恋の記録

藤谷 郁

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雨の夜

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店長が言ったとおり、休憩室は空いていた。大小のテーブルがきれいに配置された部屋には、館内放送のBGMと、コーヒーの香りが漂っている。

私達三人は、自動販売機の前にある丸テーブルを囲んだ。


(水樹さんは、いないみたい……)


もうお昼を済ませたのだろうか。それとも、外食派だったりして――いや、あれこれ推測しても無駄である。私はまだ、彼のことを何も知らないのだ。

期待しただけに落胆するが、顔には出さずにおいた。なぜか土屋さんが、私のことをじっと見ている。


「なに?」

「いえ、誰か探してるみたいだから。このビルに、お知り合いでもいるのかなあって」


内心、ギクリとする。キョロキョロしたわけじゃないのに、なぜそこまで分かるのだ。


「う、うん、ちょっとね」


勘の鋭そうな土屋さんに、彼のことを話すのはためらわれる。

口を濁す私に彼女は小首を傾げるが、特に追及してこず、ランチバッグを開いた。

私もバッグから弁当を取り出していると、アルバイトの子が、おずおずと声をかけてきた。


「あのう、はじめまして。私、アルバイトの山賀やまがと申します。ライトノベルの担当で、週三日働いています」

「あっ、ごめんなさい。こちらこそはじめまして。よろしくお願いします」


ごく自然に連れ立ってきたので、うっかり挨拶を忘れていた。私は椅子の上であらたまり、ぺこりと頭を下げた。


「ライトノベルというと、土屋さんの班ですね」

「はい」


土屋さんと同じく今時の女の子っぽい雰囲気だが、山賀さんは口調が真面目で、やや控えめな感じがする。


「山っちは地元のコなんです。いろいろ情報通だし、マーケティングの面で頼りになりますよー」

「そうなんですね」


彼女達はかなり仲が良さそうだ。

そういえば、お揃いのランチバッグを使っている。


「そんな、情報通だなんて。地元といっても三駅向こうの田舎に住んでるし、この辺りのことは、あまり詳しくないです」


私は弁当の蓋を開けようとして、手を止めた。


「三駅向こうって、もしかして『緑大学前駅』?」


アパートの最寄駅を出すと、山賀さんは目をぱちくりとさせる。


「えっ、一条さんも城田町ですか?」

「うん。駅から徒歩五分のアパートに住んでる」


話をすると、山賀さんの自宅はメゾン城田の近所だった。彼女は城田町で生まれ育ち、今は地元の短期大学に通っているという。


「わあ、ご近所さんがいて良かったですね、一条さん! お値打ちなスーパーとか、地元ならではの情報をもらえますよ」

「そ、そうだね」


お値打ち情報はともかく、地元をよく知る人の存在は心強い。引っ越してからこれまで、私を神経質にさせていた要素が、一つ解消された気がする。


「それにしても、駅から徒歩五分って、通勤ラクラクで羨ましいです。いいとこ見つかって良かったですねー。私なんて乗り換え含めて四十分もかかっちゃう」

「つっちーは実家住みだもん。駅ビル周辺の物件探してみたら? 近場のアパートに引っ越せば解決だよ」


土屋さんと山賀さんは、サンドウィッチを頬張りながらお喋りする。親しげに呼び合う二人は本当に仲良しのようで、よく見るとランチバッグだけでなく、ランチケースとナフキンまでお揃いである。


「だよねー。でも、今のお給料じゃ苦しくって無理。あーあ、早く出世して、一人暮らししたいなあ」


私のことをチラッと見る。

何か言いたげな視線だが、笑顔を作ってスルーした。あまり感じのいい目つきではない。


「あっ、そうだ。一条さん、メゾン城田の周りってアパートがたくさん集まってますよね。半年くらい前に、あの辺りで事件があったんですよ。隣人トラブルが原因とかで」


山賀さんが急に思い出したように言う。私も土屋さんも、食べるのをやめて彼女に注目する。


「事件?」


復唱する私に、山賀さんは神妙な顔で頷く。


「あー、知ってる。一人暮らしのOLが、隣に住んでる学生に襲われたんだよね」


土屋さんが興奮気味に割り込んできた。大きな声だったので、休憩中の人達がこちらを振り返る。山賀さんは気まずそうな様子になり、声を抑えるよう彼女にジェスチャーした。


「襲われたって……そのOLさん、どうなったの?」


恐る恐る訊くと、山賀さんは声を潜めて、


「殺されちゃいました」


頭の中で、ドアを閉めて施錠する音が響く。

今住んでいる場所の近くで起こったという物騒な事件を、私は無意識に、自分の状況に重ね合わせていた。
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