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決断
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秀一さんが留学時の感想を両親に話している。懐かしそうに、これまでひとつも語ったことのない「あの頃の話」を問われるままに、しかも笑みまで浮かべて。
私は彼の隣で、驚くばかりだった。
「凱旋門、ノートルダム大聖堂、サント・シャペルなど有名な観光地をあちこち見て周りました。時間があれば郊外にも足を伸ばして……つまり、おのぼりさんの状態ですね。遠足に出かけた小学生のような」
「ほう、ははは」
「そのお気持ち、分かります。初めての外国ですものねえ」
父も母も嬉しそうに相槌を打つ。二人とも海外旅行は未経験なので、なおさら関心が湧くのだ。
「歴史の重みはもちろん、芸術的見地からも素晴らしい建造物ばかりだと感心しました。外も内も細部まで美しく、完璧なバランスで構築されている。しかし、最も創作意欲を掻き立てられたのは、私が間借りしていたアパルトマンの周辺です。パリの街らしく、そのまま絵になる景色が普通にあり、反対に、ごく素朴な風景、生活感、人々の暮らしぶりからも刺激を受けた。とにかく、街のどこもかもに感激して、毎日スケッチブック片手に散歩をしたものです」
「そうなんですか。さすが画学生として留学されただけあって、常に美術の腕を磨いておられたのですな」
「いえ、私の場合、描くことが好きなだけですから」
秀一さんが父の言葉に照れた表情になった。
「ちなみにパリのどの辺りなんですか。その、アパルトマンのあった場所というのは」
母が訊くと、彼はふと真顔になり、私のほうへ視線を動かした。
「マレ地区といって、セーヌ川右岸に広がるパリの中でも特に古く、趣のある街です」
秀一さんが住んでいた場所はマレ地区。
マルセルが言っていた。エトワール画廊の本社はパリのマレ地区にあると。そこはベアトリス・エーメの生まれ故郷であり、彼女と秀一さんが出会った思い出の場所なのだ。
「思い出深い街です。私にとっては、特別な……」
秀一さんが私を見ている。何かを訴えるように、強い意思を込めて。
「特別な愛情を得た場所でもあります」
留学時代の思い出。私がずっと気にして、聞きたいと望んでいた話だ。だけど、いざとなると耳を塞ぎたい気持ちになる。私は小心で、臆病な人間なのだ。
こうなって初めて気づくことができた。
彼が留学の話をしない理由のひとつは私がこんな性格だから。秀一さんとベアトリス。二人の関係を、冷静に正しく捉えることの出来る度量を私が持っていたなら、きっと違っていた。
彼を頑なにさせた原因は私にもあった。過去を黙秘することで私を守ろうとしたのだ。
秀一さんはさらに語った。
「留学して一年目のクリスマスに、こんなことがありました。他の留学仲間がそれぞれ国に帰ってしまい、私は夜、静まり返ったアパルトマンの部屋に一人で居ました。叔父は休暇には帰ってくるよう言ってくれましたが、まだ留学して間もなくだったし、何となく帰りそびれて居残った形です。けれどそんな私を不憫に思ったのか、エーメ家の皆さんが家族で過ごすクリスマスに私を招待してくれたのです」
「エーメ家とは?」
私の動揺を知らず父が質問した。
「現地でお世話になった骨董品店の一家です。竹宮堂の道彦さんの紹介で知り合いました」
「まあ、何てご親切なご一家なんでしょう」
母が感嘆の声を上げると父はうんうんと頷き、
「いやしかし、そのご家族の気持ちもわかります。こうしてあなたを見ていると、なんと言うのかな、失礼ですが……つい世話を焼きたくなる」
「ちょっと、お父さん。本当に失礼よ!」
率直すぎる父の言い方を母が責めるが、秀一さんは黙って微笑む。ありがたく言葉を受けるという姿勢だ。
私は思い巡らした。ベアトリスもそうだったのだろうか。
