95 / 236
軽やかなヒール
9
しおりを挟む
「噂をすれば……」
智哉さんに目で合図してから、応答した。
『一条さん、こんばんは。山賀です』
聞こえたのは、明るいとはいえない声音。私は緊張し、スマートフォンをしっかりと構え直す。
「こんばんは、山賀さん」
『あの……さっき、例の件について土屋さんに電話しました』
「うん。どうだった?」
『それが……』
山賀さんは少しためらったあと、やるせなさを滲ませる声で告げた。
『やっぱり、妊娠してるって。今、2か月だそうです』
「……」
私の反応から、智哉さんも察したようだ。ソファの背にもたれ、深いため息をつく。
「間違いないって?」
『はい。昨日、病院で診察を受けたらしいです。誰にも言えずに悩んでたんですね。「私、どうすればいいの?」って、大声で泣き出しちゃうとか。ホントにもう……呆れました』
「え?」
『不倫なんかするから、そんなことになる。泣きたいのはお腹の赤ちゃんだって、言ってやりたかったですよ』
「う、うん」
確かにそのとおりだ。土屋さんは店長と不倫して子どもまで作り、店長の奥さんを裏切った。山賀さんの言い方が辛辣になるのも無理はない。
(ついこの間まで友達だったのに、完全に切れてしまったのね)
隣に座る智哉さんを意識した。彼も、山賀さんと同じことを言うだろう。
それがたぶん、正しい感覚なのだ。
『でも、怒鳴りたいのをぐっとがまんして、親身なふりであれこれ聞き出しました。土屋さんが今朝、店長と揉めてたのは、やっぱり妊娠のことだったんです』
「そうなの。で、店長は……」
『「産むな」の一言だったそうです。たとえ産んでも認知しないと』
「何ですって!?」
つい声が大きくなり、慌てて口もとを押さえた。しかし智哉さんは気にもせず、ソファにもたれたまま考え込んでいる。
「ごめん、山賀さん。興奮した」
『いいえ、無理もないです。土屋さんも最低だけど、店長はさらに最低。とんでもない悪人ですよ!』
まったくもって大悪人だ。愛妻家だとか、面倒見の良い店長だとか、よくも周囲を騙してきたものだ。しかも、じゃまになった土屋さんを捨てて、今度は私を不倫のターゲットにするなんて、吐き気がする。
『それでですね、一条さん。私、土屋さんとの電話を録音したので、本部の人にデータを渡してください』
「えっ、録音?」
つまり、不倫の証拠品である。録音するという発想がなかった私は、山賀さんの準備の良さに驚いた。
『あの二人を徹底的に追い詰めましょう。特に店長は許せません』
「わ、分かった」
おそらく明日、横井さんが連絡をくれる。本部の聞き取りが、すぐにも行われるだろう。
覚悟を決めて臨まなければ。
「ありがとう、山賀さん。録音データは不倫の現場写真と併せて本部に提出するわ」
『はい、お願いします。私の証言が必要でしたら、呼んでくださいね』
「うん。じゃあ、また電話する」
通話を切り、スマートフォンの画面を見つめていると、智哉さんが私の肩を抱いた。
「大丈夫?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼんやりしてた」
「土屋さん、子どもができてたのか」
「うん。今、妊娠2か月だって」
「腹痛や嘔吐は、つわりの症状ってことだな」
「ええ。間違いないわ……」
あんな男が父親だなんて、最悪だ。小さな命が軽々しく扱われる、その現実に、私は自分が思う以上に打ちのめされている。
「ひどい……店長が許せない」
「どちらもだよ。不倫した土屋にも罪がある」
智哉さんは私を抱いて、髪を撫でてくれる。男性らしい優しさに、心が癒されていく。
こんな時、寄り添ってくれる人がいるのは幸せだ。智哉さんと結婚すれば、これからもずっと傍にいられる。夢が現実になった喜びを、あらためて感じた。
「何も怖がることはない。ハルの心も体も僕が守る。幸せな家庭を築き、一生をともにするんだ」
「智哉さん……」
私は、深く愛されている。
瞼をそっと拭い、温かな胸の中で目を閉じた。
智哉さんに目で合図してから、応答した。
『一条さん、こんばんは。山賀です』
聞こえたのは、明るいとはいえない声音。私は緊張し、スマートフォンをしっかりと構え直す。
「こんばんは、山賀さん」
『あの……さっき、例の件について土屋さんに電話しました』
「うん。どうだった?」
『それが……』
山賀さんは少しためらったあと、やるせなさを滲ませる声で告げた。
