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招かれざる客
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織人さんが出かけたあと実家に電話して、お昼過ぎにそちらに行くつもりだと告げた。
電話口から、「みんなで待ってるから、いつでもいらっしゃいな」と、母親の明るい声が聞こえて、なんだか気が抜けた。
今の状況を、家族全員が承知しているらしい。まったくもって織人さんという人は、根回しの達人である。
マンションを出ると、あたたかな日差しに包まれた。道路を見ると、あんなに積もっていた雪が、ほとんどとけている。
今日も寒くなるかと思いきや、空はよく晴れて、意外なほど気温が上がっている。
私はマフラーを外してから、時間通りに現れたタクシーに乗り込んだ。
(そういえば、お母さんが『みんな』って言ったけど、お姉ちゃんも家にいるのかな?)
オフィスビルが並ぶ通りに目をやりながら、首を傾げる。姉が仕事を休むなど、めったにないことだ。
(今日は平日なのに、どうしたんだろ。まさか私のために?)
あれこれ考えるうちに、いつの間にか実家にたどり着いた。タクシーを降りようとして、家の前で父が待っていることに気づく。
「おお! お帰り、奈々子!」
にこやかに笑い、手を振っている。
あり得ない光景だった。
「お、お父さん。えっ、もしかして……待っててくれたの?」
訝しむ私に、父は「何を驚いている」と呆れ顔になった。
「当然だろう。由比家に嫁入りしたからには娘といえど丁重に扱わねばならん。それに、お前はいまや我が家の救世主だからな!」
大声で答え、ワハハと笑う。どうかしてしまったのではと不安になるほど機嫌が良い。
「ほらほら、早く中に入れ。風邪なんか引かせたら織人くんに叱られてしまう」
「う、うん」
この人はまったく……
どこまでもゲンキンな父に呆れつつ、昨日まで暮らしていた実家の玄関を潜った。
「お帰りなさ~い、奈々子。昨日は忙しかったでしょう? 今お茶を淹れるから、ゆっくりしていきなさいね」
「う、うん」
玄関に入ると、母がウキウキした様子で私を出迎えた。父同様、下にも置かぬ扱いに戸惑いながらもリビングへと進む。
「お帰り」
姉の薫がソファに座っていた。
彼女だけはいつもどおりの、ちょっと高圧的な態度である。だけどなぜか私はホッとして、隣に腰掛けた。
「ケーキを買っておいたから、みんなで食べましょ。あなた、運ぶのを手伝ってくださいな」
「よしきた」
両親が台所に向かったので、姉と2人きりになる。昼下がりのリビングは明るく、あたたかい。
「お姉ちゃん、ただいま」
「お疲れ」
私をじろじろと見回し、フッと笑う。
「案外、顔色がいいじゃん。やれやれだね」
「えっ」
もしかして、心配してくれていたのだろうか。じっと見返すと、姉は気まずそうに横を向いた。
「あー、なんか眠くなってきた。このままのんびりしたいけど、そうもいかないのよね。明日から海外出張でさ、いろいろ準備があるから」
気だるそうに髪をかき上げる。化粧気のない顔に、疲れが浮かんでいた。
「もしかして、今日は私のために会社を休んだの?」
「まあね。お父さんが休めってうるさいし」
やはりそうだったのかと、申しわけない気持ちになる。
「ごめんなさい。お姉ちゃんも忙しいのに」
「別に。それよりどうよ、御曹司との新婚生活は」
姉がひらひらと手を振り、話を逸らした。
「いいわよねえ、高級マンションのペントハウスかあ。タワマンは流行らないなんて聞くけど、贅沢な環境には違いないし。で、昨夜はどんな感じで過ごしたのさ」
「え、そ、それは……」
意味深な質問に、まごまごした。正直に話すのもややこしく、なにより恥ずかしい。どう答えれば良いのか分からず、私も話を逸らした。
「それより、私がマンションに住むこと、お姉ちゃんも知ってたんだね」
入籍後、真っ直ぐマンションに連れて行かれたのは織人さんの計略である。私だけ内緒にされていたのだ。
「ええ。悪いけど、全部知ってたわよ。織人さんが私たち家族だけに、前もって教えてくれたからね」
姉が面白そうに、にんまり笑う。
「だけどすごいわよね~、お金持ちのやり方って。強引すぎて引くし、正直どうかと思ったけど。まあ、あんたもまんざらでもなさそうだし、結果オーライでしょ」
「ま、まんざらってほどでは」
「顔色がいいのは、その証拠」
「あ……」
思わず頬を押さえる。
やはり姉は、私を心配してくれていたのだ。
でも、こんな風に気にかけてくれるなんて、なんだか子どもの頃のお姉ちゃんに戻ったみたいで、落ち着かない。
織人さんの存在が、私と家族の関係に変化をもたらしたのだ。
父も、母も、姉までもが影響されている。
たとえるなら、冷たい雪が太陽の熱にとかされていくように。
それは、ついこの間までは想像もつかなかったような、劇的な変化である。
(なんだか不思議。止まっていた時間が動き始めたみたいな……)
冬の日差しが降り注ぐリビングで、織人さんの笑顔を胸に浮かべた。
電話口から、「みんなで待ってるから、いつでもいらっしゃいな」と、母親の明るい声が聞こえて、なんだか気が抜けた。
今の状況を、家族全員が承知しているらしい。まったくもって織人さんという人は、根回しの達人である。
マンションを出ると、あたたかな日差しに包まれた。道路を見ると、あんなに積もっていた雪が、ほとんどとけている。
今日も寒くなるかと思いきや、空はよく晴れて、意外なほど気温が上がっている。
私はマフラーを外してから、時間通りに現れたタクシーに乗り込んだ。
(そういえば、お母さんが『みんな』って言ったけど、お姉ちゃんも家にいるのかな?)