そんな彼に思いを寄せて、親切にしたのだろうか。
特別な……思いを寄せて。
瞼に情景を浮かべた。クリスマスの夜、一人ぼっちの秀一さんを彼女が迎えにくる。
寂しい彼の心に、ぽっと灯りがともり、柔らかに微笑を交わす。
彼女に手を取られ、彼は温かな家庭に迎えられる。
遠慮しながらも、彼女の愛情に応えて。
「エーメ家は、ご主人に奥さん、そして娘さんが一人の三人家族ですが、その日はご近所に住む親戚の方々も集まっていました。とても賑やかで、でもそれ以上に賑やかだったのが、テーブルの上でした。スモークサーモンに牡蠣、シャポン、フォアグラは初めて食べた。とにかくすごい量のご馳走が並んでいて、びっくりしたんです。ケーキはビュッシュ・ド・ノエルといって、薪の形をしたケーキです。これが美味しくて、以来私は甘いものを好んで食べるようになってしまった」
ノエルとはフランス語でクリスマスのこと。
秀一さんは温かな口調で語った。とても優しい声で、それが私には逆にきつく、苦しかった。
「それ以来エーメ家とはすっかり打ち解け、親しく付き合うようになりました。ご主人は外国人嫌いの気難しい人なんですが、お前はクリスマスに我が家の一員になったのだとまで言ってくれた。それから私は彼らに秀一ではなく、ノエルと呼ばれるようになりました」
何か訴えるように、大事なことを伝えたいように、彼の視線が私を捉えた。逸らしたくても逸らせない、強い意思を宿す瞳。
苦しい胸を押さえる私に、彼はゆっくりと言葉を継いだ。
「家族の一人として、迎えられたのです」
「……」
特別な愛情を得た場所。それは、家族の一人として迎えられたという意味。
家族愛――遠い異国で独り過ごす彼に、それはどんなに素晴らしい贈り物だったろう。エーメ家の人々は彼をノエルと呼んだ。私が嫉妬する、そんな意味での愛情ではない。
それが彼女との関係であり、隠し立てのない真実だったのか。
秀一さんの告白を、私はしかと受け止めた。
食事会のあと、両親は秀一さんに自宅に寄ってくださいと勧めた。
彼は快諾し、私たちはそれぞれの車で移動した。
「さて、お茶菓子だけどね」
台所で今朝焼いたばかりのクロケ・オ・ザマンドを菓子器に移そうとする私を、母は止めた。いつの間に買ってきたのか、有名銘菓の箱を手にしている。
「やっぱりこっちにしない?」
「ええっ?」
「こういう場合は和菓子のほうがね」
漆の茶盆には、日本茶が用意されている。
「う……ん」
「ねっ」
母の気持ちはよく分かる。秀一さんを、母流の持て成しで迎えたいのだ。今日の主役は私ではなく、彼と両親である。
私は渋々承諾し、焼き菓子を保存袋に仕舞った。
「後できれいにラッピングしようね。先生もきっと喜ぶよ」
小さな子どもを励ますみたいに母が言う。
私は仕方なく、銘々皿に懐紙を敷くと、きれいな色合いの和菓子をのせていった。
(あとでちゃんと渡さなくては……)
客間で再び向き合うと、秀一さんは絵画教室の仕事や個人的な創作活動について両親に話した。彼の仕事に対する熱意のほどは生活力として両親に映ったようだ。
「ところで薫、仕事といえばお前はどうするつもりだ」
「どうするって……」
「今の会社で正社員を続けるのか、それともやめるのか」
父は私ではなく秀一さんのほうへと顔を向ける。その辺りは当然話し合っていると思うのだろう。
だけど私たちは、結婚後の暮らしについて具体的に話していない。プロポーズを受けてから半月、いろいろあり過ぎて、それどころではなかったから。
「すみません。まだ、話し合っていないのですが……」
秀一さんは両親に対し、気まずそうにする。私も同様だった。
「おほほ、お父さんったらせっかちねえ。まだまだ、これからですよね」
「うむ。薫はのんき者だからそうだろうと思っていた。だが島さんは考えがあるようですな」
男同士の視線が絡み合い、私は母と顔を見合わせる。
「その辺り、島さんはどういった要望を持っているのか、この娘にはっきりと言って下さい。はっきり言わねば分かりませんから」
