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悪夢
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通報したあと、私は重大な事実に思い至った。命を落としたのは土屋さんだけではない。
無辜の魂を思い、より深い絶望感に苛まれた。
「そうだ……智哉さんに知らせなきゃ」
スマートフォンを操作しようとすると着信音が鳴る。通知に智哉さんの名前が表示された。
「あ、もしもし。智哉さん……!」
『ハル、どうした』
私の口調に不穏なものを感じ取ったのだろう。智哉さんの声が即座に緊張するのが分かった。
『今どこにいる。公園か?』
「ええ、ついさっき公園に着いて、それから、大変なことが起きたの……土屋さんが……」
『あの女が公園にいたのか』
「いたわ……でも、死んでた」
『何だって……? どういうことだ』
「滑り台の下に倒れてたの、頭から血を流して……血まみれになって死んでいるの」
智哉さんが絶句する。こんな突拍子もないこと、すぐに理解できないのだ。
『……ハル。落ち着いて答えてくれ。警察に通報は?』
「すぐに110番した。もうすぐパトカーが来るはずよ」
『土屋の死体に触らなかっただろうね』
「え……」
血の付いた右手を握りしめ、首を横に振る。
「うつ伏せに倒れていたから、起こさなきゃと思って、抱きかかえて仰向けにしたわ」
触ってはまずかっただろうか。何も言えずにいると、智哉さんが電話の向こうでため息をついた。
『君が電話に出ないから、僕も今電車に乗って城田町に向かっているところだ。あと十五分ほどでそっちに着く』
「ごめんなさい、智哉さん。私、土屋さんがどうしても心配で……」
『そんなことはいい。君は今すぐ公園の外に出て、僕を待っていてくれ。土屋の死体から離れた位置で』
「分かりました。待っています」
通話を切り、公園の外に駆け出した。折り畳み傘を差しているが、髪も顔もびしょぬれである。
バッグからハンカチを取り出して顔を拭き、それから右手を拭った。土屋さんの血がハンカチに移るのを怖く感じながらも、拭わずにいられなかった。
パトカーが、まだ来ない。交番のお巡りさんなら自転車だろうか。どちらでもいい、早く来てと願っていると、オートバイの音がした。
目の前に止まったのは警察官である。彼がバイクから降りるやいなや、飛びつくように訴えた。
「私、さっき通報した者です。お巡りさん、あそこです。あそこに土屋さんの死体が……」
「落ち着いてください。今、確認しますので」
警察官は冷静に対応する。私は先に立って歩こうとするが、智哉さんの言葉を思い出して足を止める。
「どこですか」
「あの、滑り台の下です」
その場から動こうとせず、指差すだけの私を、警察官は不審そうに眺めた。しかし、死体が怖くて足がすくんだと解釈したのか、無理には案内を請わない。
警察官は現場を確かめると何ごとか無線で連絡し、規制線を張り始めた。私は公園の入り口前に立ち、固唾を呑んで見守る。そうこうするうちに警察車両らしきセダンが到着し、男が二人降りてきた。おそらく刑事だろう。
最初に到着した警察官が、私を通報者だと彼らに教えた。
「一条さんでしたね。先ほど、遺体を土屋さんと呼ばれたそうですが、お知り合いですか」
「は、はい。職場の同僚です」
警察官の目が鋭く光るのを見て、私は怖気付く。
「あなたはなぜ、この公園に?」
「それは……」
もしかして、疑われているのだろうか。私は、状況のまずさに初めて気が付く。死体に触ってしまったのも、きっと良くない行為だったのだ。
土屋さんは、ただ死んでいるのではない。明らかに殺されているのだから。
「私は、土屋さんに呼び出されて……ここに来ました。そしたら、彼女が倒れていて、びっくりして……」
どうしてか声が震えた。やましいことなど何もないのに、言いわけしているような気がして、うまく話せない。
「そうですか。では一条さん、遺体を発見された時の状況を教えてください」
「ハル!」
遠くから聞こえた呼び声に、私は打たれたように顔を上げる。
「智哉さん!」
折り畳み傘を下ろし、走ってきた智哉さんにしがみ付いた。彼も警察官の目を気にせず、私を傘の中に入れて抱き寄せる。
