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正義の使者〈1〉
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瀬戸さんも水野さんと同じ見解だった。鳥宮の転落は自殺ではなく事故。俺も、そう考えるのが合理的だと思うが、しかし……
「どうしても引っ掛かるんです。鳥宮の金回りの良さと、最後の言葉の意味……」
「別の人間が関わってると思うの?」
「はい。でもそんな気配がなくて、奇妙なんです」
鳥宮は家族と絶縁状態で、連絡する友人は前田のみ。SNSのたぐいも興味がないようで、アカウントは見つからなかった。
「その一方で、つきまといか。目を付けた相手には執着するタイプなのね」
「極端な男です」
いずれにしろ、しっかりと聞き込むほかない。近隣住民の目撃情報から、鳥宮の行動を洗うのだ。
「ところで、さっきちらっと出てきた彼女、507号室の女性なんだけど」
「えっ?」
鋭い目つきに射貫かれ、ドキッとする。あやうく目を逸らすところだった。
「何でしょうか」
「気のせいかなあ。東松くん、彼女の話をする時、ちょっと嬉しそうに見えたわ」
「はい?」
「特別な感情を持ってるとか?」
「……いいえ」
水野さんといい、なぜ一条春菜への微細な感情に気付くのだ。
二人が優秀な刑事だから?
それとも、俺はそんなに分かりやすいのか?
「あれっ、返事が遅れたわね。あやしいなあ」
「……」
瀬戸さんは、まるで容疑者を追い詰めるかのような目つきで迫ってくる。
もちろん無視を決め込み、冷静を装った。
一条春菜への感情は俺のプライバシーだ。
「まあいいわ。彼女は単なる聞き込み相手。今の仕事が終われば縁がなくなる他人だし、私のライバルに昇格する可能性はないッ!!」
「一体、何の話ですか」
先輩刑事の意味不明な叫びに耳を貸さず、俺は席を立った。いいかげん仕事に戻らねば、水野さんの補助ができなくなる。
「ちょっと待って、東松。彼女、鳥宮から苦情をもらったのよね」
まだ冗談を続けるのか。
俺はうんざりしながら振り向くが、瀬戸さんは真顔だった。
「それが、どうかしたんですか?」
「さっきも頭に閃いたのよねえ。一瞬で消えちゃうんだけど」
眉間に皺を寄せ、思い出そうとしている。俺は椅子に座り直し、閃きが形になるのを待った。
「似たような場面を、どこかで見た気がするの。いつだったか……」
「ポストに苦情を入れるってところですか?」
集合住宅において、隣人トラブルが原因で起こる事件は珍しくない。そんなシチュエーション、あちこちに転がっていそうだ。
「文句を紙に書いて、ポストに放り込んであったのよね」
「はい……あっ、そうだ」
証拠品の写真を、水野さんから預かっている。内ポケットからそれを取り出し、瀬戸さんに渡した。
「現物はB5のレポート用紙ですが」
「赤文字で『うるさいぞ』の五文字……殴り書きのような、乱暴な筆致……」
瀬戸さんは、しばらく写真に見入っていたが、やがて悔しそうに顔を歪めた。
「覚えがあるのに、わかんない。どこで見たのかなあああ……」
もう時間がない。頭を抱える彼女に、「何か思い出したら連絡をください」と言い置き、食堂をあとにした。
数多くの事件を扱ってきた瀬戸さんだ。似たような証拠品を、どこかで目にしたのだろう。
彼女の記憶をあまりあてにせず、俺はデスクに戻ってやりかけの仕事を片付け、水野さんの手伝いに走った。
緑大学前駅に電車が到着すると同時に、水野さんから電話がかかってきた。
『今、メゾン城田の前にいる。君も来てくれるか』
有益な情報を得たらしく、少し興奮気味の口調である。俺は駆け足でアパートへと向かった。
水野さんは駐車場の、鳥宮が落下した辺りで待っていた。見覚えのある若い女が、そばに立っている。
あれは、メゾン城田の住人だ。彼女には昨夜、水野さんと事情聴取したはずだが。
「東松くん。504号室の杉田さんだ」
「ええ、昨夜はどうも。捜査にご協力をありがとうございます」
俺が挨拶すると、ちょっと気まずそうに頭を下げた。彼女は鳥宮と同じ五階の住人だ。本町の短大に通う学生だったなと思い出す。
「鳥宮さんについて、新たな事実を証言してくださった。杉田さん、もう一度確認いたしますね」
「はい」
杉田は緊張の面持ちで、俺達と向き合う。
昨夜は怯えた様子だったが、今日は覚悟のようなものが顔に表れていた。
「どうしても引っ掛かるんです。鳥宮の金回りの良さと、最後の言葉の意味……」
「別の人間が関わってると思うの?」
「はい。でもそんな気配がなくて、奇妙なんです」
鳥宮は家族と絶縁状態で、連絡する友人は前田のみ。SNSのたぐいも興味がないようで、アカウントは見つからなかった。
「その一方で、つきまといか。目を付けた相手には執着するタイプなのね」
「極端な男です」
いずれにしろ、しっかりと聞き込むほかない。近隣住民の目撃情報から、鳥宮の行動を洗うのだ。
「ところで、さっきちらっと出てきた彼女、507号室の女性なんだけど」
「えっ?」
鋭い目つきに射貫かれ、ドキッとする。あやうく目を逸らすところだった。
「何でしょうか」
「気のせいかなあ。東松くん、彼女の話をする時、ちょっと嬉しそうに見えたわ」
「はい?」
「特別な感情を持ってるとか?」
「……いいえ」
水野さんといい、なぜ一条春菜への微細な感情に気付くのだ。
二人が優秀な刑事だから?