父の言い草は心外だが、実際その通りなので反論できない。
だけど秀一さんは、そんな私を一度見てから、両親に考えを伝えた。
「薫さんの仕事について、私としては続けてほしいと思います。妻を家庭に縛り付けるつもりはありません」
「本当に、そう考えておられる?」
「はい」
「……そうですか」
父は腕組みをして、なぜか考え込んだ。予測と違う答えだったのか……
仕事を続けてほしいというのは、彼の本音に思えるのだけど。
「私は、仕事をしている薫さんが好きです」
さらに付け加える秀一さんに、父はやはり黙ったまま、どうしても納得できない態度でいる。
「お父さん?」
母が声をかけると、父はふうっと息をついた。
「いや失礼。私はてっきり、家庭に入ってほしいと言われるかと」
「……」
秀一さんは目を伏せた。なぜか、とても自信のない仕草に感じる。
父は急に居住まいを正し、秀一さんと対峙した。
「島さん」
「はい」
「あなたの仕事は、今聞いた限りではかなりハードだ。若者顔負けの精力的な活動をしている」
「ええ、その通りです」
秀一さんは素直に認めた。
「あなたの仕事に対する熱意は素晴らしい。しかしこれからは家庭人になる。その体はあなた一人のものではない」
父の声音はどちらかといえば穏やかだ。しかし秀一さんは、胸を衝かれたという顔になった。
「仕事をする薫が好きだというのも、家庭に縛り付けたくないというのも本心でしょう。それは分かるが、しかし現実的じゃあない。島さん、あなたは」
父はより穏やかに、だが厳格にそれを告げた。
「もう一度、よく考えるべきだ。これから薫とどうするのか。そして、しっかりとけじめをつけた後、あらためて申し込んでください」
秀一さんは何も言わず、父を見つめる。
「お父さん、何を言いだすのよ!」
母も、そして私も困惑した。ここまで順調に進み、形になりかけていた話が、ここへきて崩れかけている。しかし父は私たちに目もくれず、ふいに立ち上がった秀一さんを、同じように立ち上がり正面から見据えた。
「薫は大切な娘です。中途半端な男には渡せません」
私は彼の隣で、驚くばかりだった。
「凱旋門、ノートルダム大聖堂、サント・シャペルなど有名な観光地をあちこち見て周りました。時間があれば郊外にも足を伸ばして……つまり、おのぼりさんの状態ですね。遠足に出かけた小学生のような」
「ほう、ははは」
「そのお気持ち、分かります。初めての外国ですものねえ」
父も母も嬉しそうに相槌を打つ。二人とも海外旅行は未経験なので、なおさら関心が湧くのだ。
「歴史の重みはもちろん、芸術的見地からも素晴らしい建造物ばかりだと感心しました。外も内も細部まで美しく、完璧なバランスで構築されている。しかし、最も創作意欲を掻き立てられたのは、私が間借りしていたアパルトマンの周辺です。パリの街らしく、そのまま絵になる景色が普通にあり、反対に、ごく素朴な風景、生活感、人々の暮らしぶりからも刺激を受けた。とにかく、街のどこもかもに感激して、毎日スケッチブック片手に散歩をしたものです」
「そうなんですか。さすが画学生として留学されただけあって、常に美術の腕を磨いておられたのですな」
「いえ、私の場合、描くことが好きなだけですから」
秀一さんが父の言葉に照れた表情になった。
「ちなみにパリのどの辺りなんですか。その、アパルトマンのあった場所というのは」
母が訊くと、彼はふと真顔になり、私のほうへ視線を動かした。
「マレ地区といって、セーヌ川右岸に広がるパリの中でも特に古く、趣のある街です」
秀一さんが住んでいた場所はマレ地区。
マルセルが言っていた。エトワール画廊の本社はパリのマレ地区にあると。そこはベアトリス・エーメの生まれ故郷であり、彼女と秀一さんが出会った思い出の場所なのだ。
「思い出深い街です。私にとっては、特別な……」
秀一さんが私を見ている。何かを訴えるように、強い意思を込めて。
