恋の記録

藤谷 郁

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正義の使者〈2〉

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鳥宮が死亡時に履いていたサンダルは遺族に返した。それをもう一度預からせてほしいと伝えるために、鳥宮の実家に電話をかけた。

応答したのは母親で、戸惑いながらも承諾してくれた。もし父親なら拒否されたかもしれない。父親が出なくてよかったと思いつつ受話器を置き、すぐに鳥宮の実家へと向かった。



休日も警察手帳を携帯している。鳥宮の母親とは面識があるが、俺は訪問の際きちんと提示し、挨拶した。


「刑事さんは日曜日もお仕事なんですね。お疲れ様です」


鳥宮の母親は、Tシャツ姿の俺を怪訝な目で見ながらも労ってくれた。

鳥宮の実家は木造平屋建ての古い一軒家だった。先ほど降りだした雨が、狭い玄関にうるさく響く。暗い電灯に浮かぶ母親の姿は、ずいぶんやつれて見えた。


「あの、これでしょうか」


母親が手に持っているものを差し出す。鳥宮優一朗のサンダルだ。警察で保管していたときと同じポリ袋に入った状態である。


「お手数をおかけしてすみません。助かります」

「何か、あったんですか?」


母親が疑問を向けてきた。

一度結論が出たことなのに、なぜ警察が遺品を借りにくるのか……不思議に思うのも当然だ。


「いえ、サンダルの写真を書類に添付するのを忘れてしまって。今頃すみません。作業が済んだらすぐにお返しします」


本当の理由を今は言えない。とってつけたような答えだが母親は納得したようで、特に追及してこなかった。


「夜分におじゃましました。では、これで失礼します」


玄関ドアを開けようとすると、母親が「刑事さん!」と、意外なほど大きな声で呼び止めた。前のめりの姿勢で、すがるように俺を見つめている。


「どうかされましたか」

「あの……」


続く言葉はなく、雨の音だけが騒がしい。

何か、大切なことを言おうとしている。俺は直感し、母親の表情を注意深く見守った。

しかし彼女は急に目を伏せて、


「いいえ、何でもありません。雨で見通しが悪いでしょうから、気をつけてお帰りください」

「……お気遣いをありがとうございます」


母親の様子がおかしい。

だが俺はあえて反応せず、そのかわり名刺を渡した。


「気になることがあれば電話をください。力になります」

「えっ?」

「では、失礼します」


外に出ると冷たい雨が降っている。鉄製の錆びた門扉を閉めて振り向き、玄関先で見送る母親に会釈した。彼女は俺の名刺を両手に持ち、会釈を返した。


母親は何か知っている。息子について、まだ警察に告げていないことがあるのだ。おそらく言いにくいこと。

しかし、いずれ打ち明けると俺は確信した。力になると言ったとき、母親が一瞬、明るい表情になるのを見逃さなかった。



緑署に戻った俺は自分の席に落ち着き、鳥宮のレザーサンダルをしげしげと眺めた。水野さんによると、高級ブランドの製品らしい。

バックル留めのアンクルストラップ。中敷きにブランド名が記されている。


「『Robuste Burg』……ロボスト、ロバストバーグ? 英語じゃないな」


スマートフォンで検索すると『ロバストバーグ・ジャパン』というブランドの公式サイトが出てきた。ドイツのフットウェアメーカーの日本法人である。

全国主要都市に置かれた直営店のほか、ブランドを扱う靴専門店でも商品を購入可能だ。ショップ情報から『ドゥマン』も提携店だと分かった。


「雨に濡れたせいかな、全体的にこわばった状態だ。でも表面がきれいだし、新品であるのは間違いない」


手袋をはめた手でサンダルを持ち、ひっくり返す。フラットな靴底は、いかにも滑りやすそうだ。

こんなものを履いてベランダの手すりに上がるのは、どう考えても不自然だろう。しかも雨の日に。


「おっ、ロバストのサンダルじゃないか」


当直の同僚が近づいてきて、背後から覗き込む。さっき、瀬戸さんのことでからかってきたやつだ。


「知ってるのか」

「ああ。俺はこう見えて、ブランドにはちょっとうるさいんだ」


同僚は隣の席に腰かけて、サンダルを指差す。


「ロバストバーグのサンダルはフィット感が違うんだ。しっくりと馴染むレザーの肌触りは、百年の歴史を持つ老舗メーカーの卓越した加工技術があってこそ……」


自慢げに知識をたれる同僚がふいに口を閉ざした。


「待てよ。このデザイン、三年前に発売されたやつだ。ロバストバーグ社設立記念の限定品だよ。確か、十万くらいするんじゃないか」

「そんなに?」


たかがサンダルが十万円もするのか。俺は驚くが、それよりも引っ掛かる言葉を聞いた。


「三年前に発売された、しかも限定品? 今は手に入りにくいってことか」

「ああ、もちろん。中古ならネットに出てるかもしれんが、新品を手に入れるのは不可能だろうな」


そう言いながら、同僚は不思議そうにサンダルを眺める。


「もしかして、この前のやつか。城田町のアパートで、ベランダから転落したっていう……」

「そうだ」

「ブランドマニアだったのか、そいつは」

「違う。鳥宮は高級ブランドに縁のある人間じゃない。やつの親父さんもサンダルを見て、分不相応なものだと言っていた」


それでは、なぜ鳥宮がこんなものを持っているのか。どこで手に入れたのか。

俺の頭に浮かぶのは、もちろん『ともやさん』の顔だった。

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