『やっぱり、妊娠してるって。今、2か月だそうです』
「……」
私の反応から、智哉さんも察したようだ。ソファの背にもたれ、深いため息をつく。
「間違いないって?」
『はい。昨日、病院で診察を受けたらしいです。誰にも言えずに悩んでたんですね。「私、どうすればいいの?」って、大声で泣き出しちゃうとか。ホントにもう……呆れました』
「え?」
『不倫なんかするから、そんなことになる。泣きたいのはお腹の赤ちゃんだって、言ってやりたかったですよ』
「う、うん」
確かにそのとおりだ。土屋さんは店長と不倫して子どもまで作り、店長の奥さんを裏切った。山賀さんの言い方が辛辣になるのも無理はない。
(ついこの間まで友達だったのに、完全に切れてしまったのね)
隣に座る智哉さんを意識した。彼も、山賀さんと同じことを言うだろう。
それがたぶん、正しい感覚なのだ。
『でも、怒鳴りたいのをぐっとがまんして、親身なふりであれこれ聞き出しました。土屋さんが今朝、店長と揉めてたのは、やっぱり妊娠のことだったんです』
「そうなの。で、店長は……」
『「産むな」の一言だったそうです。たとえ産んでも認知しないと』
「何ですって!?」
つい声が大きくなり、慌てて口もとを押さえた。しかし智哉さんは気にもせず、ソファにもたれたまま考え込んでいる。
「ごめん、山賀さん。興奮した」
『いいえ、無理もないです。土屋さんも最低だけど、店長はさらに最低。とんでもない悪人ですよ!』
まったくもって大悪人だ。愛妻家だとか、面倒見の良い店長だとか、よくも周囲を騙してきたものだ。しかも、じゃまになった土屋さんを捨てて、今度は私を不倫のターゲットにするなんて、吐き気がする。
『それでですね、一条さん。私、土屋さんとの電話を録音したので、本部の人にデータを渡してください』
「えっ、録音?」
つまり、不倫の証拠品である。録音するという発想がなかった私は、山賀さんの準備の良さに驚いた。
『あの二人を徹底的に追い詰めましょう。特に店長は許せません』
「わ、分かった」
おそらく明日、横井さんが連絡をくれる。本部の聞き取りが、すぐにも行われるだろう。
覚悟を決めて臨まなければ。
「ありがとう、山賀さん。録音データは不倫の現場写真と併せて本部に提出するわ」
『はい、お願いします。私の証言が必要でしたら、呼んでくださいね』
「うん。じゃあ、また電話する」
通話を切り、スマートフォンの画面を見つめていると、智哉さんが私の肩を抱いた。
「大丈夫?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼんやりしてた」
「土屋さん、子どもができてたのか」
「うん。今、妊娠2か月だって」
「腹痛や嘔吐は、つわりの症状ってことだな」
「ええ。間違いないわ……」
あんな男が父親だなんて、最悪だ。小さな命が軽々しく扱われる、その現実に、私は自分が思う以上に打ちのめされている。
「ひどい……店長が許せない」
「どちらもだよ。不倫した土屋にも罪がある」
智哉さんは私を抱いて、髪を撫でてくれる。男性らしい優しさに、心が癒されていく。
こんな時、寄り添ってくれる人がいるのは幸せだ。智哉さんと結婚すれば、これからもずっと傍にいられる。夢が現実になった喜びを、あらためて感じた。
「何も怖がることはない。ハルの心も体も僕が守る。幸せな家庭を築き、一生をともにするんだ」
「智哉さん……」
私は、深く愛されている。
瞼をそっと拭い、温かな胸の中で目を閉じた。
0
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

迸れ!輝け!!営業マン!!!
飛鳥 進
ミステリー
あらすじ
主人公・金智 京助(かねとも けいすけ)は行く営業先で事件に巻き込まれ解決に導いてきた。
そして、ある事件をきっかけに新米刑事の二条 薫(にじょう かおる)とコンビを組んで事件を解決していく物語である。
第3話
TV局へスポンサー営業の打ち合わせに来た京助。
その帰り、廊下ですれ違った男性アナウンサーが突然死したのだ。
現場に臨場した薫に見つかってしまった京助は当然のように、捜査に参加する事となった。
果たして、この男性アナウンサーの死の真相如何に!?
ご期待ください。
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる