一億円の花嫁

藤谷 郁

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夢の時間

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 ありのまま伝える私を、彼は静かに見守っている。

「あなたに知られたくなかった。きっと同情されるから。今どき何言ってるんだと、呆れますよね。親に逆らえず結婚なんて……そんなの惨めすぎて、言えなかったんです」

 また涙がこぼれる。

 由比さんが、無言でハンカチを渡してくれた。私はそれを受け取り、まぶたに押し当てる。夢の時間はお終い。12時の鐘が鳴るのが聞こえてきそう。

「ごめんなさい」
「……」

 もう帰りましょうと言われるのを覚悟する。私はただの客なのに、事情を話されても困るだろう。めんどくさい女だと、嫌われてもしょうがない。

 だけどそれでいい。
 私たちはもう二度と、会わないのだから。

「謝らないでください」

 涙を拭いて、顔を上げた。穏やかな微笑みと眼差しが、目の前にあった。

「大なり小なり、人は誰でも事情を抱えています。すべてを打ち明けるのが、誠実ではありません」
「え……」

 思いがけない言葉だった。それに、由比さんの態度は、何一つ変わっていない。
 
「……許して、くれるのですか?」

 恐る恐る、問いかけた。

「当然ですよ。許すも何も、あなたはただ、言えなかっただけ。私だって、言えないことがたくさんありますから。立場上……」

 由比さんが真顔になった。
 急に笑顔が消えたので、私は緊張する。

「大月さん」
「は、はいっ」
「私も打ち明けます。正直なところを」

 彼が体を近づける。
 ハンカチを握りしめる手が震えた。

「ボディガードというのは、口実でした。あなたを、放っておけなかった」
「……」

 どういうことか分からず、うろたえるばかりの私を、彼がじっと見つめる。
 美しすぎて、気を失ってしまいそう。



「実は、私は……」

 由比さんは一旦言葉を止めて、睫毛を伏せた。
 だがすぐに私を見つめ直すと、優しく、少し抑えた口調で打ち明けた。

「昨夜、食事をともにした時、あなたは元気そうに見えた。でも本当は違うと、感じていたのです」
「……?」

 なぜ? 心の奥底の、悲しい気持ちが滲み出ていたのだろうか。思いがけない告白に戸惑いつつ、次の言葉を待つ。

「だから私は心配になって、観光地を巡るというあなたに、付いていくことにした。要するに、デートにお誘いしようと思ったわけです」
「デ、デート?」

 またしても、思いがけない言葉だった。
 でも由比さんは、大真面目。冗談を言うような態度でもなく、雰囲気でもない。

「だが、いきなりデートなんて言えば引かれると思い、ボディガードという口実を使ったわけです。……まあ、ボディガードになりたかったのは、本当ですが……」
「えっ?」

 よく聞こえなくて耳を近づけると、彼は失言でもしたかのように、ぱっと口もとを押さえた。

「とにかく……ここはのぼせそうだから、外に出ましょう」
「あっ……」

 由比さんが私の手を取り、湯気が漂う小屋から連れ出す。彼の頬は、湯あたりしたみたいに赤く染まっていた。


 夜が深まり、冷え込みが強くなったようだ。凛とした空気が、雪の中で向き合う二人を包む。

 外に出ても、由比さんは手を離さなかった。

「由比さん?」
「……」

 なんだか様子がおかしい。というか、彼は頬だけでなく、耳まで真っ赤だった。

「ど、どうかされましたか。どこか具合でも……」
「いや、これは湯気で顔が熱くなっただけで」

 由比さんが、ぎゅっと唇を結んだ。
 手袋越しにも、彼の熱が伝わってくる。
 絶対に変だと思った。

「由比さん、もう帰りましょう。ゴンドラ乗り場に……」
「駄目だ」

 ビクッとした。
 今のは、由比さんの声? 目の前にいるのだから当たり前なのに、どういうわけか、別人の声に聞こえた。
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