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正義の使者〈2〉
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たまたま立ち寄った靴専門店で一条春菜に出会ったのは偶然だ。だけど、ただの偶然とは思えない。鳥宮の転落死に疑問を持ち続けている俺のこだわりが導いたのだ。彼女と、彼女の恋人である男のもとへ――
駅ビルを出ると、街は薄暮に包まれていた。時間のわりに暗いのは雨が近いせいだろう。
俺はまっすぐに緑署へと向かった。せっかくの休みなのに仕事をしたがる自分は何なのだろう。そう思いながらも歩調を緩めない。身体が興奮していた。
「あれっ、東松。どうしたんだ」
署内の廊下で同僚と行き合った。休日に働く彼は今日の当直である。
「いや、ちょっと調べたいことがあってな」
「ふーん、休みなのにご苦労さん……あっ、そうだ」
同僚は急ににやけた顔になり、俺の肩に腕を回した。
「な、何だよ?」
「忘れるところだった。午前中に本部の瀬戸さんが来て、お前を探してたぞ」
「瀬戸さんが?」
瀬戸警部補は県警本部の女性刑事だ。緑署に来るたび俺を飯に付き合わせるのを同僚は知っている。
しかし日曜日に来るのは珍しかった。
「何の用事で?」
「さあな。彼女も休みだと言ってたから、単にお前をデートに誘うつもりだったんじゃないの。せっかく会いに来てくれたのに、すれ違っちゃったなあ」
「……」
絡みつく同僚の腕を乱暴にひっぺがした。
「バカ。あの人と俺はそんなんじゃねえよ」
「あっはは……そうむきになるな。でもさ、いいんじゃないの。お前みたいなタイプは年上の女がお似合いだよ」
「はあ?」
一体、何を言ってるんだ。俺はムッとするが同僚は意に介さず、にやけた顔のまま立ち去った。
「ふざけたやつめ。……っと、そんなことより捜査資料の確認だ」
刑事部屋に入ると、当直の課員が数名いるだけで静かなものだった。今日は特に事件もなく平和なようだ。
俺は書棚から目的の捜査資料を抜き出し、自分のデスクに着く。鳥宮の転落死についての調査書を端から端までおさらいし、一つの仮説を立てた。
やはりあれは、自殺でも事故でもなく、第三者が関与する殺人だったのではないか。
目を閉じて、先ほどのできごとを思い返す。駅ビルの靴専門店『ドゥマン』でのことだ。
俺は靴を買いに行ったわけではなく、たまたま店の前を通りかかったときにサンダルが目に入り、鳥宮の件を連想したのだ。
サンダルを眺めていると、そこに偶然にも一条春菜が現れた。そして彼女の恋人が『ドゥマン』の店長であることを知ったのだ。
彼女と立ち話をしたあと、俺は立ち去るふりをして物陰から『ドゥマン』を見張った。すると俺がいなくなってすぐに男が出てきて、彼女を連れて奥に引っ込んでしまった。
髪も服装もきちんとした三十代前半の男。アパートの防犯カメラで見たとおりの男前だった。間違いなくあれは一条さんの恋人「ともやさん」である。
その場で『ドゥマン』のホームページを検索してグリーンシティ本町駅店のサイトを確かめた。スタッフ紹介などのページはなく、店舗の写真を何枚か載せただけのシンプルなつくりである。
ただ、スタッフは皆靴の専門家であり、特に店長は社内資格を持つ技術者であるというアピールは重要な情報に思えた。
「靴専門店の店長。靴の専門家……」
刑事になりたての頃、ブランド靴を売りつけられたという話をしたとき、一条さんがこう言った。
――専門家に薦められたら、誰だって信じちゃいますよ。
例えば「このサンダルは靴底に特殊素材を使っている。雨の日に履いても滑らない」と、靴の専門家に薦められたら、たいていの人は信じるだろう。そしてまんまと騙され、安心して雨の日に履き、足を滑らせてしまう。
目を開き、考えを整理する。
仮説を成立させるには、鳥宮と「ともやさん」が接触したという事実が必要だ。どこでどうやって知り合い、どんな風にそそのかして鳥宮を転落させたのか。サンダルを使って。
突飛な考えかもしれない。
だけど、「ともやさん」には動機がある。鳥宮が一条さんに苦情を入れて不安にさせた。そのことについて彼女から相談を受けているはずだ。
「うーん……」
だが、動機としては弱い。たったそれだけのことで人を殺すだろうか?
