恋の記録

藤谷 郁

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奇怪な日常

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雨の音がする。

それから、あれは救急車のサイレン?


私は掛け布団を頭からかぶり、夢と現を行ったり来たりした。

なんだか全身がだるい。風邪でも引いたのかしら。どうしてこんなに眠いの。昨夜、そんなに遅くならなかったのに。

ハッとして、目を覚ます。

昨夜、私は水樹さんとデートした。確か、グラスワインで酔ってしまった私を、彼がタクシーで送ってくれた。アパートまで……

がばりと起き上がり、きょろきょろと見回す。ここは私の部屋だ。


「あ、あれ?」


アパートの部屋まで彼は送ってくれた。それからどうなったのか、記憶がぼんやりしている。


「何てこと……」


水樹さんに迷惑をかけたのは間違いない。しかも醜態を晒して。


ベッドを抜け出し、洗面所に駆け込んで鏡を覗いた。

ぼさぼさの髪に、メイクが剥げた顔。よれよれのワンピース。


「ひええ……最悪」


ベッドに戻った私は、枕元にきちんと畳まれたボレロを発見する。水樹さんが私をベッドに運んだ時、脱がせてくれたのだ。

だんだん思い出してきた。

アパートの前でタクシーを降りて、水樹さんに抱えられながらエレベーターに乗って、部屋に入り……


『すみません、水樹さん。せっかく送ってくださったのに、お構いもできず……』

『いいよ、今夜はゆっくり休んで。僕はもう帰るから』

『え、もう……ていうか、あの……また、デートしてくれますか?』

『もちろんだよ。僕は君の、恋人なんだから』

『あ……』


水樹さんはボレロを脱がせてから、私を抱きしめた。首すじに顔を埋め、しばらくじっとしていた。


『水樹……さん?』

『ごめん、もう行くよ。部屋の鍵はポストに入れておくから、安心して……』


彼の言葉を最後まで聞かず、私は寝入ったのだ。記憶はそこで途切れている。


「はっ、恥ずかしすぎる」


私は赤面し、頭をかきむしりながら玄関まで歩き、ドアポストの受け箱から鍵を取り出した。


「水樹さんにお詫びしなくちゃ……ん?」


ドアの向こうから、話し声が聞こえる。廊下を歩く複数の足音も。


「な、何?」


こんな早朝から、何事だろう。時計を見れば朝の五時を回ったばかりだ。

カーディガンを羽織ってから、そっとドアを開けてみた。


「えっ?」


隣の部屋のドアが開放されている。その前に立つ人物をコワモテ男かと思いビクッとするが、違う。

制服の警察官だ。そして、横にいるのは……


「大家さん?」


白髪まじりの小柄な男性に見覚えがあった。入居の日に、一度だけ顔を合わせている。


「あ、どうもおはようございます」


大家は私に気付き、なぜか決まり悪そうに挨拶した。ずいぶんと顔色が悪い。


「おはようございます。あの、何かあったのですか?」

「はあ……お騒がせしてすみません」


靴を履いて廊下に出た私に、大家は曖昧な返事をした。そして警察官と一緒に部屋に入り、ドアを閉めてしまう。



「な、何なの?」


なぜ大家が隣の部屋に?

しかも警察の人と一緒に。こんな早朝から、どういうわけで?

私はあれこれ推測する。

コワモテ男が家賃を踏み倒し、夜逃げしたのだろうか。暴力事件などの犯罪で捕まったとか?

わけがわからず部屋に引っ込もうとした時、ガチャリと音がした。

見ると、今度は廊下の真ん中辺りのドアが開き、恐る恐るという感じで顔が出てきた。私の部屋の、隣の隣の隣。504号室だ。

初めて見る、コワモテ男以外のアパートの住人の顔。しかも若い女性である。

彼女は廊下にひっそりと出てきて、目が合った私にぺこりとお辞儀をした。反射的に私も会釈し、少し迷った後、私たちは互いに歩み寄った。


「はじめまして。私、504号室のスギタといいます」


頬骨の高い大人びた顔立ちだが、雰囲気が擦れていない。おそらく学生だろう。


「私は507号室の一条です。最近、引っ越してきたばかりです」

「あっ、そうなんですね」


私も挨拶すると、彼女はちょっと安心した表情になり、内緒話するみたいに顔を寄せてきた。


「今の、大家さんですよね。大変なことが起きてしまって、気の毒です。私達もだけど」

「?」


一体何のことだろう。

ぽかんとする私に、彼女は怪訝そうに訊ねる。


「え、まだ知らないんですか?」

「はあ」


やはり、コワモテ男が何かやらかしたらしい。私はごくりと唾を飲み込み、耳を傾ける。


「506号室の人、自殺したらしいですよ。ついさっき、ベランダから飛び降りて」
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