恋の記録

藤谷 郁

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悪夢

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夕方、出勤した山賀さんに聞き取りについて話すと、彼女は目を輝かせた。


「えっ、今夜なんですか。私も付いて行きましょうか?」


誰もいない倉庫とはいえ、これは内密の話である。私は慌てて、唇の前に指を立てた。


「あっ、すみません」

「気持ちはありがたいけど、今夜は私一人で行くわ。もし山賀さんの証言が必要であれば、星崎さんが要請すると思うから」

「分かりました。いつでも協力しますので、よろしくお伝えください」


山賀さんは相変わらず前のめりだ。この積極的な姿勢こそ、智哉さんの言う『頼もしさ』なのかもしれない。


「いよいよ、店長が断罪されるんですね」

「ええ。本部にありのままを報告して、処分してもらうわ。このご時世だし、コンプライアンス違反には厳しく対処するはずよ」


山賀さんは頷くと、神妙な顔つきになる。


「土屋さんのこともあるし、古池店長はこれから大変でしょうね。妊娠がばれて、奥さんと離婚するかも」

「そうね……会社に処分されたら、奥さんに理由を言わざるを得ない。それに土屋さんのことだから、黙って引き下がるとは思えないし」


どれほどの修羅場になるのか、考えるだけで恐ろしい。


「そういえば古池店長って、お子さんがいるのかしら」

「私も気になって社員さんに訊いたんですが、中学生の娘さんがいるそうですよ」

「中学生か。思春期真っ只中ね」


父親の不倫を知ったら、娘さんはどう思うだろう。だけど、それが現実である。気の毒だが、あきらめてもらう他ない。


「家族を裏切ってきた罪は重いわ。土屋さんの妊娠も、きっちり責任を取ってもらわなくてはね」

「でも店長の性格からすると、なんだかんだ言い逃れしそう。というより、反省どころか逆恨みするかも。一条さん、気を付けてくださいね」

「分かってる」


全部、覚悟の上だ。

平静でいられるのは智哉さんのおかげ。それに……


「山賀さん、ありがとう。あなたの存在に助けられてるのよ」

「ええっ? いえいえ、そんな。私なんて大したことはしていません、ちっとも。だって……」


山賀さんは何か言いたそうにするが、どうしてか唇を結んだ。


「一条さん、頑張ってください。あと一息ですよ」

「うん」


最後まで頑張ろう。応援してくれる山賀さん、そして智哉さんのためにも。




定時に帰るつもりが、退勤間際にアクシデントが起こり、私は残業することになった。

お客様の予約した本が、こちらの発注ミスで届いておらず、クレームがついた。店員が謝罪するも、お客様の怒りが収まらず、「謝り方が悪い。責任者を呼べ!」と大声を出されたので、私が対応した。

丁寧に話をして、何とか怒りを解いてもらえたのだが、気が付けば一時間が経過していた。


「家に戻って、ゆっくりご飯を食べる余裕はないわね。遅刻したらまずいし」


クレームの報告書をまとめる前に智哉さんに電話して、事情を話した。


「そんなわけで、帰れないの。食事は外で適当に済ませるから。ごめんなさい……ご飯、作っちゃったよね」

『気にしなくていいよ。それより、本部への報告をしっかりな。あと、終わったら連絡してくれ。駅まで迎えに行く』

「ええっ? そんなに遅くならないと思うし、大丈夫よ」

『君のことが心配なんだ。いいね』


智哉さんは過保護だ。私を頼りない女だと認識している。でも、好きな人に守ってもらえるのは嬉しいので、素直に甘えた。


「ありがとう。じゃあ、終わったら電話するね」

『うん。頑張れよ』


思わず笑顔になる。智哉さんにエールをもらい、勇気百倍だった。




横井さんに指定された喫茶店に着いたのは、待ち合わせ時刻の十分前――午後八時二十分。『和風喫茶まほろば』は、駅を出てすぐのところにあった。喫茶店というより料亭といった外観の建物だ。


(横井さん達、もう来てるかな)


中に入ろうとして、何となく振り向く。遠くの空が光るのが見えた。

天気予報どおり、今夜も雨が降るようだ。


「よく降るなあ。荷物が増えるし、嫌になっちゃう」


今日は折りたたみ傘をバッグに入れてきた。帰りは使うことになるだろう。


店に入り、店員に横井さんの名前を告げると、「一条様ですね。お連れ様がお待ちです。こちらへどうぞ」と、奥へ案内された。

テーブル席が半個室になっている。これなら、少々大きな声を出しても、外に漏れない。内密の話をするには、もってこいの場所である。

案内されたテーブル席で、二人の女性が待っていた。一人はエリアマネージャーの横井さん。その隣に座る眼鏡をかけた女性は、星崎さんだと分かった。
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