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正義の使者〈2〉
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水野さんはいきなり「店長さんはいらっしゃいますか」と、切り出した。俺はぎょっとするが、彼は落ち着いた口調で客のふりを続けた。
「……ええ、二年ほど前に高崎店からそちらに異動された……男前で、すらりと背の高い……確か、下の名前は智哉さんといったかな。ああ、はいはい、そうです。その方、水樹さんです。すみませんねえ、苗字をど忘れしてしまって。私、高崎の『ドゥマン』でたびたびお世話になった者ですが、水樹さんに見立ててもらった革靴のことで少しご相談したいことがありまして、お電話を差し上げた次第です。お手隙のようでしたら、お電話を代わっていただけませんかねえ」
ハンドルを握る手に汗が滲む。電話に出たのは本人ではなくスタッフのようだ。
(さすがベテラン刑事。これも捜査技術ってやつか)
水野さんの演技は自然であり、わざとらしさがない。腰の低い年配の顧客に、スタッフは何の疑いもなく対応するだろう。
「えっ、今日はお休みですか。それは残念ですなあ。いえ、急ぎではないのでそれは結構です。また後日、こちらからお電話をいたしますので、はい。店長さんによろしくお伝えください。どうもお忙しいところを失礼いたしました」
スマートフォンの通話を切り、水野さんがふうっと息をつく。やはり多少は緊張していたようだ。
「当たりですか」
「ああ、本人の声は聞けなんだが間違いない。高崎の事件で事情聴取を受けた水樹智哉と、一条さんの恋人である『ともやさん』は同一人物だ」
「事件の模倣が可能ということですね」
「そうだ」
水野さんはすぐさま高崎署に電話をかけた。相手は望月警部補。数分のやり取りで済むかと思いきや、ずいぶん長く話し込んでいる。
本町駅前の交差点に差し掛かった。信号待ちで停まった車の窓から駅ビルを見上げたとき、俺の胸が微かに痛んだ。彼女に対する罪悪感かもしれない。
だけど俺は前を向く。どんな結果になろうと、後悔はしない。
「なるほど、分かりました。捜査資料を見せていただきます。ご協力をありがとうございます」
手応えがあったのか、通話を切った水野さんが珍しく興奮している。
「課長に報告して、再調査の許可をもらおう。鳥宮の転落死は事故ではなく、殺人事件だ」
午後三時。
水野さんの報告を受けた刑事課長は難しい顔になり、ううむと唸った。
「確かに、高崎の事件と類似点が多い。だが今のところ東松の考えは推測にすぎず、確たる証拠もない。それに、一度片付いた案件を掘り起こす、しかも殺人とくれば手間がかかるだろうなあ」
俺と水野さんは黙って聞く。
人の少ない刑事部屋は一見平和だが、刑事が出払っているのは捜査のためである。皆、忙しいのだ。
「捜査記録は俺もざっと確認した。高崎署は協力的なんだな」
水野さんが大きく頷く。
「ええ。捜査資料も証拠品も、いつでも現物を見せてくれるそうです」
「そうか」
課長はどうやら乗り気ではない。だが彼は、地道な捜査で様々な事件を解決に導く水野さんに一目置いている。簡単にNOとは言えないだろう。
「……しょうがないな」
俺と水野さんを交互に眺め、意を決した顔になる。こうなってしまえば、この人は強い味方だ。伊達に課長をやっているわけではない。
「よし、分かった。徹底的に調べてみろ。ただし、没頭しすぎて他の仕事が疎かにならんようにな。高崎署には俺からも頼んでおく」
「ありがとうございます!」
これで思うさま捜査ができる。
急いで席に戻り別件の書類をばりばり作成する俺を、同僚が不思議そうに見てきた。
「張り切っちゃって。お前はほんとに仕事が好きだな」
皮肉な言い方だが、そのとおりなので腹も立たない。俺は今、充実感とやる気でいっぱいだった。
「……ええ、二年ほど前に高崎店からそちらに異動された……男前で、すらりと背の高い……確か、下の名前は智哉さんといったかな。ああ、はいはい、そうです。その方、水樹さんです。すみませんねえ、苗字をど忘れしてしまって。私、高崎の『ドゥマン』でたびたびお世話になった者ですが、水樹さんに見立ててもらった革靴のことで少しご相談したいことがありまして、お電話を差し上げた次第です。お手隙のようでしたら、お電話を代わっていただけませんかねえ」
ハンドルを握る手に汗が滲む。電話に出たのは本人ではなくスタッフのようだ。
(さすがベテラン刑事。これも捜査技術ってやつか)
水野さんの演技は自然であり、わざとらしさがない。腰の低い年配の顧客に、スタッフは何の疑いもなく対応するだろう。
「えっ、今日はお休みですか。それは残念ですなあ。いえ、急ぎではないのでそれは結構です。また後日、こちらからお電話をいたしますので、はい。店長さんによろしくお伝えください。どうもお忙しいところを失礼いたしました」
スマートフォンの通話を切り、水野さんがふうっと息をつく。やはり多少は緊張していたようだ。
「当たりですか」
「ああ、本人の声は聞けなんだが間違いない。高崎の事件で事情聴取を受けた水樹智哉と、一条さんの恋人である『ともやさん』は同一人物だ」
「事件の模倣が可能ということですね」
「そうだ」
水野さんはすぐさま高崎署に電話をかけた。相手は望月警部補。数分のやり取りで済むかと思いきや、ずいぶん長く話し込んでいる。
本町駅前の交差点に差し掛かった。信号待ちで停まった車の窓から駅ビルを見上げたとき、俺の胸が微かに痛んだ。彼女に対する罪悪感かもしれない。
だけど俺は前を向く。どんな結果になろうと、後悔はしない。
「なるほど、分かりました。捜査資料を見せていただきます。ご協力をありがとうございます」
手応えがあったのか、通話を切った水野さんが珍しく興奮している。
「課長に報告して、再調査の許可をもらおう。鳥宮の転落死は事故ではなく、殺人事件だ」
午後三時。
水野さんの報告を受けた刑事課長は難しい顔になり、ううむと唸った。
「確かに、高崎の事件と類似点が多い。だが今のところ東松の考えは推測にすぎず、確たる証拠もない。それに、一度片付いた案件を掘り起こす、しかも殺人とくれば手間がかかるだろうなあ」
俺と水野さんは黙って聞く。
人の少ない刑事部屋は一見平和だが、刑事が出払っているのは捜査のためである。皆、忙しいのだ。
「捜査記録は俺もざっと確認した。高崎署は協力的なんだな」
水野さんが大きく頷く。
「ええ。捜査資料も証拠品も、いつでも現物を見せてくれるそうです」
「そうか」
課長はどうやら乗り気ではない。だが彼は、地道な捜査で様々な事件を解決に導く水野さんに一目置いている。簡単にNOとは言えないだろう。
「……しょうがないな」
俺と水野さんを交互に眺め、意を決した顔になる。こうなってしまえば、この人は強い味方だ。伊達に課長をやっているわけではない。
「よし、分かった。徹底的に調べてみろ。ただし、没頭しすぎて他の仕事が疎かにならんようにな。高崎署には俺からも頼んでおく」
「ありがとうございます!」
これで思うさま捜査ができる。
急いで席に戻り別件の書類をばりばり作成する俺を、同僚が不思議そうに見てきた。
「張り切っちゃって。お前はほんとに仕事が好きだな」
皮肉な言い方だが、そのとおりなので腹も立たない。俺は今、充実感とやる気でいっぱいだった。
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