60 / 236
正義の使者〈1〉
17
しおりを挟む
「も、もう行くぞ。時間が押してる」
「うっ、ううっ……」
父親に促され、母親はようやく棺から離れた。ハンカチを握りしめる手が、わなわなと震えている。
優ちゃんというのはたぶん、幼い頃の呼び名だ。
(そういえば、お袋が前に言ってたな)
『時々、央の夢を見るよ。どういうわけか、夢に出てくるあんたは小さな子どもで、私はハラハラしながら追いかけてる。転んだらどうするのって、心配してさ。あんたはもう大人なのに、可笑しいよねえ』
母親にとって、子どもはいつまでたっても子どもなんだ。
鳥宮の母親を見ながら、そんなことを思った。
葬儀会社の搬送車に遺体が運び込まれたあと、鳥宮の遺品を両親に渡した。
割れたメガネとサンダルである。
「ブランドのサンダルか……分不相応なものを買いおって」
父親は舌打ちし、袋をこちらに戻そうとした。
「警察で処分してくれ」
「そういうわけには、いきませんので」
「あいつが残したものは何もいらない。これに限らず、アパートのがらくたもだ」
相続放棄でもするつもりだろうか。しかし、息子が最後に身に着けていた遺品くらい、受け取るべきだ。
「あの、すみません。私が預かります」
父親の後ろから、母親がおずおずと申し出た。剥げた化粧と、泣きすぎて真っ赤になった目が痛々しい。
「……勝手にしろ!」
ぷいと横を向き、搬送車の後ろにつけたタクシーに乗り込んでしまった。
この父親は、亡くなった息子に対して、ほとんど意地になっている。しかし自分にも責任があると、本当はわかっているのだろう。
母親は受け取った遺品を、大事そうにバッグにしまった。
俺と水野さんは並んで立ち、搬送車を見送った。これから斎場に向かうそうだ。
「終わったな」
「ええ」
「東松くんが手伝ってくれて、助かったよ。ありがとう」
上司に礼を言われ、恐縮する。真実に辿り付くことができたのは、水野さんが根気よく調査したおかげだ。俺は力になれた実感がない。
「しかし、やっぱり謎が残る」
「えっ」
ため息まじりの言葉に、どきっとする。
「鳥宮の金回りのことですか。でも、転落死に直接関係する証拠は出ていません」
「ああ、そうだ。私が気になるのは、さっきの、鳥宮が履いていたというサンダルな……」
「サンダル?」
水野さんは「うーん」と唸り、夜空を仰いだ。
「有名ブランドのレザーサンダルだった。親父さんの言うとおり、鳥宮の持ち物にしては高級品といえる」
「そうなんですか」
スーツや小物に凝る水野さんらしい気付きだ。ブランドに詳しくない俺は、素直に感心する。
「金回りが良くなったから、奮発したんでしょうか」
「そうかもしれん。しかし気になるのは、アウトソールが革だったこと。レザーの靴底は濡れた路面で滑りやすいのだが、鳥宮は知らなかったのかな」
「あ……」
鳥宮はサンダル履きで手すりに上がった。雨がどしゃ降りの中、最も滑りやすいレザーサンダルを履いて――
「高級サンダルをベランダ履きにするのも妙だし。真相は明らかになったが、どうもすっきりしない。私はこの疑問を覚えておくことにする」
「書類に追記しておきます」
水野さんが、俺の背中をぽんと叩く。追記したら、そこで切り替えろという合図だ。
他の事案が溜まっている。次の仕事に取り掛かるため、職場に戻った。
「うっ、ううっ……」
父親に促され、母親はようやく棺から離れた。ハンカチを握りしめる手が、わなわなと震えている。
優ちゃんというのはたぶん、幼い頃の呼び名だ。
(そういえば、お袋が前に言ってたな)
『時々、央の夢を見るよ。どういうわけか、夢に出てくるあんたは小さな子どもで、私はハラハラしながら追いかけてる。転んだらどうするのって、心配してさ。あんたはもう大人なのに、可笑しいよねえ』
母親にとって、子どもはいつまでたっても子どもなんだ。
鳥宮の母親を見ながら、そんなことを思った。
葬儀会社の搬送車に遺体が運び込まれたあと、鳥宮の遺品を両親に渡した。
割れたメガネとサンダルである。