「特別な愛情を得た場所でもあります」
留学時代の思い出。私がずっと気にして、聞きたいと望んでいた話だ。だけど、いざとなると耳を塞ぎたい気持ちになる。私は小心で、臆病な人間なのだ。
こうなって初めて気づくことができた。
彼が留学の話をしない理由のひとつは私がこんな性格だから。秀一さんとベアトリス。二人の関係を、冷静に正しく捉えることの出来る度量を私が持っていたなら、きっと違っていた。
彼を頑なにさせた原因は私にもあった。過去を黙秘することで私を守ろうとしたのだ。
秀一さんはさらに語った。
「留学して一年目のクリスマスに、こんなことがありました。他の留学仲間がそれぞれ国に帰ってしまい、私は夜、静まり返ったアパルトマンの部屋に一人で居ました。叔父は休暇には帰ってくるよう言ってくれましたが、まだ留学して間もなくだったし、何となく帰りそびれて居残った形です。けれどそんな私を不憫に思ったのか、エーメ家の皆さんが家族で過ごすクリスマスに私を招待してくれたのです」
「エーメ家とは?」
私の動揺を知らず父が質問した。
「現地でお世話になった骨董品店の一家です。竹宮堂の道彦さんの紹介で知り合いました」
「まあ、何てご親切なご一家なんでしょう」
母が感嘆の声を上げると父はうんうんと頷き、
「いやしかし、そのご家族の気持ちもわかります。こうしてあなたを見ていると、なんと言うのかな、失礼ですが……つい世話を焼きたくなる」
「ちょっと、お父さん。本当に失礼よ!」
率直すぎる父の言い方を母が責めるが、秀一さんは黙って微笑む。ありがたく言葉を受けるという姿勢だ。
私は思い巡らした。ベアトリスもそうだったのだろうか。
そんな彼に思いを寄せて、親切にしたのだろうか。
特別な……思いを寄せて。
瞼に情景を浮かべた。クリスマスの夜、一人ぼっちの秀一さんを彼女が迎えにくる。
寂しい彼の心に、ぽっと灯りがともり、柔らかに微笑を交わす。
彼女に手を取られ、彼は温かな家庭に迎えられる。
遠慮しながらも、彼女の愛情に応えて。
「エーメ家は、ご主人に奥さん、そして娘さんが一人の三人家族ですが、その日はご近所に住む親戚の方々も集まっていました。とても賑やかで、でもそれ以上に賑やかだったのが、テーブルの上でした。スモークサーモンに牡蠣、シャポン、フォアグラは初めて食べた。とにかくすごい量のご馳走が並んでいて、びっくりしたんです。ケーキはビュッシュ・ド・ノエルといって、薪の形をしたケーキです。これが美味しくて、以来私は甘いものを好んで食べるようになってしまった」
ノエルとはフランス語でクリスマスのこと。
秀一さんは温かな口調で語った。とても優しい声で、それが私には逆にきつく、苦しかった。
「それ以来エーメ家とはすっかり打ち解け、親しく付き合うようになりました。ご主人は外国人嫌いの気難しい人なんですが、お前はクリスマスに我が家の一員になったのだとまで言ってくれた。それから私は彼らに秀一ではなく、ノエルと呼ばれるようになりました」
何か訴えるように、大事なことを伝えたいように、彼の視線が私を捉えた。逸らしたくても逸らせない、強い意思を宿す瞳。
苦しい胸を押さえる私に、彼はゆっくりと言葉を継いだ。
「家族の一人として、迎えられたのです」
「……」
特別な愛情を得た場所。それは、家族の一人として迎えられたという意味。
家族愛――遠い異国で独り過ごす彼に、それはどんなに素晴らしい贈り物だったろう。エーメ家の人々は彼をノエルと呼んだ。私が嫉妬する、そんな意味での愛情ではない。
それが彼女との関係であり、隠し立てのない真実だったのか。
秀一さんの告白を、私はしかと受け止めた。
食事会のあと、両親は秀一さんに自宅に寄ってくださいと勧めた。
彼は快諾し、私たちはそれぞれの車で移動した。
「さて、お茶菓子だけどね」
台所で今朝焼いたばかりのクロケ・オ・ザマンドを菓子器に移そうとする私を、母は止めた。いつの間に買ってきたのか、有名銘菓の箱を手にしている。
