先生

藤谷 郁

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告白

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商業高校時代の同級生で、今でも時々ランチやお茶を楽しむ友人が一人いる。

新田にった真琴まこと

同じ経理科卒だが、彼女は地元にある会計事務所に就職し、現在も働いている。

私達はどちらからともなく誘い合い、近況報告をしたり昔の話をしたりする、気心の知れた良い友達だ。

グループ交際をしていた頃、彼女も仲間の一人だった。彼女はその時付き合い始めた人と恋愛し、今も恋人同士だと聞いている。私の駄目になった交際を気にしてか、あまり話題にしないけれど。

昨夜、その真琴から『会いたい』とメールが来た。

木曜日は絵画教室の日なので、別の日を提案したのだが、1時間でもいいからと言うので会うことにした。待ち合わせたのは、職場にも絵画教室にも近い駅前のカフェ。

ここなら、教室が始まる時間ぎりぎりまでお喋りが出来る。


「まだかな……」


約束の時間を15分ほどまわったころ、真琴は駆け足でやってきた。


「ゴメーン。電車を一本逃しちゃって!」


よほど慌ててきたのか、結い上げた髪がほつれている。そのせいか、いつもきりっとして元気な彼女が、少しやつれているように見えた。


「私もコーヒー買ってくるね」


真琴は乱れた息を整えると、いそいそとカウンターに向かった。せっかちなところは相変わらずだが、彼女らしくてホッとする。その辺りは私と対照的で、だからこそ気が合うのかもしれない。


「お待たせー。ああ、いい香り」


真琴はカップに鼻を近づけると、クンクンとコーヒーの香りをかいだ。素朴な仕草は高校時代のままで、私は可笑しくてつい笑った。


「なによお、いいじゃん」


私の笑みに気づくと、彼女は紅い唇を尖らせた。


「元気だった? 1ヶ月ぶりだね」


私の言葉に、真琴は「うん」と頷いた。そして、街行く人の流れに暫らく目をとめ、ぼんやりとした顔つきになる。彼女らしくもない、シリアスな表情だった。

やはり、どこか疲れているように見える。


「どうかしたの?」

かおる、好きな人、いる?」

「えっ?」


唐突な質問に、私は戸惑った。真琴は大きな目をさらに見開き、体ごと詰め寄ってくる。


「付き合ってる人、いるの? もしかして」

「ど、どうしたの、急に」

「それとも、今でも男性不信?」

「な……」


彼女は、私があのグループ交際の彼のことで、未だに男性不信だと思っている。まるきり的外れでもないけれど、なぜそんなことをいきなり言いだすのか。

私はどう答えれば良いのかわからず、黙り込んでしまった。

真琴はテーブルの上から体を引くと、椅子に深くもたれた。なぜか、じとっとした目で私を見てくる。


「もう28なんだよね、私達。どうしたもんかなあ」

「は?」

「だって、周りのみんなはぼちぼち結婚してるじゃない」


なんとなく、彼女の言わんとすることが分かった。

つまり今のは、いまだに独身で彼氏もいない28歳の私を、心配しての質問だったのだ。

それにしても、心底困ったものだというように天井を仰ぐポーズは大袈裟だ。私は思わず反発してしまった。


「年齢なんて関係ないよ。早く結婚しなきゃいけないの?」


私は島先生を心に浮かべた。40だって50だって、あの人は素敵だ。

そう、年齢なんて関係ない。


「私、適齢期は人それぞれだと思う。だって……」

「別れたの」

「……」


別れたの――


私の発言に被せられた言葉を、無意識に反芻した。

そして、それが彼女自身のことだとようやく理解できると、私は激しくうろたえた。

別れたって、真琴が、彼氏と?


「嘘でしょ?」


二人はずっと付き合ってきて、それこそ、そろそろ結婚の話が出てもいい頃だと思っていた。それなのに?

震え声で問うと、真琴は自嘲的な笑みを浮かべつつ、きっぱりと言い放った。


「浮気されたのよ」

「ええっ?」


まさか、信じられない。

真琴の彼氏の栄田えいだ君は、真琴にひと目惚れして、かき口説いて恋人になったはずだ。真琴だって、彼に愛されて、どんどんきれいになって、いつも幸せそうにしていた。

詳しい話は聞かなかったけれど、それは順調に付き合っていた証拠だ。


「うーん、長すぎたのかもね」


真琴はぽつりとこぼし、コーヒーを口に運んだ。


「正直言って、ここ1、2年は、なおざりな関係だったわ。浮気したのは、たまたまあっちだけど、私だって他に好きな人が出来たら、とうに手放してた」


私は何もコメントできずに俯き、空になったカップを手の平で弄った。こんな時、恋愛経験のない私はまったくの役立たずである。


「そんな暗くならないでよ。慰めてほしいわけじゃないよ」

「真琴……」

「そりゃあ、吹っ切れてはいないよ。若いコに浮気されてさ、悔しいのは確かだし」

「え?」

「相手は21歳の女子大生。見たことないけど、かなり可愛いコみたい」

「そんな」


私はたちまち不愉快になった。なんて酷い。栄田の大馬鹿! と、心で罵った。

年齢なんて……

だから、真琴は28という年齢を気にし始めたのだろうか。


「でさ、薫は好きな人いるの? 恋人とか、付き合ってる人とかさ。それとも、やっぱり男性不信?」


さっきの質問をもう一度繰り返され、私は少しためらったけれど、正直に話そうと思った。真琴は自分の辛さを横に置いても、私を心配しているのだろう。

同じ年齢で、独身で彼氏もいない私を。


「ねえねえ、どうなのよ」


これは、正直に話すしかないと思った。いつもより疲れた顔なのに、わざと元気に振る舞っている真琴の気持ちを無にしてはいけない。


「うん、実は……」


私は告白した。今、好きな人がいること、夢のような心地であること。木曜日の夜、とても幸せな時間を過ごしていることを。

だけど、彼女の反応は思いもよらぬものだった。


「はあ~? 40歳ですって」


あからさまに呆れている。

でも、私は呆れられるようなことは何も言ってないはず。私は顎をしっかりと引いて、頷いた。


「……本当に独身なの?」


声のトーンは冷ややかだった。目つきも疑わしげに、怪しいものでも見るかのように細められた。


「それは……10年前から通ってる受講生とか、先生のことをよく知ってる人達の話だから、確かだと思う」


それに、先生はいつも袖口のほつれたセーターや、釦の取れたシャツを、作業着の下に着ている。いやらしいけれど、私はそんなところまで、いつも観察しているのだ。


「ふうん、そう。まあ、そっか。でも、片想いなんだよね?」

「ぐ……」


痛いところを突かれた。でも、まぎれもない現実だから言葉に詰まる。

真琴は追及せず、ひらひらと手を振った。


「だったらまあ、それはそれとしてさ」


いよいよ本題だと言うように、顔を近づける。

彼女らしい、生き生きとした瞳に、私はハッとした。

目の前で前のめりになる旧友の性格を、あらためて思い出したのだ。彼女はむしろ、悔しさをバネにするタイプだ。そう、たとえどんなに辛いことがあっても前のめりで進んでいく人なのだ。

私に彼氏の有無を訊いたわけは、おそらく、心配したからというよりも……


「一緒にパーティーに行かない? アラサー限定の合コン企画があるんだけど」


彼女はにんまりとして、私の手を握った。いや、掴んだ。その力の強さに、逃れられない怖さを感じた私は首を振り続けた。

合コンなんて、そんなの全然いらない。

これではっきりした。

私は先生以外、考えられないのだと。
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