「ブランドのサンダルか……分不相応なものを買いおって」
父親は舌打ちし、袋をこちらに戻そうとした。
「警察で処分してくれ」
「そういうわけには、いきませんので」
「あいつが残したものは何もいらない。これに限らず、アパートのがらくたもだ」
相続放棄でもするつもりだろうか。しかし、息子が最後に身に着けていた遺品くらい、受け取るべきだ。
「あの、すみません。私が預かります」
父親の後ろから、母親がおずおずと申し出た。剥げた化粧と、泣きすぎて真っ赤になった目が痛々しい。
「……勝手にしろ!」
ぷいと横を向き、搬送車の後ろにつけたタクシーに乗り込んでしまった。
この父親は、亡くなった息子に対して、ほとんど意地になっている。しかし自分にも責任があると、本当はわかっているのだろう。
母親は受け取った遺品を、大事そうにバッグにしまった。
俺と水野さんは並んで立ち、搬送車を見送った。これから斎場に向かうそうだ。
「終わったな」
「ええ」
「東松くんが手伝ってくれて、助かったよ。ありがとう」
上司に礼を言われ、恐縮する。真実に辿り付くことができたのは、水野さんが根気よく調査したおかげだ。俺は力になれた実感がない。
「しかし、やっぱり謎が残る」
「えっ」
ため息まじりの言葉に、どきっとする。
「鳥宮の金回りのことですか。でも、転落死に直接関係する証拠は出ていません」
「ああ、そうだ。私が気になるのは、さっきの、鳥宮が履いていたというサンダルな……」
「サンダル?」
水野さんは「うーん」と唸り、夜空を仰いだ。
「有名ブランドのレザーサンダルだった。親父さんの言うとおり、鳥宮の持ち物にしては高級品といえる」
「そうなんですか」
スーツや小物に凝る水野さんらしい気付きだ。ブランドに詳しくない俺は、素直に感心する。
「金回りが良くなったから、奮発したんでしょうか」
「そうかもしれん。しかし気になるのは、アウトソールが革だったこと。レザーの靴底は濡れた路面で滑りやすいのだが、鳥宮は知らなかったのかな」
「あ……」
鳥宮はサンダル履きで手すりに上がった。雨がどしゃ降りの中、最も滑りやすいレザーサンダルを履いて――
「高級サンダルをベランダ履きにするのも妙だし。真相は明らかになったが、どうもすっきりしない。私はこの疑問を覚えておくことにする」
「書類に追記しておきます」
水野さんが、俺の背中をぽんと叩く。追記したら、そこで切り替えろという合図だ。
他の事案が溜まっている。次の仕事に取り掛かるため、職場に戻った。
0
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作

〖完結〗私はあなたのせいで死ぬのです。
藍川みいな
恋愛
「シュリル嬢、俺と結婚してくれませんか?」
憧れのレナード・ドリスト侯爵からのプロポーズ。
彼は美しいだけでなく、とても紳士的で頼りがいがあって、何より私を愛してくれていました。
すごく幸せでした……あの日までは。
結婚して1年が過ぎた頃、旦那様は愛人を連れて来ました。次々に愛人を連れて来て、愛人に子供まで出来た。
それでも愛しているのは君だけだと、離婚さえしてくれません。
そして、妹のダリアが旦那様の子を授かった……
もう耐える事は出来ません。
旦那様、私はあなたのせいで死にます。
だから、後悔しながら生きてください。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全15話で完結になります。
この物語は、主人公が8話で登場しなくなります。
感想の返信が出来なくて、申し訳ありません。
たくさんの感想ありがとうございます。
次作の『もう二度とあなたの妻にはなりません!』は、このお話の続編になっております。
このお話はバッドエンドでしたが、次作はただただシュリルが幸せになるお話です。
良かったら読んでください。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる