一億円の花嫁

藤谷 郁

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化け猿の花嫁

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「えええっ? あ……あ、だから由比さんは、私の望みを、知って……?」
「うん」

 身体じゅうが、かあっと熱くなる。
 由比さんはあの時、つぶやきを聞いたのだ。いい年をした女の、夢見る乙女みたいな願望を。

「だから、スマートな王子様として君にアプローチして、デートに誘った。望みどおり、恋をしてほしかったからな」

 由比さんは大真面目である。からかったり、ばかにしたりする気配すらない。
 私は恥ずかしくてたまらず、逃げ出したくなった……けれど、かろうじて踏みとどまる。

「で、でも、だからといって、どうして私のためにそこまで?」

 根本的な疑問をぶつけた。
 ずっと、訊きたいと思っていたことだ。

「気に入ったからだよ」
 
 やっぱり真面目な態度。何も言えない私を見つめ、彼は応えつづける。

「言っただろ? 君が愛しくて、可愛いって。ちなみにこのことは関根さんにも、誰にも打ち明けてない。俺から君への、大切な気持ちだからね」

 甘い言葉と、輝くような微笑み。の告白に、ありえないほどドキドキしてきた。

「奈々子」
「由比さん……」

 ぐう~。

「!?」

 今のは、お腹が鳴る音。
 私は慌てて帯を押さえるが、由比さんの「しまった」という顔を見て、自分が発したのではないと気付く。

「うおおっ!!」
「ひっ?」

 突然、彼が叫んだ。
 というより、吠えた。

「くそっ、せっかく良いムードだったのに腹の虫が!」

(く、くそ……?)

 私は一瞬で、目を覚ます。さっきまで、催眠術でもかけられたみたいに、ぼうっとしていた。
 さっき鳴ったのは、由比さんのお腹。そして、王子様なら絶対に口にしないダーティな言葉も、彼から飛び出したのである。
 狼狽える私に気付き、由比さんが苦笑した。
 
「やっぱり王子様なんて柄じゃねえな。まあ、とにかく食べようぜ。腹が減った」
「……は、はい」

 まゆきで食事した時と同じく、彼はきれいな食べ方をする。この辺りはさすが、育ちの良さだろう。
 だけど――と、私は心で繰り返した。

(落ち着いて、落ち着いて。王子様に見えても、それは表面だけ。この人はキング。化け猿のキングなんだから!)


「美味い! さすが、俺がほれ込んだシェフだ。最高だろ、奈々子……って、まだ食べてないのか。せっかくの料理が冷めちまうぞ」
「あ、い、いただきます」

 そう、やっぱりこの人はキング。
 まゆきでの彼は、私を呼び捨てにしなかったし、一人称は『私』だった。言葉遣いもぜんぜん違う。
 それに、食事中の話題も……

「ところで奈々子。俺のチャンネルはチェックした?」
「ぐっ」

 食べたものがのどに詰まり、せき込んだ。

「おいおい、だいじょうぶか」
「す、すみません だいじょうぶ、です」

 お茶を一口のみ、ことなきを得る。

「チャンネルと、動画を拝見しました。関根さんに教えていただいて」
「うん。で、どうだった?」

 由比さんがわくわくした様子で、身を乗り出す。何と答えればいいのか分からず、私はしどろもどろになる。

「ええと……その、まだしっかり見ていないので上手く言えないのですが、なんというか……すごいなって」
「そうか!」

 嘘ではない。本当にすごいと思ったのだ。いろんな意味で。
 だが由比さんはポジティブに解釈したらしく、目を輝かせた。

「登録者数はまだ少ないが、熱烈なファンが多いんだ。毎回毎回、アップした瞬間再生回数が爆上げで、神回は『いいね』の数も半端ない。アクション動画のキングと言えば結構有名なんだけど、奈々子は知らなかったんだな」
「は、はい。ウーチューブは、あまり見ないので」
「いいさ。内容も女性向けではないし、当然と言えば当然だ」

 由比さんは食べるのが速いが、私は遅い。次の料理が提供されるまで、彼は箸を休めてお喋りした。
 ウーチューブのことばかり。

「できれば毎日アップしたいが、どうしても時間が足りなくてね。だから、わずかな空き時間も逃さず、いつでも絵を撮れるよう、マスクとタイツを持ち歩いてるんだ。湖での撮影も、突発的に行動したってわけ。冬景色が良さげな雰囲気だし、雪が盛り上げてくれて、あれは傑作だったなあ。コメントも大好評で……」

 身振り手振りで、熱心に語る。その生き生きとした表情は、まぶしい……というより、暑苦しかった。
 まゆきでの爽やかさは幻だったのかと、絶望するほど。



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