「大丈夫か」
「うん……でも、土屋さんが」
「分かってる。言わなくてもいい」
警察官が咳払いして、智哉さんに声をかけた。
「失礼、ご主人さんですか?」
「同居人です。彼女に電話をもらって、駆けつけました」
何か言いたげな警察官を、智哉さんはまっすぐに見返す。強い視線に、警察官が一瞬怯んだように感じられた。
「一条さんは第一発見者です。初動捜査に、ご協力をお願いします」
「……」
智哉さんの腕に力がこもる。私を警察に引き渡すまいとする意思が伝わってきた。
「智哉さん。私、大丈夫だから」
「ハル、無理しなくていいんだ」
「本当に、大丈夫。心配しないで」
この人は私のことを、怖がりだと思っている。守ってくれるのはありがたいし、嬉しいけれど、今は警察に協力するべきだと思う。
土屋さん、そして小さな命のためにも。
「よろしいですか?」
警察官が、こちらを窺うようにする。私が頷くと、智哉さんは仕方ないといった様子で、腕の力を抜いた。
「ハル……絶対に無理をしないで。気分が悪くなったらすぐに……」
智哉さんの言葉が終わらぬうちに、数台の警察車両が近付いてきて背後に止まった。ばたばたと人が降りてくる。制服警官と、鑑識の青い服を着た人、そして私服の男達は刑事だろうか。
「あっ」
私服の中に見覚えのある顔を発見して、思わず声を上げた。
「智哉さん、東松さんです」
「えっ?」
智哉さんが、ぱっと振り返った。彼はすぐに、いかつい警察官の中でも、ひと際大柄でコワモテの男性を東松さんと認識したようだ。
先ほどの警察官は、前に出てきた東松さんに状況を報告して後ろに下がった。
「どうも一条さん。また、お会いしましたね」
東松さんはなぜか、私ではなく智哉さんと目を合わせながら言う。
智哉さんは彼と対峙し、やはり強い視線を投げかける。いや、制服警官に対するよりも鋭い視線だった。
まるで、敵視するかのように。
「シートを広く張れ。現場の保存を大至急だ!」
別の刑事が制服警官に指示する。ついさっきまで静かだった公園は、たちまち大勢の警察関係者と、集まってきた野次馬の声で賑やかになった。
「一条さん、捜査にご協力をお願いします」
東松さんが、私に視線を移す。
妙な空気が漂うのを感じながら、私は初動捜査に協力するため、智哉さんのもとを離れた。
無辜の魂を思い、より深い絶望感に苛まれた。
「そうだ……智哉さんに知らせなきゃ」
スマートフォンを操作しようとすると着信音が鳴る。通知に智哉さんの名前が表示された。
「あ、もしもし。智哉さん……!」
『ハル、どうした』
私の口調に不穏なものを感じ取ったのだろう。智哉さんの声が即座に緊張するのが分かった。
『今どこにいる。公園か?』
「ええ、ついさっき公園に着いて、それから、大変なことが起きたの……土屋さんが……」
『あの女が公園にいたのか』
「いたわ……でも、死んでた」
『何だって……? どういうことだ』
「滑り台の下に倒れてたの、頭から血を流して……血まみれになって死んでいるの」
智哉さんが絶句する。こんな突拍子もないこと、すぐに理解できないのだ。
『……ハル。落ち着いて答えてくれ。警察に通報は?』
「すぐに110番した。もうすぐパトカーが来るはずよ」
『土屋の死体に触らなかっただろうね』
「え……」
血の付いた右手を握りしめ、首を横に振る。
「うつ伏せに倒れていたから、起こさなきゃと思って、抱きかかえて仰向けにしたわ」
触ってはまずかっただろうか。何も言えずにいると、智哉さんが電話の向こうでため息をついた。
『君が電話に出ないから、僕も今電車に乗って城田町に向かっているところだ。あと十五分ほどでそっちに着く』
「ごめんなさい、智哉さん。私、土屋さんがどうしても心配で……」
『そんなことはいい。君は今すぐ公園の外に出て、僕を待っていてくれ。土屋の死体から離れた位置で』
「分かりました。待っています」
通話を切り、公園の外に駆け出した。折り畳み傘を差しているが、髪も顔もびしょぬれである。
バッグからハンカチを取り出して顔を拭き、それから右手を拭った。土屋さんの血がハンカチに移るのを怖く感じながらも、拭わずにいられなかった。
パトカーが、まだ来ない。交番のお巡りさんなら自転車だろうか。どちらでもいい、早く来てと願っていると、オートバイの音がした。
目の前に止まったのは警察官である。彼がバイクから降りるやいなや、飛びつくように訴えた。
「私、さっき通報した者です。お巡りさん、あそこです。あそこに土屋さんの死体が……」
「落ち着いてください。今、確認しますので」
警察官は冷静に対応する。私は先に立って歩こうとするが、智哉さんの言葉を思い出して足を止める。
「どこですか」
「あの、滑り台の下です」
その場から動こうとせず、指差すだけの私を、警察官は不審そうに眺めた。しかし、死体が怖くて足がすくんだと解釈したのか、無理には案内を請わない。
警察官は現場を確かめると何ごとか無線で連絡し、規制線を張り始めた。私は公園の入り口前に立ち、固唾を呑んで見守る。そうこうするうちに警察車両らしきセダンが到着し、男が二人降りてきた。おそらく刑事だろう。
最初に到着した警察官が、私を通報者だと彼らに教えた。
「一条さんでしたね。先ほど、遺体を土屋さんと呼ばれたそうですが、お知り合いですか」
「は、はい。職場の同僚です」
警察官の目が鋭く光るのを見て、私は怖気付く。
「あなたはなぜ、この公園に?」
「それは……」
もしかして、疑われているのだろうか。私は、状況のまずさに初めて気が付く。死体に触ってしまったのも、きっと良くない行為だったのだ。
土屋さんは、ただ死んでいるのではない。明らかに殺されているのだから。
「私は、土屋さんに呼び出されて……ここに来ました。そしたら、彼女が倒れていて、びっくりして……」
どうしてか声が震えた。やましいことなど何もないのに、言いわけしているような気がして、うまく話せない。
「そうですか。では一条さん、遺体を発見された時の状況を教えてください」
「ハル!」
遠くから聞こえた呼び声に、私は打たれたように顔を上げる。
「智哉さん!」
折り畳み傘を下ろし、走ってきた智哉さんにしがみ付いた。彼も警察官の目を気にせず、私を傘の中に入れて抱き寄せる。
「大丈夫か」
「うん……でも、土屋さんが」
「分かってる。言わなくてもいい」
警察官が咳払いして、智哉さんに声をかけた。
「失礼、ご主人さんですか?」
「同居人です。彼女に電話をもらって、駆けつけました」
何か言いたげな警察官を、智哉さんはまっすぐに見返す。強い視線に、警察官が一瞬怯んだように感じられた。
「一条さんは第一発見者です。初動捜査に、ご協力をお願いします」
「……」
智哉さんの腕に力がこもる。私を警察に引き渡すまいとする意思が伝わってきた。
「智哉さん。私、大丈夫だから」
「ハル、無理しなくていいんだ」
「本当に、大丈夫。心配しないで」
この人は私のことを、怖がりだと思っている。守ってくれるのはありがたいし、嬉しいけれど、今は警察に協力するべきだと思う。
土屋さん、そして小さな命のためにも。
「よろしいですか?」
警察官が、こちらを窺うようにする。私が頷くと、智哉さんは仕方ないといった様子で、腕の力を抜いた。
「ハル……絶対に無理をしないで。気分が悪くなったらすぐに……」
智哉さんの言葉が終わらぬうちに、数台の警察車両が近付いてきて背後に止まった。ばたばたと人が降りてくる。制服警官と、鑑識の青い服を着た人、そして私服の男達は刑事だろうか。
「あっ」
私服の中に見覚えのある顔を発見して、思わず声を上げた。
「智哉さん、東松さんです」
「えっ?」
智哉さんが、ぱっと振り返った。彼はすぐに、いかつい警察官の中でも、ひと際大柄でコワモテの男性を東松さんと認識したようだ。
先ほどの警察官は、前に出てきた東松さんに状況を報告して後ろに下がった。
「どうも一条さん。また、お会いしましたね」
東松さんはなぜか、私ではなく智哉さんと目を合わせながら言う。
智哉さんは彼と対峙し、やはり強い視線を投げかける。いや、制服警官に対するよりも鋭い視線だった。
まるで、敵視するかのように。
「シートを広く張れ。現場の保存を大至急だ!」
別の刑事が制服警官に指示する。ついさっきまで静かだった公園は、たちまち大勢の警察関係者と、集まってきた野次馬の声で賑やかになった。
「一条さん、捜査にご協力をお願いします」
東松さんが、私に視線を移す。
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