローゼ気味だったとか」


田村剛士も似たような状態だった。

田村は当時大学四年生。大学では人間関係がうまくいかず、学業にも行き詰まっていたという。

そんなとき、斎藤陽向が隣に引っ越してきた。そして、彼女の生活音が気になりだした彼はレポート用紙に文句を書いてポストに入れたり、あとをつけたりした。

これは田村をよく知るゼミの友人と、斎藤から相談を受けていた水樹の証言による。


「だけど、すみれ荘の事件は本当に隣人がうるさかったわけだし、犯人に同情する者もいました。しかし田村は違う。やつは斎藤陽向という女性に執着しており、生活音についてはほとんど言いがかりだった。それに、親の仕送りがじゅうぶんにある田村には、ブランド靴を集めるほどの余裕があったんですよね」


例えばロバストバーグのサンダルがそうだ。田村はブランド靴を愛用しており、部屋の中でも靴やサンダルを履くほどの靴オタクだった。

だから事件当時も、お気に入りのサンダルを履いていたのだ。


「東松くん」

「はい」


水野さんはゆっくりと箸を置き、湯呑みを手に取る。


「きょうびの人間関係は複雑だろう。学生もいろいろ大変だが、だからといって、そのストレスを他者にぶつけていいわけがない」

「ええ」

「そして我々は警察官だ。大学生だろうが、社会人だろうが、殺しは罪だ。どんな理由があろうと、きっちりと捕まえるのが仕事だぞ」

「もちろん、そのとおりです」


水野さんはお茶を飲み終えるとサッと伝票を取り、立ち上がった。


「あっ、自分で払いますよ」

「私が誘ったんだ。それに、ちょっと付き合ってほしいところがある。さっきの、望月くんの話だが……」

「?」


どういうことか分からずぽかんとする俺に、水野さんが微笑む。


「本人に話が聞けるよ。実は、このあと会う約束をしている」

「えっ、今からですか?」


時計を見ると、午後七時を回っていた。
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