一億円の花嫁

藤谷 郁

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夢の時間

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 突き当たりの階段を上がり切ったところで、由比さんが私に微笑みかけた。
 展望台に到着したのだ。

 アーチを潜り、ドーム屋根の大きな建物に入る。フロアの中央にツリーが据えられ、ぐるりと囲む手すりには、カップルたちのシルエットがあった。
 由比さんとともに、私もその中へとまざる。

「今夜は風もなく晴れているので、可動式の壁を全開にしてある。ラッキーですよ」
「わあ……」

 素晴らしく見晴らしの良い場所だ。
 昼間も絶景だろうが、夜はふもとの街明かりが美しく、幻想的な光景である。

「すごくきれい」

 由比さんが私に見せたいもの。それは、この夜景だった。

 今日はいろんな場所に連れて行ってもらったが、最後に最高のサプライズが用意されていた。
 しかも、こんな風に腕を組んで夜景を眺めるなんて、まるでデート。私にとって、一生に一度の経験になるだろう。

 感謝に堪えない。
 この気持ちを、言葉にして伝えなければ。

「あの、由比さん。嬉しいです、私……」
「では、行きましょうか」
「えっ?」

 由比さんが手すりを離れ、私をフロアの外へと促した。

(も、もうお終い?)

 もう少し恋人ムードに浸りたかった。ずいぶんとあっさりした態度に、私は落胆を覚える。
 他のカップルをチラ見しながら、階段を下りた。

(そうよね……私と夜景を眺めても、由比さんはなにも感じない)

 恋人気分に酔いしれたのは私だけ。彼はもともと、客へのサービスとしてここへ連れて来たに過ぎない。
 一体、何を期待しているのか。

 由比さんは腕を組み、私のペースに合わせて歩いてくれる。
 優しさが沁みて、涙が出そうだった。
 優しさが、悲しくて――

 自分でも驚いてしまう。
 経験がなくとも、この感情がなんなのか分かる。
 私は、昨日出会ったばかりの王子様に、恋をしてしまったのだ。



 通路を出ると、ゴンドラ乗り場が目の前にある。

 あれに乗ればもう、下界へと一直線に落ちていく。二度と戻ってはこられない。でも、行くしかないのだ。

「大月さん、そっちじゃありません」
「?」

 乗り場へ進もうとする私を、由比さんが止めた。涙が滲む目で見上げると、にこりと微笑む。

「あなたに見せたいものが、向こうにあります」
「……えっ」

 私に見せたいものって、夜景じゃなかったの?
 
 ぽかんとする私を連れて、彼が歩きだす。

 ゴンドラ乗り場の手前に、左の方向へと進む小道があった。工事用のバリケードが置いてあるが、彼がそれをどけて、私の手を取って進み始める。

 どういうことだろう。一体、何が起きているの?

 腕を組むのとはまた違った刺激にドキドキしながら、由比さんの顔を覗き込んだ。

「あ、あの、どこへ行くのですか?」

 小道は人が通れるように雪かきがしてあり、照明も明るい。
 しかしバリケードで封鎖されていたので、おそらく、関係者以外立ち入り禁止の区域である。

 彼は立ち止まると、ためらう私と向き合い、真面目な口調で答えた。

「一般客には未公開のルートです。スタッフに話して、明かりを点けてもらいました。大丈夫。安全は確保されているし、それに……変なことはしません」
「ええっ? いえ、私は別にそんな……」

 私のためらいを、恐れと受け取ったようだ。
 確かに、彼は昨日知り合ったばかりの、よく知らない男性。二人きりで人気のない場所に行くのだから、怖がっても不思議ではない。

 でも、彼はただの男性ではなく、王子様である。私にとって……

「あと少しだけ、あなたの時間をください」
「……」

 シンデレラの夜はまだ終わらない。
 返事の代わりに、彼の手をぎゅっと握りしめた。
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