「やっぱりこっちにしない?」
「ええっ?」
「こういう場合は和菓子のほうがね」
漆の茶盆には、日本茶が用意されている。
「う……ん」
「ねっ」
母の気持ちはよく分かる。秀一さんを、母流の持て成しで迎えたいのだ。今日の主役は私ではなく、彼と両親である。
私は渋々承諾し、焼き菓子を保存袋に仕舞った。
「後できれいにラッピングしようね。先生もきっと喜ぶよ」
小さな子どもを励ますみたいに母が言う。
私は仕方なく、銘々皿に懐紙を敷くと、きれいな色合いの和菓子をのせていった。
(あとでちゃんと渡さなくては……)
客間で再び向き合うと、秀一さんは絵画教室の仕事や個人的な創作活動について両親に話した。彼の仕事に対する熱意のほどは生活力として両親に映ったようだ。
「ところで薫、仕事といえばお前はどうするつもりだ」
「どうするって……」
「今の会社で正社員を続けるのか、それともやめるのか」
父は私ではなく秀一さんのほうへと顔を向ける。その辺りは当然話し合っていると思うのだろう。
だけど私たちは、結婚後の暮らしについて具体的に話していない。プロポーズを受けてから半月、いろいろあり過ぎて、それどころではなかったから。
「すみません。まだ、話し合っていないのですが……」
秀一さんは両親に対し、気まずそうにする。私も同様だった。
「おほほ、お父さんったらせっかちねえ。まだまだ、これからですよね」
「うむ。薫はのんき者だからそうだろうと思っていた。だが島さんは考えがあるようですな」
男同士の視線が絡み合い、私は母と顔を見合わせる。
「その辺り、島さんはどういった要望を持っているのか、この娘にはっきりと言って下さい。はっきり言わねば分かりませんから」
父の言い草は心外だが、実際その通りなので反論できない。
だけど秀一さんは、そんな私を一度見てから、両親に考えを伝えた。
「薫さんの仕事について、私としては続けてほしいと思います。妻を家庭に縛り付けるつもりはありません」
「本当に、そう考えておられる?」
「はい」
「……そうですか」
父は腕組みをして、なぜか考え込んだ。予測と違う答えだったのか……
仕事を続けてほしいというのは、彼の本音に思えるのだけど。
「私は、仕事をしている薫さんが好きです」
さらに付け加える秀一さんに、父はやはり黙ったまま、どうしても納得できない態度でいる。
「お父さん?」
母が声をかけると、父はふうっと息をついた。
「いや失礼。私はてっきり、家庭に入ってほしいと言われるかと」
「……」
秀一さんは目を伏せた。なぜか、とても自信のない仕草に感じる。
父は急に居住まいを正し、秀一さんと対峙した。
「島さん」
「はい」
「あなたの仕事は、今聞いた限りではかなりハードだ。若者顔負けの精力的な活動をしている」
「ええ、その通りです」
秀一さんは素直に認めた。
「あなたの仕事に対する熱意は素晴らしい。しかしこれからは家庭人になる。その体はあなた一人のものではない」
父の声音はどちらかといえば穏やかだ。しかし秀一さんは、胸を衝かれたという顔になった。
「仕事をする薫が好きだというのも、家庭に縛り付けたくないというのも本心でしょう。それは分かるが、しかし現実的じゃあない。島さん、あなたは」
父はより穏やかに、だが厳格にそれを告げた。
「もう一度、よく考えるべきだ。これから薫とどうするのか。そして、しっかりとけじめをつけた後、あらためて申し込んでください」
秀一さんは何も言わず、父を見つめる。
「お父さん、何を言いだすのよ!」
母も、そして私も困惑した。ここまで順調に進み、形になりかけていた話が、ここへきて崩れかけている。しかし父は私たちに目もくれず、ふいに立ち上がった秀一さんを、同じように立ち上がり正面から見据えた。
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