七日目のはるか

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
16 / 24

16.旅行の誘い

しおりを挟む
 外は相変わらずの強風で、車に乗り込むまでが大変だった。
 真崎は運転席に座ると、乱れた髪を手ぐしで整え、「ふうっ」と息をついた。
「大丈夫でしょうか、吉川博士」
 春花はいささか心配になって、建物の方へと目を向ける。しかし真崎は、
「大丈夫ですよ。あの人は、そんなヤワじゃありません」
 明るい表情で、きっぱりと言いきった。
 わだかまりのない口調に春花は安心するが、今度は別のもやもやが胸に湧いてくる。岬をわたる風の音を聞くうちに、あの疑問を思い出していた。

「あの、先生……」
  こんなことを尋ねていいのかどうか、春花は迷う。でも、どうしても気になるし、思いきって確かめることにした。
 午前中に見つけた。真崎と吉川の写真はどういうことなのか。
「えっ、そんなものがありましたか」
 春花の質問に、真崎は明らかに狼狽している。よく考えるとぶしつけな質問だった。あの写真は真崎のプライベートなのに。
 想像以上に困惑する彼を、逆に春花が気遣うことになった。
「すみません、見るつもりじゃなかったんですが。というか、吉川博士があまりにも女性的だったので、てっきり、真崎先生のこ……恋人か何かだと……」
 真崎は目を瞬かせた。

「そんな風に見えましたか?」
「え、ええ」
 真崎は額に手をあて、悩ましげにうめいた。非常に気まずそうな様子である。
「まあ、何と言うか。あたらずといえども遠からずと言うか……」
「ええっ?」
 驚く春花に、彼は慌てて釈明した。
「いやいや、違います。あれはアメリカで、彼と同じ大学にいたころの写真です。確か、どこかの公園で撮ったものだと記憶していますが。彼は、あの頃からゲイ……っていいますか……どうも、弱りましたねえ」
「はあ……」
 真崎の額に汗が浮かんでいる。普段飄々としている彼が、これほど困っている姿は珍しい。
 
 じっと見つめていると、真崎はあきらめたように、言葉を続けた。
「一度でいいから、恋人みたいに写真を撮ってほしいと言われまして。実は、その頃の私は大変貧乏な状態でしたので、夕飯にステーキをご馳走すると持ちかけられて、つい承諾してしまったのです」
「はあ……」
 春花は「はあ」としか言いようがなかった。
 そして、だんだんおかしさがこみ上げてきて、笑い出してしまった。
「そ、そんな理由があったんですか。吉川博士に頼まれて……ご飯と引き換えに……あは、あははは」 
「参りましたねえ」
 真崎はぽりぽり頭を掻くと、海のほうへ顔を向けてしまった。

 なるほどと春花は納得した。吉川が真崎に対して弱腰なのは、惚れた弱みからきている。学生時代から、変わらぬ想いを抱いているのだ。
「言っておきますが、私と吉川君はただの友人ですので、誤解の無いように」
「ふふっ、分かっていますよ。でも」
「でも?」
 真崎はこちらに顔を戻し、春花の意見を待つ。
「写真を残してあるということは、先生にとっても、青春時代の大切な思い出ということですね。何より、今でも吉川博士と縁を結んでいるのだから」
 真崎は瞬きすると、少し考えてから頷いた。
「そうですね。吉川君は今でも大切な友人です。何だかんだ言っても、付き合いを続ける理由はそれでしょう」 
 懐かしそうな眼差しで建物を見やった。少年の面差しが残る、あの写真の真崎と同じ顔をしている。

「さて、行きますか」
 真崎は視線を前に据えると、エンジンをかけて車を出した。
 岬の道を戻りながら、彼は春花に話し始める。それは本来、最も気にかけるべき事柄だった。
「2日後……つまり7日目に、あなたが女性に戻るかどうかですが」
 春花は、はっとする。そうだった。それが今一番の問題である。
 固唾を呑んで、真崎の横顔を見つめた。
「ま、考えても仕方がないですから」
「えっ?」
 拍子抜けするほど気楽な口調で、彼は意外なことを提案した。
「二人で、旅行にでも出かけましょうか」

 旅行――?

 どういうことか分からず、春花は反応できない。
 真崎は下り坂のカーブでハンドルを回しつつ、概要を教えた。
「実を言うと、これからS県に行くのです。その土地の高等学校で出張講義を行うことになりまして。それで、学校の近くに宿をとったのですが、なかなかいい温泉だそうですよ。景色もいいですし、あなたの気晴らしになるのではと思いまして」
「あ、そうだったんですか」

 仕事のついでだったのか――

 春花はほっとしたような、しないような、複雑な気持ちになる。
 そして、なぜか知らないが、妙に緊張してきた。
 どちらにせよ、二人で旅行するというシチュエーションは変わらないのだ。

「どうです、付き合いませんか」
「え、ええ。でも、旅行の準備とか……」
「着替えは持って来ましたよ。服なんかは、私と共同で着ることができますし」
「ああ……そう言えばそうですね。すみません」
 とりあえず納得するが、あらかじめ用意されていたことに、春花はドキッとする。
(というか、着替えの準備はともかく、心の準備が追いつかないんだけど)
「では、このままS県に参ります」
 高速道路インターのゲートを潜り本線に近付くと、真崎は加速した。強引な力が加わり、春花の鼓動はさらに速くなる。はっきり返事したわけではないが、彼はOKと解釈したようだ。

 春花は落ち着かず、胸を押さえながら、旅行について質問した。
「何泊するのですか?」
「今日、明日と滞在して、明後日戻りますよ」
「2泊3日……あ、ちょうど7日目に戻るのですね」
「はい」
 高速道路は空いている。車は速いスピードで、春花を遠くへと運んでいく。

 家族ではない男性と、二人きりで旅行――

 状況を言葉にすると、本格的に緊張してきた。だけど、今の自分は男性体であり、何も起きようはずがない。第一、毎日一つ屋根の下で寝起きしているのに、今さら何を慌てることがある?
 そこに思い至ると、なぜか落胆する自分もいて、春花は激しく動揺した。
 真崎を横目で窺うと、ご機嫌な様子で車を走らせている。

(うう……参ったなあ)

 彼にとっては男同士の誘いでも、春花にはもう、違う意味を持つ旅なのだ。
 鼻歌など歌う彼の隣で、春花は赤くなったり青くなったりした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

未来への転送

廣瀬純一
SF
未来に転送された男女の体が入れ替わる話

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?

俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。 この他、 「新訳 零戦戦記」 「総統戦記」もよろしくお願いします。

処理中です...