「ともやさん」は、鳥宮の覗きやつきまとい行為は知らないはずだ。一条さん自身も気づかなかったのだから。だが、たとえ知っていたとしても殺人はない。まず警察に相談するのが普通だ。
見た感じ、「ともやさん」は真面目そうな男だった。老舗の靴専門店で店長を務め、日々まっとうに生きている普通の人間だろう。
「いや、違うな」
頭を横に振った。
まっとうに見えても狂気を孕んだ人間はいる。そういった人間はむしろ、分かりやすい悪人よりも残酷なのだ。
あの男も、もしかしたらそんなタイプなのかもしれない。
あらゆる可能性を考え、やれることからやっていく。事件と決まったわけではないので大っぴらに捜査できないが、もしも殺人なら放ってはおけない。俺は警察官なのだ。
駅ビルを出ると、街は薄暮に包まれていた。時間のわりに暗いのは雨が近いせいだろう。
俺はまっすぐに緑署へと向かった。せっかくの休みなのに仕事をしたがる自分は何なのだろう。そう思いながらも歩調を緩めない。身体が興奮していた。
「あれっ、東松。どうしたんだ」
署内の廊下で同僚と行き合った。休日に働く彼は今日の当直である。
「いや、ちょっと調べたいことがあってな」
「ふーん、休みなのにご苦労さん……あっ、そうだ」
同僚は急ににやけた顔になり、俺の肩に腕を回した。
「な、何だよ?」
「忘れるところだった。午前中に本部の瀬戸さんが来て、お前を探してたぞ」
「瀬戸さんが?」
瀬戸警部補は県警本部の女性刑事だ。緑署に来るたび俺を飯に付き合わせるのを同僚は知っている。
しかし日曜日に来るのは珍しかった。
「何の用事で?」
「さあな。彼女も休みだと言ってたから、単にお前をデートに誘うつもりだったんじゃないの。せっかく会いに来てくれたのに、すれ違っちゃったなあ」
「……」
絡みつく同僚の腕を乱暴にひっぺがした。
「バカ。あの人と俺はそんなんじゃねえよ」
「あっはは……そうむきになるな。でもさ、いいんじゃないの。お前みたいなタイプは年上の女がお似合いだよ」
「はあ?」
一体、何を言ってるんだ。俺はムッとするが同僚は意に介さず、にやけた顔のまま立ち去った。
「ふざけたやつめ。……っと、そんなことより捜査資料の確認だ」
刑事部屋に入ると、当直の課員が数名いるだけで静かなものだった。今日は特に事件もなく平和なようだ。
俺は書棚から目的の捜査資料を抜き出し、自分のデスクに着く。鳥宮の転落死についての調査書を端から端までおさらいし、一つの仮説を立てた。
やはりあれは、自殺でも事故でもなく、第三者が関与する殺人だったのではないか。
目を閉じて、先ほどのできごとを思い返す。駅ビルの靴専門店『ドゥマン』でのことだ。
俺は靴を買いに行ったわけではなく、たまたま店の前を通りかかったときにサンダルが目に入り、鳥宮の件を連想したのだ。
サンダルを眺めていると、そこに偶然にも一条春菜が現れた。そして彼女の恋人が『ドゥマン』の店長であることを知ったのだ。
彼女と立ち話をしたあと、俺は立ち去るふりをして物陰から『ドゥマン』を見張った。すると俺がいなくなってすぐに男が出てきて、彼女を連れて奥に引っ込んでしまった。
髪も服装もきちんとした三十代前半の男。アパートの防犯カメラで見たとおりの男前だった。間違いなくあれは一条さんの恋人「ともやさん」である。
その場で『ドゥマン』のホームページを検索してグリーンシティ本町駅店のサイトを確かめた。スタッフ紹介などのページはなく、店舗の写真を何枚か載せただけのシンプルなつくりである。
ただ、スタッフは皆靴の専門家であり、特に店長は社内資格を持つ技術者であるというアピールは重要な情報に思えた。
「靴専門店の店長。靴の専門家……」
刑事になりたての頃、ブランド靴を売りつけられたという話をしたとき、一条さんがこう言った。
――専門家に薦められたら、誰だって信じちゃいますよ。
例えば「このサンダルは靴底に特殊素材を使っている。雨の日に履いても滑らない」と、靴の専門家に薦められたら、たいていの人は信じるだろう。そしてまんまと騙され、安心して雨の日に履き、足を滑らせてしまう。
目を開き、考えを整理する。
仮説を成立させるには、鳥宮と「ともやさん」が接触したという事実が必要だ。どこでどうやって知り合い、どんな風にそそのかして鳥宮を転落させたのか。サンダルを使って。
突飛な考えかもしれない。
だけど、「ともやさん」には動機がある。鳥宮が一条さんに苦情を入れて不安にさせた。そのことについて彼女から相談を受けているはずだ。
「うーん……」
だが、動機としては弱い。たったそれだけのことで人を殺すだろうか?
「ともやさん」は、鳥宮の覗きやつきまとい行為は知らないはずだ。一条さん自身も気づかなかったのだから。だが、たとえ知っていたとしても殺人はない。まず警察に相談するのが普通だ。
見た感じ、「ともやさん」は真面目そうな男だった。老舗の靴専門店で店長を務め、日々まっとうに生きている普通の人間だろう。
「いや、違うな」
頭を横に振った。
まっとうに見えても狂気を孕んだ人間はいる。そういった人間はむしろ、分かりやすい悪人よりも残酷なのだ。
あの男も、もしかしたらそんなタイプなのかもしれない。
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