それとも、俺はそんなに分かりやすいのか?
「あれっ、返事が遅れたわね。あやしいなあ」
「……」
瀬戸さんは、まるで容疑者を追い詰めるかのような目つきで迫ってくる。
もちろん無視を決め込み、冷静を装った。
一条春菜への感情は俺のプライバシーだ。
「まあいいわ。彼女は単なる聞き込み相手。今の仕事が終われば縁がなくなる他人だし、私のライバルに昇格する可能性はないッ!!」
「一体、何の話ですか」
先輩刑事の意味不明な叫びに耳を貸さず、俺は席を立った。いいかげん仕事に戻らねば、水野さんの補助ができなくなる。
「ちょっと待って、東松。彼女、鳥宮から苦情をもらったのよね」
まだ冗談を続けるのか。
俺はうんざりしながら振り向くが、瀬戸さんは真顔だった。
「それが、どうかしたんですか?」
「さっきも頭に閃いたのよねえ。一瞬で消えちゃうんだけど」
眉間に皺を寄せ、思い出そうとしている。俺は椅子に座り直し、閃きが形になるのを待った。
「似たような場面を、どこかで見た気がするの。いつだったか……」
「ポストに苦情を入れるってところですか?」
集合住宅において、隣人トラブルが原因で起こる事件は珍しくない。そんなシチュエーション、あちこちに転がっていそうだ。
「文句を紙に書いて、ポストに放り込んであったのよね」
「はい……あっ、そうだ」
証拠品の写真を、水野さんから預かっている。内ポケットからそれを取り出し、瀬戸さんに渡した。
「現物はB5のレポート用紙ですが」
「赤文字で『うるさいぞ』の五文字……殴り書きのような、乱暴な筆致……」
瀬戸さんは、しばらく写真に見入っていたが、やがて悔しそうに顔を歪めた。
「覚えがあるのに、わかんない。どこで見たのかなあああ……」
もう時間がない。頭を抱える彼女に、「何か思い出したら連絡をください」と言い置き、食堂をあとにした。
数多くの事件を扱ってきた瀬戸さんだ。似たような証拠品を、どこかで目にしたのだろう。
彼女の記憶をあまりあてにせず、俺はデスクに戻ってやりかけの仕事を片付け、水野さんの手伝いに走った。
緑大学前駅に電車が到着すると同時に、水野さんから電話がかかってきた。
『今、メゾン城田の前にいる。君も来てくれるか』
有益な情報を得たらしく、少し興奮気味の口調である。俺は駆け足でアパートへと向かった。
水野さんは駐車場の、鳥宮が落下した辺りで待っていた。見覚えのある若い女が、そばに立っている。
あれは、メゾン城田の住人だ。彼女には昨夜、水野さんと事情聴取したはずだが。
「東松くん。504号室の杉田さんだ」
「ええ、昨夜はどうも。捜査にご協力をありがとうございます」
俺が挨拶すると、ちょっと気まずそうに頭を下げた。彼女は鳥宮と同じ五階の住人だ。本町の短大に通う学生だったなと思い出す。
「鳥宮さんについて、新たな事実を証言してくださった。杉田さん、もう一度確認いたしますね」
「はい」
杉田は緊張の面持ちで、俺達と向き合う。
昨夜は怯えた様子だったが、今日は覚悟のようなものが顔に表れていた。
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