一億円の花嫁

藤谷 郁

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花ちゃんと私

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「そなたは幼い時分から、シンデレラだの白雪姫だの、お伽話が大好きであった。大人になった今も、恋愛小説ばかり読んでおる。わしのすすめる剣豪小説には、見向きもせずに」
「え?」

 なぜ小説の話を? もしかして、私が夢見がちだと言いたいのだろうか。

「そ、それは……だって私は、夢のあるお話が好きだもの。剣豪小説も、面白そうだけど」
「気遣いは無用。奈々子は、筋骨隆々の侍や、血湧き肉躍る決闘に興味がないのだ」
「う……」

 確かに私は、荒々しい男性や物語に関心がない。むしろ、できるだけ関わりたくないと思っている。

 否定しないでいると、花ちゃんがフンと鼻息を吹いた。

「分かっておる。奈々子が好きな男は、お伽話に出てくるようなナヨっとした王子様じゃ。生まれながらの王侯貴族。あるいは社会的地位が高く、金持ちで、女のようにきれいな顔をした御曹司とかな。歯の浮くような世辞を並べ、隙あらば女子おなごを口説かんとする、軽薄短小の優男やさおとこよ」
「け、軽薄短小?」

 なんという偏見。王子様を好きなのは本当だけど、そういうのとは違う。というより、もしかして花ちゃんは、由比さんのことを言っている?
 もしそうなら、とんでもない誤解だ。

「由比さんは、ナヨナヨしたタイプじゃないよ。優しいだけじゃなく、行動的で、頼もしい人なんだから。体格だって、背が高くて、肩幅も広くて、逞しかったもの」
「スーツの下に、綿でも詰めていたのだろう」
「そんなわけないでしょ!」

 突飛もない発想に呆れた。しかし花ちゃんの口調は、大真面目である。

「残念だが、のぼせ上がったおぬしには、ヤツの正体が見抜けなんだ。女慣れした色男に、弄ばれたのじゃ」
「なっ……」

 いくら親友でも、言っていいことと悪いことがある。私は思わず立ち上がり、叫んでいた。

「ひどいよ!」

 花ちゃんも負けじと立ち上がった。小柄な体をめいっぱい背伸びさせて、睨みつけてくる。

「ひどくなどない! 目を覚ませと言っておるのだ」
「由比さんと会ったこともないのに、どうしてそんなことが言えるの?」
「そなたの話を聞き、客観的事実を申したまでじゃ。不埒な男に引っかかりおって」

 不埒な男……?

 またしても、聞き捨てならない言葉だった。

「許せない……取り消してよ、花ちゃん!」
「まだ分からんのか、情けない。お人好しにもほどがあるぞ!」

 なぜ、彼を悪く言うのだろう。花ちゃんは私の、たった一人の友達。だからこそ、すべてを打ち明けたのに。

「よく聞け、奈々子」

 怒りよりも悲しみでいっぱいになる私に、花ちゃんは、噛んで含めるように言った。

「由比とやらが、もし誠実な男であれば、そなたを放って消えたりせぬ。思わせぶりなことを言い、惚れるだけ惚れさせて、最後は仕事を理由に置いてきぼりなど、それこそ酷いではないか」
「……」

 私は絶句し、唇を震わせる。
 なぜ何も言い返せないのか。
 それは、真実を突きつけられたから。

 分かっていた。
 望みを叶えてくれた彼に感謝する気持ちは本当だけど、心の奥底では、深く傷ついている。

 惨めすぎて、認めたくなかった。

 彼は、生まれて初めての感情をくれた人。信じたくて、いつまでも縋っていたかった。未練がましく。
 
 花ちゃんは、たった一人の親友。だからこそ、厳しいことを言ってくれたのだ。
 そんな、のぼせ上がった私に。

「もっと自分を大切にしろ、奈々子」

 花ちゃんの穏やかな声。思いやりが伝わり、涙が出そうになる。

「見合いの件も、よくよく考えてくれ。そなたはいつも、家族に迷惑をかけたと言っておるが、それは違う。まったく何も、悪いことはしておらん」
「……」
「断る勇気を持つのじゃ」

 ありがとう、花ちゃん。

 そう言いたかったけれど声にならず、私は荷物を持つと、黙ったまま部屋を出た。
 外まで見送ってくれた花ちゃんに気づいていながら、振り向きもせず。


 家までの短い距離を、亀のようにノロノロと進んだ。いつの間にか日が暮れて、夜風が冷たくて、たまらない。

「旅行なんて、しなければ良かった」

 今度こそ本当に、旅の終わり。
 胸の中を、後悔ばかりが渦巻いていた。

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