88 / 236
軽やかなヒール
2
しおりを挟む
「ところで、土屋さんは今日、出勤しますかね?」
「一つ前のエレベーターに乗るのを見たわ」
「そうですか。具合、悪そうでしたか?」
「顔色が悪かった」
山賀さんが、ため息をつく。その気持ちも、私はよく理解することができた。
更衣室のドアを開けると、社員が一人入れ違いで出てきたが、土屋さんの姿が見当たらない。
「もう着替えたのかしら」
変だなと思っている間に、山賀さんもロッカーにバッグを仕舞い、ささっと着替えてしまう。着替えといっても、バイトさんはエプロンを付けるだけなので支度は簡単だ。
「すみません。急ぎの仕事があるので、先に行きますね」
「あ、うん」
山賀さんは早々と更衣室を出てしまった。
ずいぶん慌てている。土屋さんの妊娠をどのように確かめるべきか、相談したかったのだが。
「しょうがない、後にしよう。それにしても急ぎの仕事ってなんだろ。開店まで、まだ余裕があるのに」
よく分からないが、私も山賀さんに釣られるように、急いで制服に着替えた。そして、事務所に行く前に店長対策をおさらいする。
「昨日みたいに圧力をかけてきたら、上手くかわす。どうしてもダメなら、逃げればいい」
バッグを開けて、封筒を取り出す。ガッツノベルの新作ゲラが入った封筒だ。
私はこれを、ライトノベルの担当者に預けるつもりでいる。土屋さん、あるいはバイトさんでも構わない。
新作ゲラは、売り場担当者が読んでこそ意味があるのだ。
更衣室を出て廊下を歩いて行くと、事務所のドアの前に、ライトノベル担当のバイトさんが立っていた。私に気付き、慌てて駆け寄ってくる。
「おはよう。どうしたの、こんなところで」
「副店長、またです」
「えっ?」
バイトさんが、うんざりした表情になった。
「土屋チーフですよ。体調不良で、欠勤するって」
「はあ? いやでも、さっき出勤したでしょ」
「それが、事務所で店長と揉めて、そのあと帰っちゃったんです」
「なんですって。一体どういうことなの」
バイトさんは「分かりません」と首を傾げて、
「ドアの外にいたので、よく聞こえなかったけど……チーフが、『私はどうすればいいの』とか、『ひどいわ』とか、ヒステリックに叫んでいました」
不穏な言葉を聞き、ドキッとする。
(もしかしたら、妊娠したことを店長に告げて、産むなとか言われたんじゃ……)
「あのう、副店長」
「えっ?」
黙り込んだ私を、バイトさんが怪訝そうに見てくる。
「店長が昨日、ガッツノベルのゲラを副店長に渡したそうですね。ライトノベルのチーフを兼任されるんですか?」
「まさか!」
バイトさんは、土屋さんがチーフの座を私に奪われそうだから、店長に突っかかったと想像したようだ。冗談じゃない。
「私はチーフになりません。ゲラも、店長に押し付けられただけ。ライトノベルのスタッフに読んでもらうつもりよ」
封筒を持つ手を振り上げた。
「そ、そうですよね。変なことを言ってすみません」
私の勢いに押され、バイトさんがたじろぐ。本気で疑われたわけではなさそうだ。
「土屋さんの件は私から店長に話して、どうにかしてもらいます。今日は山賀さんがいるし、人手は足りると思うので、なんとか頑張って。困ったことがあれば、相談してください」
「分かりました。では、お願いします」
バイトさんは、とりあえずという感じで売り場に戻った。
(店長と土屋さんは、近々いなくなる。だけど、仕事は最後まできっちりとやってもらうわ)
事務所のドアを開けて、古池店長のデスクへと歩いた。何事もなかったかのように、パソコンでメールのチェックをしている。
「おはようございます」
私が挨拶をすると店長は顔を上げて、「おはようございます」と、普通に返した。しかし、私が持っている封筒を見て、にやりと笑う。
「早速、読んでいただけたようですね」
昨夜の圧力が効いたと思ったらしい。
「一つ前のエレベーターに乗るのを見たわ」
「そうですか。具合、悪そうでしたか?」
「顔色が悪かった」
山賀さんが、ため息をつく。その気持ちも、私はよく理解することができた。
更衣室のドアを開けると、社員が一人入れ違いで出てきたが、土屋さんの姿が見当たらない。
「もう着替えたのかしら」
変だなと思っている間に、山賀さんもロッカーにバッグを仕舞い、ささっと着替えてしまう。着替えといっても、バイトさんはエプロンを付けるだけなので支度は簡単だ。
「すみません。急ぎの仕事があるので、先に行きますね」
