恋の記録

藤谷 郁

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メッセージ

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『新しい土地での生活は、不安なこともあるだろう。僕でよければいつでも相談に乗るから、遠慮なく頼ってくれよ』


感激のあまり、体が震える。水樹さんが目の前にいたなら、抱きついてしまいそうだ。


「ありがとうございます。本当に嬉しいです」

『いいよ。君のことは、放っておけない』

「え?」


それはどういう意味……と言いかける前に、彼が言葉を継いだ。


『男として、ね』

「……水樹さん」


もう私は、どうにかなりそうだ。気障な台詞をさらりと言ってのける彼は、一体何者なのか。

まさに王子様だ。


『そろそろアパートに着いた?』

「えっ、ええ。今、着きました。エントランスの前です」

『なら、安心だ。早く部屋で休んで、明日も元気に頑張れ』

「はいっ。水樹さんも、お仕事頑張ってください。あの、なるべく早くメールしますね」

『うん、待ってるよ。おやすみ』

「おやすみなさい」


通話を終えて、私はその場でスマートフォンを抱きしめる。

電話では物足りない。すぐにでも彼に会いたい気持ちが止まらなかった。


「ん?」


こちらに向かって、誰かが歩いてくる気配があった。

電話の余韻に浸りつつも背後の闇に目を凝らし、私はぎょっとする。

あの大柄なシルエットは、コワモテ男。私が乗った次の電車で帰ってきたのだ。


(どうしよう……)


苦情について、直接話してみようか――と、一瞬考えるが、私の足は勝手にエレベーターにダッシュしていた。

籠は運よく一階にあった。

神様、感謝します!

と、心で叫ぶ。

大急ぎで乗り込み、『閉』のボタンを連打した。


(早く早く!)


古いエレベーターのためか、反応が遅い。男の影がエントランスに入ろうとする直前、ようやく扉が閉まり、籠は上昇を始めた。

あと一秒でも遅ければ、見つかるところだった。


男に追い付かれる前に部屋に戻ることができた私は、へなへなとくずおれる。


「ああ……やばかったあ」


一人前の大人といっても、怖いものは怖い。

しばらくドアの内側でへたり込んでいると、足音が聞こえた。エレベーターを降りた男が、廊下を歩いてくるのだ。

私は身じろぎもせず、耳に神経を集中させる。

重い身体を引きずるような音。コワモテに似合わず、勢いのない歩き方だ。肉体労働がきつくて、疲れているのだろうか。

足音はどんどん近くなり、やがてすぐそこで止まった。


(やっぱり……)


男は隣の部屋に入った。隣人はコワモテ男だと、判明した。



◇ ◇ ◇



あれから一週間が過ぎた。


新しい職場に慣れてきたし、水樹さんとは食事する約束を交わした。

すべて理想的に展開している。アパートでの生活も――


(今日も怪しいメッセージはなし、か)


集合ポストを覗き、からっぽなのを確かめてからエントランスを出た。

初夏を感じさせる明るい陽射しが、歩道を照らしている。公園の緑に癒されながら、いつものように駅へと歩いた。


毎朝ポストを覗くが、あれ以来苦情が届くことはない。ほっとするけれど、妙な気分だった。

クレームをもらって以降、私はできるだけ静かに生活している。スリッパを脱いで歩き、掃除機ではなくフローリング用のモップを使うなど工夫もした。

でも、時々大きな音を立てることがある。

モップを倒したり、物を落としたり。もちろんわざとではないが、マグカップを割った時と同じくらい響いているはずだ。

それなのに、苦情がまったくない。

ひょっとして、あのクレームは私あてではなかったのでは?

そんな風に思えてくる。アパートの住人の誰かが、部屋番号を間違えて投函したというのも有り得る。あまりにも平和なので、だんだん楽観的に考えるようになった。

また、コワモテ男に遭遇することなく通勤できている。シフトがずれて、生活パターンが変わったせいだろうか。

とにかく、落ち着いた毎日が続いている。拍子抜けするくらいに。
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