オフィスビルが並ぶ通りに目をやりながら、首を傾げる。姉が仕事を休むなど、めったにないことだ。
(今日は平日なのに、どうしたんだろ。まさか私のために?)
あれこれ考えるうちに、いつの間にか実家にたどり着いた。タクシーを降りようとして、家の前で父が待っていることに気づく。
「おお! お帰り、奈々子!」
にこやかに笑い、手を振っている。
あり得ない光景だった。
「お、お父さん。えっ、もしかして……待っててくれたの?」
訝しむ私に、父は「何を驚いている」と呆れ顔になった。
「当然だろう。由比家に嫁入りしたからには娘といえど丁重に扱わねばならん。それに、お前はいまや我が家の救世主だからな!」
大声で答え、ワハハと笑う。どうかしてしまったのではと不安になるほど機嫌が良い。
「ほらほら、早く中に入れ。風邪なんか引かせたら織人くんに叱られてしまう」
「う、うん」
この人はまったく……
どこまでもゲンキンな父に呆れつつ、昨日まで暮らしていた実家の玄関を潜った。
「お帰りなさ~い、奈々子。昨日は忙しかったでしょう? 今お茶を淹れるから、ゆっくりしていきなさいね」
「う、うん」
玄関に入ると、母がウキウキした様子で私を出迎えた。父同様、下にも置かぬ扱いに戸惑いながらもリビングへと進む。
「お帰り」
姉の薫がソファに座っていた。
彼女だけはいつもどおりの、ちょっと高圧的な態度である。だけどなぜか私はホッとして、隣に腰掛けた。
「ケーキを買っておいたから、みんなで食べましょ。あなた、運ぶのを手伝ってくださいな」
「よしきた」
両親が台所に向かったので、姉と2人きりになる。昼下がりのリビングは明るく、あたたかい。
「お姉ちゃん、ただいま」
「お疲れ」
私をじろじろと見回し、フッと笑う。
「案外、顔色がいいじゃん。やれやれだね」
「えっ」
もしかして、心配してくれていたのだろうか。じっと見返すと、姉は気まずそうに横を向いた。
「あー、なんか眠くなってきた。このままのんびりしたいけど、そうもいかないのよね。明日から海外出張でさ、いろいろ準備があるから」
気だるそうに髪をかき上げる。化粧気のない顔に、疲れが浮かんでいた。
「もしかして、今日は私のために会社を休んだの?」
「まあね。お父さんが休めってうるさいし」
やはりそうだったのかと、申しわけない気持ちになる。
「ごめんなさい。お姉ちゃんも忙しいのに」
「別に。それよりどうよ、御曹司との新婚生活は」
姉がひらひらと手を振り、話を逸らした。
「いいわよねえ、高級マンションのペントハウスかあ。タワマンは流行らないなんて聞くけど、贅沢な環境には違いないし。で、昨夜はどんな感じで過ごしたのさ」
「え、そ、それは……」
意味深な質問に、まごまごした。正直に話すのもややこしく、なにより恥ずかしい。どう答えれば良いのか分からず、私も話を逸らした。
「それより、私がマンションに住むこと、お姉ちゃんも知ってたんだね」
入籍後、真っ直ぐマンションに連れて行かれたのは織人さんの計略である。私だけ内緒にされていたのだ。
「ええ。悪いけど、全部知ってたわよ。織人さんが私たち家族だけに、前もって教えてくれたからね」
姉が面白そうに、にんまり笑う。
「だけどすごいわよね~、お金持ちのやり方って。強引すぎて引くし、正直どうかと思ったけど。まあ、あんたもまんざらでもなさそうだし、結果オーライでしょ」
「ま、まんざらってほどでは」
「顔色がいいのは、その証拠」
「あ……」
思わず頬を押さえる。
やはり姉は、私を心配してくれていたのだ。
でも、こんな風に気にかけてくれるなんて、なんだか子どもの頃のお姉ちゃんに戻ったみたいで、落ち着かない。
織人さんの存在が、私と家族の関係に変化をもたらしたのだ。
父も、母も、姉までもが影響されている。
たとえるなら、冷たい雪が太陽の熱にとかされていくように。
それは、ついこの間までは想像もつかなかったような、劇的な変化である。
(なんだか不思議。止まっていた時間が動き始めたみたいな……)
冬の日差しが降り注ぐリビングで、織人さんの笑顔を胸に浮かべた。
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