「あ、うん」
山賀さんは早々と更衣室を出てしまった。
ずいぶん慌てている。土屋さんの妊娠をどのように確かめるべきか、相談したかったのだが。
「しょうがない、後にしよう。それにしても急ぎの仕事ってなんだろ。開店まで、まだ余裕があるのに」
よく分からないが、私も山賀さんに釣られるように、急いで制服に着替えた。そして、事務所に行く前に店長対策をおさらいする。
「昨日みたいに圧力をかけてきたら、上手くかわす。どうしてもダメなら、逃げればいい」
バッグを開けて、封筒を取り出す。ガッツノベルの新作ゲラが入った封筒だ。
私はこれを、ライトノベルの担当者に預けるつもりでいる。土屋さん、あるいはバイトさんでも構わない。
新作ゲラは、売り場担当者が読んでこそ意味があるのだ。
更衣室を出て廊下を歩いて行くと、事務所のドアの前に、ライトノベル担当のバイトさんが立っていた。私に気付き、慌てて駆け寄ってくる。
「おはよう。どうしたの、こんなところで」
「副店長、またです」
「えっ?」
バイトさんが、うんざりした表情になった。
「土屋チーフですよ。体調不良で、欠勤するって」
「はあ? いやでも、さっき出勤したでしょ」
「それが、事務所で店長と揉めて、そのあと帰っちゃったんです」
「なんですって。一体どういうことなの」
バイトさんは「分かりません」と首を傾げて、
「ドアの外にいたので、よく聞こえなかったけど……チーフが、『私はどうすればいいの』とか、『ひどいわ』とか、ヒステリックに叫んでいました」
不穏な言葉を聞き、ドキッとする。
(もしかしたら、妊娠したことを店長に告げて、産むなとか言われたんじゃ……)
「あのう、副店長」
「えっ?」
黙り込んだ私を、バイトさんが怪訝そうに見てくる。
「店長が昨日、ガッツノベルのゲラを副店長に渡したそうですね。ライトノベルのチーフを兼任されるんですか?」
「まさか!」
バイトさんは、土屋さんがチーフの座を私に奪われそうだから、店長に突っかかったと想像したようだ。冗談じゃない。
「私はチーフになりません。ゲラも、店長に押し付けられただけ。ライトノベルのスタッフに読んでもらうつもりよ」
封筒を持つ手を振り上げた。
「そ、そうですよね。変なことを言ってすみません」
私の勢いに押され、バイトさんがたじろぐ。本気で疑われたわけではなさそうだ。
「土屋さんの件は私から店長に話して、どうにかしてもらいます。今日は山賀さんがいるし、人手は足りると思うので、なんとか頑張って。困ったことがあれば、相談してください」
「分かりました。では、お願いします」
バイトさんは、とりあえずという感じで売り場に戻った。
(店長と土屋さんは、近々いなくなる。だけど、仕事は最後まできっちりとやってもらうわ)
事務所のドアを開けて、古池店長のデスクへと歩いた。何事もなかったかのように、パソコンでメールのチェックをしている。
「おはようございます」
私が挨拶をすると店長は顔を上げて、「おはようございます」と、普通に返した。しかし、私が持っている封筒を見て、にやりと笑う。
「早速、読んでいただけたようですね」
昨夜の圧力が効いたと思ったらしい。
0
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
かれん
青木ぬかり
ミステリー
「これ……いったい何が目的なの?」
18歳の女の子が大学の危機に立ち向かう物語です。
※とても長いため、本編とは別に前半のあらすじ「忙しい人のためのかれん」を公開してますので、ぜひ。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
7月は男子校の探偵少女
金時るるの
ミステリー
孤児院暮らしから一転、女であるにも関わらずなぜか全寮制の名門男子校に入学する事になったユーリ。
性別を隠しながらも初めての学園生活を満喫していたのもつかの間、とある出来事をきっかけに、ルームメイトに目を付けられて、厄介ごとを押し付けられる。
顔の塗りつぶされた肖像画。
完成しない彫刻作品。
ユーリが遭遇する謎の数々とその真相とは。
19世紀末。ヨーロッパのとある国を舞台にした日常系ミステリー。
(タイトルに※マークのついているエピソードは他キャラ視点です)
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる