一億円の花嫁

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
94 / 120
招かれざる客

しおりを挟む
 織人さんが出かけたあと実家に電話して、お昼過ぎにそちらに行くつもりだと告げた。
 電話口から、「みんなで待ってるから、いつでもいらっしゃいな」と、母親の明るい声が聞こえて、なんだか気が抜けた。
 今の状況を、家族全員が承知しているらしい。まったくもって織人さんという人は、根回しの達人である。


 マンションを出ると、あたたかな日差しに包まれた。道路を見ると、あんなに積もっていた雪が、ほとんどとけている。

 今日も寒くなるかと思いきや、空はよく晴れて、意外なほど気温が上がっている。
 私はマフラーを外してから、時間通りに現れたタクシーに乗り込んだ。

(そういえば、お母さんが『みんな』って言ったけど、お姉ちゃんも家にいるのかな?)

 オフィスビルが並ぶ通りに目をやりながら、首を傾げる。姉が仕事を休むなど、めったにないことだ。

(今日は平日なのに、どうしたんだろ。まさか私のために?)

 あれこれ考えるうちに、いつの間にか実家にたどり着いた。タクシーを降りようとして、家の前で父が待っていることに気づく。

「おお! お帰り、奈々子!」

 にこやかに笑い、手を振っている。
 あり得ない光景だった。

「お、お父さん。えっ、もしかして……待っててくれたの?」

 訝しむ私に、父は「何を驚いている」と呆れ顔になった。

「当然だろう。由比家に嫁入りしたからには娘といえど丁重に扱わねばならん。それに、お前はいまや我が家の救世主だからな!」

 大声で答え、ワハハと笑う。どうかしてしまったのではと不安になるほど機嫌が良い。

「ほらほら、早く中に入れ。風邪なんか引かせたら織人くんに叱られてしまう」
「う、うん」

 この人はまったく……
 どこまでもゲンキンな父に呆れつつ、昨日まで暮らしていた実家の玄関を潜った。


「お帰りなさ~い、奈々子。昨日は忙しかったでしょう? 今お茶を淹れるから、ゆっくりしていきなさいね」
「う、うん」

 玄関に入ると、母がウキウキした様子で私を出迎えた。父同様、下にも置かぬ扱いに戸惑いながらもリビングへと進む。


「お帰り」

 姉の薫がソファに座っていた。
 彼女だけはいつもどおりの、ちょっと高圧的な態度である。だけどなぜか私はホッとして、隣に腰掛けた。

「ケーキを買っておいたから、みんなで食べましょ。あなた、運ぶのを手伝ってくださいな」
「よしきた」

 両親が台所に向かったので、姉と2人きりになる。昼下がりのリビングは明るく、あたたかい。

「お姉ちゃん、ただいま」
「お疲れ」

 私をじろじろと見回し、フッと笑う。

「案外、顔色がいいじゃん。やれやれだね」
「えっ」

 もしかして、心配してくれていたのだろうか。じっと見返すと、姉は気まずそうに横を向いた。

「あー、なんか眠くなってきた。このままのんびりしたいけど、そうもいかないのよね。明日から海外出張でさ、いろいろ準備があるから」

 気だるそうに髪をかき上げる。化粧気のない顔に、疲れが浮かんでいた。

「もしかして、今日は私のために会社を休んだの?」
「まあね。お父さんが休めってうるさいし」

 やはりそうだったのかと、申しわけない気持ちになる。

「ごめんなさい。お姉ちゃんも忙しいのに」
「別に。それよりどうよ、御曹司との新婚生活は」

 姉がひらひらと手を振り、話を逸らした。

「いいわよねえ、高級マンションのペントハウスかあ。タワマンは流行らないなんて聞くけど、贅沢な環境には違いないし。で、昨夜はどんな感じで過ごしたのさ」
「え、そ、それは……」

 意味深な質問に、まごまごした。正直に話すのもややこしく、なにより恥ずかしい。どう答えれば良いのか分からず、私も話を逸らした。

「それより、私がマンションに住むこと、お姉ちゃんも知ってたんだね」

 入籍後、真っ直ぐマンションに連れて行かれたのは織人さんの計略である。私だけ内緒にされていたのだ。

「ええ。悪いけど、全部知ってたわよ。織人さんが私たち家族だけに、前もって教えてくれたからね」

 姉が面白そうに、にんまり笑う。

「だけどすごいわよね~、お金持ちのやり方って。強引すぎて引くし、正直どうかと思ったけど。まあ、あんたもまんざらでもなさそうだし、結果オーライでしょ」
「ま、まんざらってほどでは」
「顔色がいいのは、その証拠」
「あ……」

 思わず頬を押さえる。
 やはり姉は、私を心配してくれていたのだ。
 でも、こんな風に気にかけてくれるなんて、なんだか子どもの頃のお姉ちゃんに戻ったみたいで、落ち着かない。

 織人さんの存在が、私と家族の関係に変化をもたらしたのだ。
 父も、母も、姉までもが影響されている。
 たとえるなら、冷たい雪が太陽の熱にとかされていくように。
 それは、ついこの間までは想像もつかなかったような、劇的な変化である。

(なんだか不思議。止まっていた時間が動き始めたみたいな……)

 冬の日差しが降り注ぐリビングで、織人さんの笑顔を胸に浮かべた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

君の秘密

朝陽七彩
恋愛
「フン‼」 「うるせぇ‼」 「黙れ‼」 そんなことを言って周りから恐れられている、君。 ……でも。 私は知ってしまった、君の秘密を。 **⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆* 佐伯 杏樹(さえき あんじゅ) 市野瀬大翔(いちのせ ひろと) **⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆*

甘い支配の始まり~愛に従え 愛に身を委ねろ~【完結】

まぁ
恋愛
【失恋は甘い支配の始まり】 花園紫乃 Hanazono Shino 24歳 町田瑠璃子 Machida Ruriko 24歳 水戸征二 Mito Seiji 28歳 長谷川壱 Hasegawa Ichi 31歳 大垣誠 Ogaki Makoto 31歳 ※作品中の個人、団体、街…全て架空のフィクションです

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...