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レザーソール
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実家の長兄は痩せているから、ぴんとこなかったのだ。もし太ったら顔も印象も、彼そっくりになるような気がする。
でも、なぜあの人も私をしげしげと眺めたのだろう……
「お客様、こちらで靴をお拭きください」
店員がぱたぱたと駆け寄ってきてタオルを差し出した。私は思考を途切れさせ、それを受け取る。
「すみません、お借りします」
きれいなタオルなので、かえって申しわけないが、ありがたく使わせてもらうことにする。初めてのボーナスで買ったこのパンプスは革製で、大事に履いている靴だ。
「僕が拭こう」
「……えっ?」
智哉という男性が、私の手からタオルをそっと取り上げる。そして、自分が使っていた椅子を引き、私に座るよう促した。
「ええっ、いえあの、自分で拭きますので!」
「静かに」
唇に指を立て、穏やかに微笑む。
私はどうしてか抵抗する気を失くし、素直に腰かけた。
「片方ずつやります。脱いでください」
「は、はい」
彼は私の前に跪き、脱いだパンプスを手に取る。しかも迷いなく素手で。
「あの、手が汚れてしまいますよ?」
「気にしないで」
再び頬が熱くなった。この体勢は、まるでシンデレラ。王子様がガラスの靴を手に、シンデレラの前に跪いている……みたいな。
店内に客は少ないが、こちらを意識しているのが分かる。
何だかとても恥ずかしく、いたたまれない。
(あああ……今日に限ってよれよれのストッキング。こんなことなら、新品を穿いてくるべきだった)
だけどこんなこと、予想できただろうか。いや、できるわけがない。ロマンス小説じゃあるまいし、現実ではあり得ないできごとだ。
あれこれと考えるうちに、彼はパンプスを拭いていく。というより、革に沁みた水を丁寧に吸い取るといった動作だ。
表面だけでなく、底までも。
そして最後に、型を確かめるように靴全体を眺めた。
「……?」
「よし。きれいになりましたよ、どうぞ」
当然のように、靴を履かせてくれる。その慣れた仕草に、私はあっと気が付く。
「もしかして、あなたは」
「ええ。僕は靴の仕事をしています」
やっぱり。だから、躊躇なくこんなことができたのだ。
彼は立ち上がり、店員が持ってきたおしぼりで指を拭った。私も椅子を立つと、パンプスをきれいにしてくれたお礼を言う。
「すみません、ありがとうございました!」
「どういたしまして。それより、外に出ようか。その靴について話をしたいが、ここでは落ち着かない」
「は、はあ」
靴について、何の話をするのだろう。よく分からないが、レジに向かう彼について行く。
「君、伝票を」
「えっ?」
レジの前で彼が振り向き、私を手招きした。
会計の順番を譲ってくれるのかな。そう思ってレジに伝票を置くと、彼は私のぶんも合わせて払おうとする。
「なっ、待ってください。私の方が、お世話になったのに……」
「いいから」
彼は構わず、カードで支払ってしまう。
(この人、意外に強引……?)
戸惑いながらお礼を言う私に、彼は軽く頷くだけ。スマートな仕草で、懐に財布をしまった。
「申し遅れました。僕はこういう者です」
店を出ると、彼は自己紹介をした。
差し出された名刺を見ると、靴専門店『ドゥマン』店長・水樹智哉と印刷されている。
「グリーンシティ本町駅ビル六階……えっ? この駅ビル内にお勤めなんですか?」
「そう、今は休憩中。たまたま知人が訪ねてきたので、ここで食事したわけです」
そうだったのか。
私は驚き、慌ててこちらも名刺を取り出す。
「実は私も、このビルで働く者です。明日からなんですけど」
「君も?」
彼は目を丸くし、名刺をまじまじと見つめた。
「一条春菜さん。『冬月書店』の、副店長さんですか」
気のせいか、彼は興奮気味だ。
いや、私がそう思いたいだけかもしれないが。
でも、なぜあの人も私をしげしげと眺めたのだろう……
「お客様、こちらで靴をお拭きください」
店員がぱたぱたと駆け寄ってきてタオルを差し出した。私は思考を途切れさせ、それを受け取る。
「すみません、お借りします」
きれいなタオルなので、かえって申しわけないが、ありがたく使わせてもらうことにする。初めてのボーナスで買ったこのパンプスは革製で、大事に履いている靴だ。
「僕が拭こう」
「……えっ?」
智哉という男性が、私の手からタオルをそっと取り上げる。そして、自分が使っていた椅子を引き、私に座るよう促した。
「ええっ、いえあの、自分で拭きますので!」
「静かに」
唇に指を立て、穏やかに微笑む。
私はどうしてか抵抗する気を失くし、素直に腰かけた。
「片方ずつやります。脱いでください」
「は、はい」
彼は私の前に跪き、脱いだパンプスを手に取る。しかも迷いなく素手で。
「あの、手が汚れてしまいますよ?」
「気にしないで」
再び頬が熱くなった。この体勢は、まるでシンデレラ。王子様がガラスの靴を手に、シンデレラの前に跪いている……みたいな。
店内に客は少ないが、こちらを意識しているのが分かる。
何だかとても恥ずかしく、いたたまれない。
(あああ……今日に限ってよれよれのストッキング。こんなことなら、新品を穿いてくるべきだった)
だけどこんなこと、予想できただろうか。いや、できるわけがない。ロマンス小説じゃあるまいし、現実ではあり得ないできごとだ。
あれこれと考えるうちに、彼はパンプスを拭いていく。というより、革に沁みた水を丁寧に吸い取るといった動作だ。
表面だけでなく、底までも。
そして最後に、型を確かめるように靴全体を眺めた。
「……?」
「よし。きれいになりましたよ、どうぞ」
当然のように、靴を履かせてくれる。その慣れた仕草に、私はあっと気が付く。
「もしかして、あなたは」
「ええ。僕は靴の仕事をしています」
やっぱり。だから、躊躇なくこんなことができたのだ。
彼は立ち上がり、店員が持ってきたおしぼりで指を拭った。私も椅子を立つと、パンプスをきれいにしてくれたお礼を言う。
「すみません、ありがとうございました!」
「どういたしまして。それより、外に出ようか。その靴について話をしたいが、ここでは落ち着かない」
「は、はあ」
靴について、何の話をするのだろう。よく分からないが、レジに向かう彼について行く。
「君、伝票を」
「えっ?」
レジの前で彼が振り向き、私を手招きした。
会計の順番を譲ってくれるのかな。そう思ってレジに伝票を置くと、彼は私のぶんも合わせて払おうとする。
「なっ、待ってください。私の方が、お世話になったのに……」
「いいから」
彼は構わず、カードで支払ってしまう。
(この人、意外に強引……?)
戸惑いながらお礼を言う私に、彼は軽く頷くだけ。スマートな仕草で、懐に財布をしまった。
「申し遅れました。僕はこういう者です」
店を出ると、彼は自己紹介をした。
差し出された名刺を見ると、靴専門店『ドゥマン』店長・水樹智哉と印刷されている。
「グリーンシティ本町駅ビル六階……えっ? この駅ビル内にお勤めなんですか?」
「そう、今は休憩中。たまたま知人が訪ねてきたので、ここで食事したわけです」
そうだったのか。
私は驚き、慌ててこちらも名刺を取り出す。
「実は私も、このビルで働く者です。明日からなんですけど」
「君も?」
彼は目を丸くし、名刺をまじまじと見つめた。
「一条春菜さん。『冬月書店』の、副店長さんですか」
気のせいか、彼は興奮気味だ。
いや、私がそう思いたいだけかもしれないが。
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