一億円の花嫁

藤谷 郁

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再会

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 もし本当なら、私は世界一の幸せ者だ。奇跡を信じて、素直に受け入れたい。彼が求めてくれる気持ちに、私は……

「大月奈々子さん」
「!」

 突然、背後から声を掛けられた。
 私は驚きのあまり、息が止まりそうになる。

「大月奈々子さん、だよね?」
「は、はい」

 低くて、男らしくて、優しくて……間違いなく、彼の声だ。いつの間に、そばに来ていたのだろう。

 振り向きたいのに、体が動かない。感動しすぎて、硬直してしまった。
 それに、また夢のように消えてしまうのではないかと、怖くて。

(ゆ……由比さん?)

 微かに香るフレグランスは、あの日、彼が身に着けていたのと同じ。
 嬉しさと切なさが混ざり合い、涙が出そうになる。

(本当に、あなただったのですね)

 ラウンジの客が皆、こちらに注目するのが分かった。もしかして、由比さんが現れたから?
 たぶん、そう。
 彼はいつどこにいても、目立つ人。輝くオーラが、人々を魅了するのだ。

 それほどまでに素敵な男性が、私の傍に立ち、私の名前を呼んでくれた。
 夢みたいだけど、夢じゃない。
 これは、確かな現実。
 
(怖がっちゃダメ。感動の再会を果たすのよ、奈々子)

 自分を鼓舞し、膝を震わせながらも椅子を立つ。そして、彼の方へと体を向けて、そっと顔を上げた。

「……!!」

 全身が固まった。
 目に映る光景を、脳が受け付けず、反応できない。

「久しぶり。元気だった?」

 確かに由比さんの声。
 それなのに、どうして?
 なぜ、なぜ、が、ここにいるの?

「あ、あわわわ……」
「驚くよな。でも、どうしてもこの姿で、見合いしたかったんだ」

 やっぱり、何度聞いても由比さんの声。そして間違いなく、目の前のが発している。
 私は、必死で状況を理解しようとした。
 だけど、それも数秒のこと。
 衝撃の強さに耐えられず、次の瞬間……

「きゃあああああああ!!!」

 悲鳴を上げ、逃げ出していた。


「あっ、おい。どこに行くんだ!」

 私はラウンジを飛び出し、エレベーターホールへと逃げた。着物の裾が乱れるのも構わず、全速力で。

「奈々子、待て! 俺だよ、俺。由比織人だ!!」

 由比さんの振りをしたが、特殊詐欺の決まり文句を叫びながら、追いかけてくる。
 騙されるものか。
 あんなのが、由比さんであるわけがない。そもそも、由比さんの一人称は「私」なんだから!

「助けてえ!!」

 必死で叫ぶけれど、他の客もスタッフも、ラウンジから出てくる気配がなかった。恐ろしくて、誰も手を出せないのだ。

「きゃあっ!」

 エレベーターホールの手前で草履が脱げて、バランスを失った私はぶざまに倒れた。
 慌てて起き上がろうとするが、腰が抜けたみたいに動けず、その場にへたり込んだ。

(もうダメ……!)

 変質者の靴音がすぐに追いついてきて、後ろで止まる。そして、床に何かが投げ捨てられた。

「ひいっ」

 目の前に転がるそれを見て、戦慄する。

 雪が降りしきる湖。私は急いでホテルに戻るため、遊歩道を走っていた。その時、あれにぶつかった。
 猿のマスクを被った全裸男。『まゆき』の従業員に掴まって、警察に引き渡されたはずなのに……!

 目の前に転がる、猿のマスク。忘れもしない、変質者が被っていたものと同じ。

(どうして、こんなところにいるの?)

 ラウンジで声を掛けてきたのは由比さんではなかった。
 猿のマスクを被り、全裸……いや、今回はスーツを着ているけれど、立ち昇る妖気を、私は覚えている。
 湖で遭遇した、変質者だ!

(もしかして、私のせいで捕まったから、仕返しに来たとか……逮捕されたものの、証拠不十分で、釈放されて……)

 瞬時に推測した。
 でも、どう考えてもおかしい。

 なぜ由比さんの振りをして、私とお見合いするの? 彼とどういう関係なの?

 わけが分からず、震えるばかり。答えを知るには、本人に訊くしかない。殺されるにしても、理由わけを知りたい。

 背後に突っ立っている変質者を、恐る恐る見上げた。

「えっ……?」
「まったく、どんだけ足が速いんだ。運動神経ゼロとか、言ってなかったか?」

 愕然とする私に、手を差し伸べた。
 端正な顔立ち。私を見つめる、凛々しくも優しい眼差し。この人は、変質者ではなく、私が会いたくて会いたくて堪らなかった……

「由比さん……!?」
「そう、俺だよ。大月奈々子さん」

 変質者でも、オレオレ詐欺でもない。
 本物の由比さんが、微笑んでいた。
 
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